昨年、私が主催している水墨画教室で教室展を開きました。その際、参加者は各自、ワクワクしながら自分の作品を初めて軸装しました。軸装というのは、掛け軸に仕立てることで、「表具師」と呼ばれる職人さんに依頼します。
表具の技術は、古代、中国や朝鮮半島から日本に伝わりました。
古くは、紙を染めていろいろな形に仕立てる仕事のことを「装潢」と呼んだそうです。時を経て戦国時代以降に「表具」「表装」という言葉が広まりました。これは、紙や絹にかいた作品を、巻物、掛け軸、衝立、襖、屏風などに仕立てることで、やがて「装潢」も同じ意味で使われるようになりました。
このため表具師は、「装潢師」や「経師」とも呼ばれます。
書や絵をかいた和紙や絹、つまり作品を「本紙」と呼びます。
本紙は薄くて破れやすいので、掛け軸や巻物などに仕立てる前に、背面に別の和紙を貼り合わせます。これを「裏打ち」といいます。
裏打ちをすると、厚く丈夫になり、しわがのびて、見栄えが良くなります。水墨画の場合は、墨が乾く前のみずみずしい墨色がよみがえるほど、色もくっきりとします。
裏打ちには、水刷毛、糊刷毛、撫刷毛と、用途ごとに異なる刷毛を使います。
私は表具師の工房を訪ねたことがありますが、さまざまな刷毛が並ぶ様子は壮観でした。
紙の作品を裏打ちする工程をご紹介しましょう。
まず、水刷毛に水を含ませて、作品全体に水を引きます。次に、湿らせた撫刷毛を使って、しわがつかないように撫で広げます。
一方、裏打ち紙には、糊刷毛を使ってムラのないように糊を塗っておきます。
そして、物差しのような長く平たい竹の棒に、裏打ち紙の端をそっとのせてすくい上げ、本紙の上に重ねます。糊で濡れた裏打ち紙を持ち上げて、端から慎重に本紙の上に下ろしていくという、集中力が問われる作業です。
最後に、水で濡らしておいた撫刷毛を使い、しわが入らないように撫でて、本紙と密着させます。乾燥させれば、裏打ちの完成です。
和紙に描いた小さな作品の裏打ちなら、初心者でも挑戦できます。裏打ちセットも販売されているので、気になる方は調べてみてください。
とはいえ、大きな作品となると大変です。私も一度、挑戦しましたが、紙がよれてしまったり、本紙と裏打ち紙の間に気泡が入ってしまったりと、想像以上に難しい作業でした。やはり表具師さんに頼むのが賢明ですね。
本紙が絹の場合には、絹と和紙という異なる素材を貼り合わせるので、さらに高度です。
布はゆがみやすいため、四辺に細長い紙を貼り付けてから裏打ちします。そして、糊は紙を裏打ちするときよりも濃く溶いて使います。
裏打ちに使う糊もご紹介しておきましょう。
小麦粉を水でさらして乾燥させたもので、「生麩糊」といいます。生麩糊の粉を水で溶いて火にかけて寒天状にし、冷まして裏ごしして使います。ちなみに、市販の防腐剤入りの糊は、紙が変色する原因になるため使えません。
裏打ちが終わったら、そのまま額にいれて飾ってもいいですし、表具師さんに頼んで、掛け軸や屏風などに仕立てるのも素敵です。
画材店で軸装を依頼すると、どの裂地を使うか聞かれます。裂地とは、掛け軸などに使う布のことで、自分の絵の主題や雰囲気に合う色や柄の布を選ぶのです。
私は店頭でサンプルを見ても選びきれないので、いつも色や柄のイメージだけお伝えしています。この難しさは、ふだん着物を着ない人が、着物と帯などのコーディネートを考えるのと似ているかもしれません。仕上がった表具は、さすがプロのセンス! 本紙にぴったりの取り合わせになります。
掛け軸の形式にもさまざまな種類があります。たとえば、本紙を1枚の布が囲んでいるだけのシンプルなもの、本紙の上下に一文字と呼ばれる別の布が使われているもの、風帯とよばれる垂れ飾りが二つ下がっているもの、などなど。
こうした形式や、裂地の色や柄、取り合わせによって、作品の印象はがらりと変わります。表具は、本紙に衣裳を着せていくようなもので、表具師はいわば作品のスタイリストなのです。
掛け軸に仕立てる工程では、厚みやコシの強さが異なる和紙を、適切に湿らせたり乾かしたりしながら貼り重ねます。こうすると、シワがつきにくい丈夫な掛け軸に仕上がるのです。
表具師の仕事は、新しい作品の表具だけにとどまりません。古美術の修復でも活躍しています。
裏打ちに使う生麩糊は適度な粘着力と柔軟性を兼ね備え、剥がすことができるため、修復の際には、古い裏打ち紙を剥がして新しい裏打ち紙に貼り替えます。裏打ち紙には、伝統的な製法で作られた、保存性の高い特に丈夫な和紙が使われます。
このように、表具は、作品の見栄えをよくするだけでなく、補強し、保存する技術なのです。複雑で細かい工程には熟練の技が問われ、また、材料や形式、配色などの知識や美的センスも必須です。そしてなにより、大切な作品を扱うのですから、非常に神経を使う仕事です。
表具の世界はとても奥深いですね。
東京の下町には小さな表具の博物館があり、また、伝統工芸品のイベントなどで、表具に使う道具や作品を間近に見られる機会もあるようです。気になる方はぜひチェックしてみてください。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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