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2021.9.7

【大人の教養・日本美術の時間】 わたしの偏愛美術手帳 vol. 10-下 由良濯さん(愛知県美術館学芸員)

海北友松「飲中八仙図屏風」

愛知県美術館(名古屋市東区)の由良濯・学芸員へのインタビュー。今回は、エジプト好き、ミステリー好きの少年が学芸員になるまでのお話や、京都のお寺や名古屋城で楽しむ日本美術、そして美術鑑賞のヒントまでお話しくださいました。

愛知県美術館内部(同館提供)
中学生にして学芸員を志す

小学生の頃、インディ・ジョーンズ・シリーズの映画第1作「レイダース/失われたアーク《聖櫃せいひつ》」をテレビで見たのをきっかけに、エジプトが大好きになって、エジプト関係の本をずっと読んでいました。国立科学博物館(東京・上野、科博)のエジプト展にも連れて行ってもらって。恐竜や化石も好きで、科博にはよく行き、ときどき、東京国立博物館と国立西洋美術館も回るといった感じでした。遊園地には連れていってもらえず、それしか楽しみがなかったというのもありますが(笑)。

中学生のとき、考古学の仕事について調べてみたら、エジプトに行って発掘するのが重要で、大学の先生になるまで食べていくのは、たいへんそうだなと(笑)。よく考えたら、考古学者になりたいというより、博物館で働きたいのかもしれないと思って、どうすれば学芸員になれるのか調べました。エジプトで発掘される土器よりも、「死者の書」とかの装飾が好きだったこともあって、もともと興味のあった西洋絵画の美術館の学芸員になろうと決めたのです。

愛知県美術館展示室
©宮本真治(有)シンフォトワーク
推理小説と共通する美術史の魅力

小さい頃から推理小説が好きで、シャーロック・ホームズやルパン、江戸川乱歩の怪人二十面相は繰り返し読みました。推理していく時に、死体の様子とか部屋の状況などを、全部言葉で説明しますよね。見たものを言葉で表現して、どこがどうおかしいか比較しながら解き明かしていくのが、すごく面白くて。

そういう点で、美術史の研究は、推理小説に似ていると思います。描かれているものを言葉で表して、答えを出していくので。私は中学生の頃から、絵を見て、展覧会の図録も読んだりしながら、この画家はこうだったのではないかと考えるのが好きでした。

―それで、大学で美術史を専攻されたのですね。

早稲田大学文学部美術史コースの1、2年生では、分野を限定せず、広く自由に勉強できました。中高生の頃から好きだった印象派が中心でしたが、仏像など、いろいろなジャンルの講義を受けて。そうしたなかで、偶然、画集で見た竹内栖鳳せいほうの獅子図に引かれました。洋風のライオンを、日本画の技法で金屏風びょうぶに描いた作品なのですが、こんなに面白い和洋折衷の作品があるのかと。それをきっかけに、日本美術への興味が増し、特別展「栄西と建仁寺」(2014年、東京国立博物館)で見て感激した、海北友松の研究を始めたのです。

大学院修士課程1年生の時には、日本美術史に関する国際大学院生会議(JAWS)に参加しました。1987年に、美術史家の辻惟雄のぶお先生が企画されて始まった会議で、不定期で開催されています。

私が参加した時は、アメリカで開催され、日米各地の大学院から日本美術史専攻の学生が1人ずつ参加して、期間は2週間くらいでした。最初にハーバード大学で学会発表をして、その後、ボストン美術館とメトロポリタン美術館の日本美術の収蔵庫で調査を行いました。

参加者の中で、私が一番若く、先輩たちから多くの刺激を受けました。研究の規模感というか、「研究ってこれぐらいやればいいんでしょ」といった、それまでの甘い考えが打ち砕かれたというか。研究の切り口も広がりましたし、海外に所蔵されている日本美術にも視野が広がりました。参加者は、優秀で上昇志向がある人ばかりで、今は多くのかたが各地の美術館・博物館の学芸員になっています。本当に素晴らしい機会で、人生が変わったと言っても過言ではありません。

