現代の私たちが着る「きもの」は、江戸時代まで「小袖」と呼ばれていました。その源流は平安時代以前にさかのぼり、動きやすさを重視して生まれた庶民の労働着でした。平安時代以降は、貴族や上流武家が着る束帯や十二単などの下着としても用いられるようになります。それが近世、下着から表着へとランクアップし、老若男女・身分の別なく身につける衣服となったのです。
近代以前、豪華な調度品を楽しめるのは上層階級のみで、庶民は色味の少ない薄暗い室内で、無地のきものを着て生活していました。江戸時代になると、色や柄が華やかな小袖が上層町人にも広まり、江戸の町を彩るようになります。木綿の普及や染織技術の改良、流通の整備などが進むとともに、急速に経済力をつけた町人が台頭したのです。彼らは伝統にこだわらず、遊女やかぶき者のファッションも取り入れたため、斬新なデザインが次々と生まれました。そのインパクトは、街なかに色があふれる現代よりもずっと大きかったことでしょう。
洋服の形はジャケットやワンピースなど様々ですが、小袖は、時代ごとに身巾が狭くなったり、袖の振りや丈が長くなったりした程度で、ほぼ変わりません。それに和装では髪飾り以外、洋装のような豪華なアクセサリーもないため、小袖の柄や模様の流行こそがトレンドの軸でした。
寛文6年(1666年)は、江戸のファッション史上、記念すべき年です。現存最古の小袖模様雛形本(様々な柄の小袖の絵を掲載した版本)である『新撰御ひいなかた』が刊行されたのです。それ以前の小袖といえば、きもの全体に隙間なく刺繍や絞り染めを施す「地無」が主流でしたが、この本には小袖全体が一枚の絵画のような大胆なデザインがずらり。
以降、出版というメディアの発達とともに、小袖雛形本が次々と刊行されました。徳川将軍家から後水尾天皇のもとに入内した東福門院和子が京都の呉服商・雁金屋に注文した小袖のデザインも、こうした本を通じて世に流行したといいます。裕福な女性は小袖を注文するときに参照するデザインブックとして使い、庶民もファッション雑誌のように眺めて楽しみました。
小袖雛形本はトレンドを世間に伝えると同時に、新たなトレンドを発信するメディアだったのです。流行は江戸・京都・大坂にとどまらず、地方へも広がりました。
商家ではときに、誰の小袖が一番伊達(お洒落)かを競う、衣装比べをしたとか。江戸時代、商人はいくら裕福でも社会的な身分が低かったため、女性の豪華な衣装で経済力を見せつけたのでしょう。それが行き過ぎて財産を没収される商家もあったといいます。
小袖雛形本には、菱川師宣を始め多くの絵師が参加したため、デザイナーへの注目度も高まりました。モードの発信地・京都には、スターデザイナー、宮崎友禅が登場。友禅が描いた扇絵の模様をきものに染めるために発展した染織技法が、ご存じ「友禅染」です。
当時、幕府は豪華な装いをたびたび取り締まり、1683年には、手の込んだ絞り染めの「惣鹿の子」、金箔や銀箔を縫い付ける「縫箔」、そして金糸を使った刺繍の「金紗」の装飾技法を禁じました。呉服業界はこの苦境を乗り切ろうと、繊細で色鮮やかな模様を表現できる染色技法「友禅染」を開発したのです。
友禅が活躍した元禄期(1688~1704年)には「描絵小袖」も流行しました。「描絵」とは、布地に直接模様を描く染色技法です。
描絵の歴史は古く、日本最古の作例は正倉院に伝わります。平安時代の『栄花物語』には、内親王が女房たちの衣に美しい絵を描いたと記され、鎌倉時代の『源平盛衰記』には、鎌倉幕府執権・北条時頼が描絵の狩衣を着たとあります。室町時代中頃から江戸時代初めまでは、絞り染めを主体に描絵を併用する「辻が花」の技法が流行し、戦国武将の胴服や高貴な女性の小袖を彩りました。
友禅による描絵小袖は今に残っていませんが、江戸時代の百科事典によれば、「描絵は昔からあるので珍しくないが、宮崎友禅が墨で描いた描絵をきっかけに流行した」とか。
有名な絵師に描絵小袖を注文することは、お金持ちのステータスでした。なかでも、画壇の主流・狩野派による描絵は羨望の的。やまと絵の正統を受け継ぐ土佐派は、古典文学の場面を墨で描くのを得意とし、そのほか、琳派や南画派、四条派の有名絵師も描絵小袖を手がけました。
こうした一点物の特注品のほか、専門の画工が複数の小袖に同じ絵柄を描く量産品も販売されていたようです。当時の浮世草子には「近年書絵小袖を仕出し、俄分限となりぬ」と記され、描絵小袖で一財を築くものもあったとか。
描絵は水に弱いためか、墨で源氏絵が描かれた白いきもの姿の女性が雨に降られた様子を詠んだ、ユーモラスな狂歌も伝わっていますよ。
白ねりに墨で源氏をカキクケコ 雨にあたりて身はラリルレロ
前述の呉服商・雁金屋に生まれ、琳派の絵師として大成した尾形光琳もまた、描絵小袖を手がけました。「光琳小袖」と呼ばれ、つとに有名なのが「小袖 白綾地秋草模様」、通称「冬木小袖」です。光琳が50歳前後に京都から江戸に数年間移り住んだ際、滞在した深川の大きな材木問屋・冬木家の奥方のために描いたと伝わります。
白い絹織物の小袖に藍と墨の濃淡で描かれた、涼やかな桔梗の花、可憐な菊の花、そして伸びやかな萩や芒。金泥を引いた花芯や葉脈も華やか。腰まわりには絵がなく、さすが呉服商の息子らしく、着ると帯の下に隠れる部分を把握していたことがうかがえます。
有名絵師による一枚の絵を全身にまとうなんて、とても贅沢ですね!
この小袖は300年の時を経て劣化が進み、今後2年間の修理が予定されています。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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