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2020.12.30

【おちこち刀剣余話vol.4】リアル鬼滅の刀! 天下五剣・童子切安綱にまつわる鬼殺伝説

歴史小説家の永井紗耶子さんが刀剣にまつわる様々な物語をひもとく「おちこち刀剣余話」。第4回からは、世の中の「鬼滅の刃」ブームに乗った……というわけでもないのですが、鬼を退治した伝説を持つ名刀を語ります。まずは、天下五剣の一つで、東京国立博物館が所蔵する国宝の「童子切どうじぎり安綱」が登場!

イラスト・ 永井紗耶子

今や大ブームを巻き起こしている漫画「鬼滅の刃」をご存知でしょうか。

「鬼滅の刃」の舞台は、大正時代。家族を「鬼」によって惨殺された主人公、竈門かまど炭治郎は、鬼になってしまった妹を人間に戻すため、鬼を倒す「鬼殺きさつ隊」に入ります。そこで出会った仲間たちと共に鬼と戦い、成長していく姿を描くダークファンタジーです。主人公のみならず、登場人物たちの個性が丁寧に描かれ、倒される側の「鬼」の物語も見えてくる。子どもも大人も楽しめる作品で、漫画はもちろん、アニメも大ヒット、映画は日本の映画史上で歴代最高興行収入を達成するなど、その人気はとどまることを知りません。

実在した「鬼滅の刀」

この作品で「鬼殺隊」は皆、特別な刀鍛冶が鍛えた「日輪刀にちりんとう」というものを使っています。実は現在の日本には、古代、鬼を斬ったと伝わる刀が数多く残されています。リアル「鬼滅の刃」ですね。そしてそれを使った人々が歴史上に存在しています。今回の「おちこち刀剣余話」では、歴史上の「鬼殺隊」が活躍した「酒呑童子しゅてんどうじ物語」と、酒呑童子を倒した刀についてお話したいと思います。

古典芸能や古典文学がお好きな方であれば、「鬼を殺した男」として最初に名が上がるのは「源頼光」かもしれません。「よりみつ」とか「らいこう」と呼ばれています。平安時代を生きた武士の一人です。この人を主人公にした鬼退治の物語が「酒呑童子物語」。御伽草子おとぎぞうしをはじめ、たくさんの書物に描かれ、能や歌舞伎の演目にもなっています。

舞台となったのは平安時代。一条帝の御代みよでございます。一条帝といえば、その後宮には中宮定子や彰子がいて、それぞれに「枕草子」を書いた清少納言や「源氏物語」を書いた紫式部が仕えていました。そして「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることのなしと思えば」と、栄耀えいよう栄華をうたった藤原道長が関白を務めていた、王朝文化が花開いた時代です。

そんな時代に武士がいたのか……と思われるかもしれませんが、おりました。もちろん源平合戦よりもはるか前のこと。武士と言っても権力は持っておらず、貴族の護衛などが主な役割でした。実際、源頼光は藤原道長が主催する競馬大会に出場していたという記録もあり、時の権力者にかわいがられていた武将の一人、といったところだったのでしょう。

天皇からの鬼退治命令

この頼光の元に、一条帝からある命が下されます。

酒呑童子絵巻(伝狩野孝信筆、東京国立博物館蔵)より 出典:ColBase

当時、「都では女たちが姿を消す」という事件が相次いで起きていました。陰陽師おんみょうじである安倍晴明が占ったところ、大江山に住む鬼にさらわれたということが分かりました。そこで、その鬼を退治する命が頼光に下されることになったのです。

源頼光は、鬼と戦うためのチームを結成します。「四天王」と呼ばれるそのメンバーをご紹介しましょう。

まず一人目が渡辺綱わたなべのつな。嵯峨源氏の流れをむ彼は、「源氏物語」の「光源氏」のモデルと言われる源融みなもとのとおるの縁者であり、なかなかの男前であったとか。2人目が、坂田金時。いわゆる「金太郎」のモデルとされる怪力無双の男。3人目が碓井うすい貞光。この人については余り伝わることが少ないのですが、足柄辺りの碓氷峠周辺を治めていた一族の出では、と言われているとか。4人目が、卜部季武うらべのすえたけ。彼は征夷大将軍として活躍した坂上田村麻呂の子孫と言われています。