京都のお寺でミステリー・ハンター

―京都のお寺によく行かれるとうかがいました。

私は美術館の人間ですが、襖絵ふすまえや仏像などはお寺で見るのが理想だと思っています(笑)。

大学院生の時に古本屋で見つけた「古美術ガイド 京都」(1964年)を必ず持って行きます。戦後の日本美術史を代表する3人の研究者、白畑よし先生、武田恒夫先生、金沢弘先生が解説を書かれていて。いろいろなお寺の襖絵の解説を読んでから、現地で実物を見て、考えるということを繰り返していますね。

―宝探しのような感じですね。子どもの頃のミステリー好きに通じるような。

そうですね。京都のお寺は、立地から考えることも重要です。この本の地図には、上京、下京が明記されていて、昔の人の地理感覚もよくわかります。

実は、桃山時代の襖絵は、もともと御所のために作られたものが、お寺に下賜されているケースがあります。ですから、そうした歴史上の経緯を考えるのもすごく面白いですね。

愛知県美術館展示室
©宮本真治(有)シンフォトワーク
名古屋城の襖絵は地元の誇り

―愛知県美術館の地元、名古屋の史跡についてはいかがですか?

やはり、名古屋城ですね。残念ながら、空襲で名古屋全域が焼け野原になってしまいましたが、名古屋城本丸御殿のほとんどの襖絵は今に残っています。戦時中、襖絵も外せるものはぜんぶ取り外して、急いで疎開させたそうです。

名古屋城には、美術史で言うところの桃山時代末の狩野派と、江戸時代の狩野派の2種類の襖絵が伝わっています。桃山時代の方の作者は分かっていない襖絵が多くて、私はその作者が誰なのか考えるのが大好きなので、公開されている時には見に行きます。

―その場所のために描かれたものが、今もその場所で見られるというのはとても貴重ですね。今はレプリカの襖絵が取り付けてあるのですか?

名古屋城の本丸御殿に取り付けられている襖絵は、愛知県立芸術大学の日本画保存模写研究会と加藤純子先生が、制作当時の状況を想定して描いた復元模写です。制作している工房を見せていただいたのですが、白黒写真を襖絵の大きさに拡大して描き写すという、途方もない作業をされていて。復元模写は、制作当初の色で描かれるので、イメージよりも派手でびっくりされるかたもいますが、当時の状況が想定できるという点でも意義が大きいと思います。

―当初の制作作業をなぞることも大事ですね。

そうですね。描き写すとなると、細部までよく見ますから、復元模写をされている方々に、技法などのお話を聞くと、とても楽しいですし、勉強になります。それほど細かく見れば、絵師の描き癖などもわかるだろうなと思いますね。

第一印象を大切に

―日本美術を楽しむヒントをお聞かせください。

最近はコロナ禍で行けていませんが、私は、京都のお寺で、見たことのない襖絵などを期間限定で特別公開している時には、必ず行くようにしています。そうしたときに、周りの人がどんなことを話しながら見ているのか、聞き耳を立てるのが結構好きです(笑)。「この絵は、つい最近描いたみたいに見える」とか、「この絵はなんだか気持ち悪い」とか。

「日本美術は難しい」という声も聞きますが、そのように、絵を初めて見たときに感じたこと、つまり、第一印象を大切にすることだと思います。「飲中八仙図いんちゅうはっせんず屏風」でいえば、「雰囲気がいいな」という第一印象から、「なぜこの絵は、おしゃれな雰囲気なんだろう」と、考えを深めていくと、線がいいとか、奥行きが面白いとか、構図がよくできているなどと、読み解いていくことができるのです。「なぜ」という疑問を常に持って、一歩踏み込んで考えることが大事ですね。

◇ ◇ ◇

由良濯・愛知県美術館学芸員(鮫島圭代筆)

子どもの頃のエジプト好き、ミステリー好きから学芸員を目指した経緯、そして京都のお寺や名古屋城で襖絵を訪ね歩く楽しさまで、たっぷりとお聞かせくださいました。みなさんも第一印象を大切にしながら、ぜひ、日本美術を楽しんでみてください。

【由良濯(ゆら・あろう)】1993年、兵庫県生まれ。育ちは神奈川県。早稲田大学文学部美術史コース卒業後、同大大学院文学研究科美術史学コースに進学。在学中は海北友松をテーマに研究。修士論文の題目は「海北友松の初期様式について―旧龍安寺方丈障壁画の筆者に関する考察―」。現在は、愛知県美術館の学芸員として日本近世美術を担当。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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