古来、人々は身分の上下を問わず、天変地異や疫病など人知の及ばない災禍に苦しめられてきた。日本の文化の中には、厄災を祓って福を招く力を期待した伝統芸能や美術造形などがあり、篤い祈りの気持ちがこもる。
仏像と、疫病の平癒など御利益の関係について、文化庁主任文化財調査官(彫刻部門)の奥健夫さんに話を聞いた。
仏像に求められた性格は、大きくわけて二つある。仏像を造ること自体が功徳になることと、仏像が世の願いをかなえて災いを退けること。信仰心が聖なる世界に伝わり、その行為が認められて利益が生じると考えられた。
特に、社会体制など世界の大きな変動期に、仏像が力を持つことが多い。都が遷った奈良時代から平安時代の世情が穏やかならない時期に、非常に迫力のある仏像が生まれた。平安時代から鎌倉時代に変わる時も、仏像の持つ力が表に出てきた。
古来、日本人が拝んでいた神には両義性があり、豊穣をもたらす神は同時に災いを与える疫神にもなる。6世紀に仏教が伝わり、仏像を受け入れた際、逆に疫病が流行して崇仏廃仏論争が起きる事態となった。それ以来、仏教の教義から導き出せない仏の生々しい側面も意識され、造形にも反映されることがあった。
仏像には様々な種類があるが、十一面観音菩薩について説く経典には、頭頂部にある「頂上仏面」の如来の頭部にひもを結びつけて唱えることで、疫病が退散することが書いてあり、平安時代にはその機能が重視されていたことが史料からも明らかだ。
そもそも十一面観音は、7世紀の末に日本へ渡り、8世紀になって「十一面悔過」という儀式が行われ、十一面信仰が日本に根付いた。仏の前で悔い改めることで汚れを退けて除却する。現在でも、奈良・東大寺二月堂でつとめられている。神道における汚れを祓うという考え方との類似性が根付いた要因ともなった。最初期の神仏習合による仏像の姿でいえば、奈良・聖林寺の国宝「十一面観音菩薩立像」(奈良時代)は、その起点になると言える。
仏教側は、仏像を前に行いを積むことが大事だと捉えていたが、人々は「御利益がある仏像」「この仏像を拝むと特に御利益がある」というふうに受け止めた。そこで、ある特定の仏像に霊験がある、というようなとらえ方になっていった。
十一面観音で、たたる神である疫神との関係を一番よく物語る仏像に、奈良・長谷寺の本尊、重要文化財「十一面観音立像」(現存の像は室町時代)がある。
本尊は、川を流れてきた疫病を引き起こす霹靂木で造られ、観音によって疫神の力が封じ込められたという伝説がある。そして幾度の火災の際にも、頂上仏面だけは自ら飛び去り、難を逃れた。再興した仏像に新造した頂上仏面をつけると疫病などが発生したため、元通りに当初の頂上仏面と取り替えると、疫病が治まったとされる。(談)
◇おく・たけお 1964年生まれ。東京大大学院修了。文化庁美術工芸課技官などを経て現職。「生身仏像」「裸形着装像」などの研究で知られ、主な著書に「仏教彫像の制作と受容」。
2020年4月5日付読売新聞朝刊より掲載