山伏に扮した頼光と四天王 酒呑童子絵巻(伝狩野孝信筆、東京国立博物館蔵)より 出典:ColBase
ラスボスを毒で攻撃

この四天王を従えた頼光は、山伏に姿を変えて鬼の住まう大江山に入ります。そこには酒呑童子という首魁しゅかいがいたのですが、相手が山伏だとみて油断し、共に酒宴を催すことに。頼光は毒酒を酒呑童子に飲ませ、酔いつぶれたところで首を切り落とします。

酒呑童子らとの酒宴にのぞむ頼光ら  酒呑童子絵巻(伝狩野孝信筆、東京国立博物館蔵)より 出典:ColBase

「これで退治した!」と喜んだのも束の間、首だけになった酒呑童子は怒り狂って頼光に飛び掛かります。四天王は頼光を助けるべく刀を振るい、遂に酒呑童子を倒します。この時、酒呑童子が最期に「鬼に横道おうどうなきものを」と、叫んだとか。

つまり「鬼は人をだまさないのに、お前は俺を騙したな」と罵ったということです。そう聞くと、何だか鬼も哀れに思えるものです。

異説、異聞も数多くありますが、「酒呑童子」の物語の大筋はこうした流れになっています。

天下の名刀「童子切安綱」

さて、この酒呑童子の一件において、源頼光が振るった刀は現在も、東京国立博物館に所蔵されています。国宝「太刀 伯耆安綱ほうきやすつな(名物 童子切安綱)」で、「童子切」と呼ばれています。鬼の首をね、その後に首だけになって暴れた酒呑童子と争った伝説の刀。その光り輝く刃紋の様を見つめていると、妖しい魅力を湛えているようにも思えます。「これならば鬼を斬ったと言われても納得できる」と感じる一振りではないでしょうか。

国宝 太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀 東京国立博物館蔵  出典:ColBase

この童子切は、平安時代中期に伯耆国(現在の鳥取県西部)で活躍した刀工、安綱の手によるものです。この安綱は、第1回で紹介した国宝「三日月宗近」を作った三条宗近と同時代の人であったと言われています。残されているのは全て太刀で、他の刀工に比べて作品数が多いことでも知られています。それだけ当時、愛されていた刀工でもあったのでしょう。明治期には、津山藩主だった松平子爵家が所有していたそうです。

というわけで、リアル「鬼滅の刃」が、国立博物館に収蔵されているということになります。

鬼の正体は……

となると、「鬼を斬った刀が実在するということは、鬼は実在したのか?」という問いが湧いてきそうです。

以前、古典文学の研究家の方とお話をした時に、「古代の人が書いたものは、そのまま感じて読むほうがいい。考えるな、感じろ!」と言われたことがあります。つまりは「酒呑童子はいた」として読むのが、この物語の楽しみ方なのでしょう。

実は、その頼光が書いたと言われている願文が京都の成相寺に残されています。そこには「此度こたび当国大江山夷賊いぞく追討のため勅令をこうむる」と記されており、年号は寛仁元年(1017年)。実際に頼光が書いたかどうかは「諸説アリ」ではありますが、もしこれが頼光が書いたものであるのならば、頼光と四天王たちは、鬼退治ではなく「夷賊」、つまり反逆者や反乱を治める戦に出向いたと考えることができます。

歴史の敗者の物語

「鬼」というと物語では、絶対的な悪役として、異形な姿や残虐な行為などを誇張した存在として描かれていることが多くあります。しかし、もしこの鬼が時の政府に対する反逆者たちのことを指しているのだとしたら……。鬼は異形な化け物などではなく、時代の流れの中で撃たれ、歴史の敗者となっていった悲しい人々の姿なのかもしれません。

鬼の物語の数々は、単なるファンタジーではなく、実際にあった戦争や権力闘争など、人々の営みの中で生まれ、現在まで伝えられてきたものなのでしょう。だからこそ、能や歌舞伎の「大江山」や「土蜘蛛」、「鬼滅の刃」などの鬼が登場する作品を、今もなお多くの人々が鑑賞し、鬼を憎みながらも悲しい思いに胸を打たれ、惹かれるのかもしれません。

もう一振り、この「酒呑童子」討伐で活躍したのが、渡辺綱の刀なのですが、これはまた次回に、別の物語と一緒にご紹介したいと思います。

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永井 紗耶子

プロフィール

小説家

永井 紗耶子

慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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