長澤蘆雪の絵はかわいい。
子どもや子犬はもちろん、猿や蛙、虎や竜さえも、蘆雪の手にかかるとどこかユーモラス。
ゆるキャラ好きのあなたにおすすめです。
蘆雪の絵はおもしろい。
なめくじが這っていたり、子どもたちがふざけていたり、仙人がギャグマンガみたいな顔だったり。
ユーモア好きのあなたにもおすすめです。
そして、蘆雪の腕は超一流。
かわいさもおもしろさも、卓越した技術で描かれているからこそ、説得力があるのです。
蘆雪は江戸時代中期の1754年、今の兵庫県、丹波国篠山で生まれました。父は藩主の家臣だったと伝わります。
やがて「写生派の祖」といわれる円山応挙の弟子となり、リアルに立体的に描く技を学びました。立体的な描写は、現代の私たちにとってはごく普通ですが、当時は斬新でした。
蘆雪は作品によく、氷の中に「魚」の字が入ったようなデザインの印を捺しました。これには嘘か誠か、応挙との絆をうかがわせるこんな話が伝わります。
いわく、蘆雪は若い頃、応挙の工房へ行く道中に、凍った川の中に閉じ込められている魚を見かけたが、帰りには氷が解けて自由に泳いでいた。これを応挙に話すと、「自分も修業の末、氷が解けたように自由に描けるようになった」と言われ、蘆雪も自分の絵が描けるようになったとき、前述の印を使うようになった。のちに氷の部分が欠けても使い続けたということです。
1782年刊行の京都の文化人名録『平安人物志』には、画家の部に蘆雪の名が載っています。この時、数え29歳。すでに画家として名をはせ、寺院や裕福な商人からの注文に応えていたのでしょう。
蘆雪は禅の世界にも通じていました。禅寺の襖絵を描いたり、蘆雪の絵に禅僧が賛を寄せたりしたのです。特に親しかった禅僧、斯経慧梁は白隠慧鶴の弟子でした。白隠といえば、ぎょろりとした目の達磨など、ダイナミックで奥深い禅画をたくさん描いたことで有名です。蘆雪は、そうした禅画にも影響を受けたのかもしれません。
また、心のうちを表現する文人画や、くだけたタッチの南画にも魅了され、とことんゆるい作品も描きました。その究極の一枚は、なめくじが這った跡をぐるぐると描いた「なめくじ図」でしょうか。
文人たちとも交流し、特に儒学者、皆川淇園とは親しく、淇園が開催する展覧会に出品したり、蘆雪の絵に淇園が賛を寄せたりしました。ふたりはそうした合作でお金を得るも、派手に宴会をして使い果たしたというエピソードも伝わります。
一方、プライベートでは悲しいこともありました。30代初め、妻の流産を経て、娘が誕生するも、その子も数え3歳で亡くなり、さらにその後、誕生した息子もわずか2歳で亡くなったのです。それ以前に描いた子どもの屈託のないかわいらしさに引きかえ、以降の作品には悲しげな表情も見られます。
画家としてのターニングポイントが訪れたのは、33歳の時です。
舞台は、本州最南端、紀南(今の和歌山県南部)の禅寺、無量寺。かつて大津波に遭って以来、長らく全壊したままだったこの寺の本堂を、愚海和尚が再建しました。愚海は若い頃、いつか寺を建てることがあったら絵を描いてもらう約束を応挙と交わしていました。その約束を果たさんと、応挙は京都の工房で作品を描きます。そして自分は多忙で旅嫌いだったためか、弟子の蘆雪に届けさせることに。こうして1786年末、蘆雪は愚海の案内で無量寺へと向かったのです。
底冷えのする京都を離れ、自然豊かで温暖な紀南へ。この滞在は蘆雪にとってかけがえないものとなりました。数か月、この地の寺々に逗留し、多くの襖絵や屏風絵、掛け軸の絵を描いたのです。師の影響を越え、生来の奔放さを解き放つがごとく、大胆に筆を走らせました。
なかでも傑作は、無量寺本堂に描いた「龍虎図」です。
座敷を挟んで向かい合う襖に描かれた巨大な竜と虎。虎はこちらに向かってくるようなポーズで鋭い眼光ながら、丸顔が愛らしく、ふんわりとした前足もキュートです。一方、雨雲を呼ぶといわれる竜は、滴り落ちる墨で表した黒雲のなかから猛々しい姿を見せながらも、どこかユーモラス。こうした竜虎の姿は、機知に富む禅画の伝統を感じさせます。
紀南から京都に戻った翌年、蘆雪は、京都の大半を焼き尽くした天明の大火(1788年)に見舞われました。その後、応挙一門が参加した御所の復興事業や、一門が総力を結集した兵庫・大乗寺の障壁画などでも腕を振るいました。
しかし、終わりはあっけなく訪れました。
1799年、出かけた先の大坂(大阪)で急死したのです。享年46。師である応挙の死から、わずか4年後のことでした。死因ははっきりせず、毒殺や自殺の可能性も伝わります。
応挙は立体的に描くことで江戸時代の人々を驚かせましたが、蘆雪はそうした空間表現を踏まえ、さらにさまざまなトリックを仕掛けて人々を楽しませました。
「象背戯童図」では、極端に縦長の絵の上のほうに大勢の人が見え、下のほうにはつぶらな瞳が描かれています。実はこれ、象の顔をどアップで描いて、その背中に人々が乗っている光景なのです。
全長7メートルを超える巨大な屏風「白象黒牛図屏風」には、大きな象と牛が描かれ、その大きな図体を強調するように、体の端が画面からはみ出ています。黒い牛のかたわらには白い子犬がちょこんと座り、白い象の背中には黒いカラスがとまる構図はかわいらしく、おかしみがあります。
蘆雪の子犬は、応挙が毛の一本まで緻密に描いた優等生風の愛らしさとは違い、筆遣いが大胆で、ポーズはいたって気まま。足を投げ出してだらりと寝そべったり、お腹を見せたりと、表情ものんびりと幸せそうです。
蘆雪は、絵を見る人々の反応を想像してワクワクしながら描いたのかもしれません。
大きな絵の迫力に驚いたり、「これは何が描いてあるの?」と疑問に思ったり、トリックを理解して喜んだり、かわいらしさに思わず笑みがこぼれたり。
ぜひ、時を超えて蘆雪との対話を楽しんでみてください。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
0%