前回のコラムでご紹介した通り、雛人形は「貴族の子どもたちの人形遊び」と「穢れを祓う人形(ヒトガタ)」の伝統が溶け合って生まれました。そのため、雛人形には手に取って遊ぶのはためらわれるような神々しさがあります。
雛壇には内裏雛以外にさまざまな人形が飾られますが、そのなかに、お祓いや祈りをより直接的な起源とするものがあります。「日本人形の原点」ともいわれる「天児」と「這子」です。
医療が発達していなかった時代、多くの幼い子どもが成人する前に病気などで命を落としました。
遠く縄文時代には、安産や子孫繁栄の祈りを込めた女性の土偶が数多く作られたように、安産や子どもの健やかな成長は、親の切実な願いだったのです。
平安時代の貴族たちは、身代わりとなってこどもを守るとされる人形「天児」と「這子」をわが子の枕元に飾ったといわれます。
天児とは、丁字形に木を組み、白い絹で作った丸い頭をつけ、産着などを着せた人形です。
「源氏物語」の第19帖「薄雲」にも天児がでてきます。
光源氏の願いにより、紫の上の養女として二条院で育てられることになった明石の姫君が引っ越しをする場面で、姫君の乳母たちが守り刀や天児を持って同行するのです。
とはいえ当時の天児がどのような形だったかはわかっていません。今に伝わるT字型の天児は、宮中のお祓いの儀式で使われた人形をもとに生まれたといわれます。
一方、這子は、綿を詰めたぬいぐるみのような人形で、赤ちゃんが這い這いする姿を表したものといわれます。
天児と這子はどちらも、後世に嫁入り道具に加わり、雛壇にも飾られるようになりました。
這子は庶民にも広まり、女の子のおもちゃとしても親しまれました。
かわいらしい張り子細工の「犬筥」も、江戸時代中期に雛壇に加わったといわれます。紙を貼り合わせて作った箱で、オスとメスのペアになっています。犬はお産が軽いため、安産のお守りや子どもの厄除けとして、古くは産室や寝室に置かれました。
ところで、日本人の多くは人形が壊れたとき、ゴミ箱に捨てることには抵抗を感じるのではないでしょうか。
「人形のルーツは身代わりとなって穢れを祓うヒトガタである」というのが無意識下にあり、人形には魂が宿ると感じるためかもしれません。
東京の明治神宮や京都の宝鏡寺など、各地の寺や神社では、毎年、人形供養が行われています。人々が捨てきれなかった人形を持参し、たくさん遊んだ人形に感謝して、供養してもらうのです。
また、千葉県の佐原の大祭や、埼玉県の川越氷川祭などでは、人形を載せた山車が町を練り歩きます。
こうした人形の供養や祭りは、西洋人の目には不思議に映るといいます。ヨーロッパの歴史上、人形といえば、洋服を見せることを目的とした人形、あるいは、こどものおもちゃでした。信仰がルーツにある日本とは、人形に寄せる思いが異なるのかもしれません。
ヨーロッパでは、木、紙、粘土、おがくず、ワックス(ろう)、セルロイドなど、様々な素材の人形が作られてきました。マリオネットと呼ばれる操り人形や、ドールハウスも知られます。磁器で作られた高価で美しいビスクドールは、19世紀の王族や貴族に愛されました。ワックスドールは、ロンドンにあるマダム・タッソーのろう人形館で有名ですね。
19世紀後半には、おがくずやセルロイドを原料に、人形の大量生産が可能になり、20世紀に入ると、映画やアニメのキャラクターをモデルにした人形やキューピー人形がこどもたちに愛されました。現在では、ソフトビニール製の人形がポピュラーですね。
そのほか、世界に広く目を向けると、インドネシアの舞踊人形、アラスカの毛皮をまとった人形、ケニアの編み人形など、文化に根差した伝統的な人形が各地にあります。
そんななか、日本ほど種類豊富で質の高い人形がある国は珍しいといいます。
神社のヒトガタに始まり、雛人形、五月人形、御所人形、加茂人形などの観賞用の人形、京都の伏見人形や福岡の博多人形など全国各地の郷土人形。そして、こどもが遊ぶ着せ替え人形、人形浄瑠璃の文楽人形、洋服売り場のマネキン、アニメのキャラクターをモデルにしたフィギュアまで、多種多様ですね。
みなさんのなかには、小さい頃に折り紙や草花で人形を作ったという方もいるかもしれません。
近代には芸術のジャンルとしても確立し、多くの人形作家が活躍してきました。
衣装人形の平田郷陽、布製創作人形の辻村寿三郎、球体関節人形の四谷シモン、人形アニメーションの川本喜八郎など、それぞれ独創的で芸術的な人形で知られ、多くのファンがいます。
また、平田郷陽をはじめ、数人の人形作家が人間国宝に認定されています。このように国が人形制作者に芸術上の地位を認めているのは、日本だけといわれます。
日本の人形文化は、とても奥深く豊かなのですね。
2020年2月に、埼玉県の人形の町、岩槻に開館した人形博物館では、 8月23日(日) まで開館記念名品展「雛人形と犬筥・天児・這子」が開催されています。吉祥文様が美しく描かれた江戸時代の犬筥は一見の価値あり。この機会にぜひ、人形の町に足をのばして豊穣な人形文化に触れてみませんか?
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
開催概要
日程
2020.7.11〜2020.8.23
午前9時~午後5時
※入館は閉館時刻の30分前まで
岩槻人形博物館
埼玉県さいたま市
岩槻区本町6-1-1
一般 300円(200円)
高校生・大学生・65歳以上 150円(100円)
小学生・中学生 100円(50円)
※( )内は20人以上の団体料金。
※障害者手帳保持者と付き添い人1人は半額。
休館日
月曜日
※8月10日(月・祝)は開館
お問い合わせ
Tel. 048-749-0222
Fax 048-749-0225
0%