「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!
今回お話をうかがったのは、江戸東京博物館(東京都墨田区)の春木晶子学芸員です。紹介してくださるのは、「武蔵野図屏風」(江戸東京博物館)。絵をじっくり見ることで、絵の細部に気づき、絵師が織り込んだメッセージを想像して、読み解いていく楽しさを話してくださいました。
―「武蔵野図屏風」の魅力は?
「武蔵野」は日本の伝統的な画題です。なかでもそれを屏風に表した「武蔵野図屏風」は、多くの作品が残っており、大学時代から、いろいろな画集や展覧会で見て、すごく好きでした。
最初は、画面の下の方に月が描かれていることに、「何これ?」と驚いて(笑)。全体をススキが覆っているのも不思議ですし。でも「なんだか、かっこいいな」と。それで江戸東京博物館(江戸博)に赴任したときに、館蔵品の二つの「武蔵野図屏風」を調べ始めたのです。
武蔵野は古来、「京都から見た、東の果ての草むらが広がる地域」というイメージで、和歌に詠まれたり、絵に描かれたりしてきました。そのため、屏風全体を、京都から見た東の光景として、月と富士山を描く「武蔵野図屏風」の図様が生まれたと考えられます。
一方、江戸博所蔵のこの作品を含めて、いくつかの「武蔵野図屏風」では、右に筑波山と考えられる山、左に富士山と月が描かれており、これは、のちに生まれた図様だと思われます。屏風の右左は、東西に対応していることが多いです。「東に筑波山、西に富士山」というのは、江戸から見た位置関係ですよね。ですから、江戸の絵師ならではの発想で生まれた、武蔵野図の更新版ではないかと。まさに江戸博にふさわしい「武蔵野図屏風」なのです。
月の部分は銀箔が貼ってあるので、今は酸化して黒ずんでいますが、当初は銀色に輝いていたはずです。すごく低い位置に描かれ、草むらに埋もれていますね。武蔵野は、草むらの地平線に月が沈む様子が見えるくらい何もない野原として、和歌に詠まれてきたことを描き表したのです。筑波山は緑豊かで、富士は白い雪化粧、という対比も、和歌に詠まれてきました。
-真横に区切られた構図も不思議ですね。
3層になっていますよね。ミルフィーユみたい。「武蔵野図屏風」には、2層になっていて、下の層が草むらで、上の層が金雲の作例もあり、それが初期の構図だと思います。のちに、その上に、富士山が描かれるようになり、3層になったのでしょう。金雲は、雲を表しているというよりも、草むらでないところを示しているのだと思います。
-今でいう、壁紙のデザインのような感じでしょうか?
そうですね。日本には伝統的に、工芸と美術の区分がなかったわけですが、まさにそれを体現していると思います。「武蔵野図屏風」の多くは工房制作で、サインがなく、制作年代も絵師もわかりません。ある程度、裕福な人が、宴会や和歌の会などの際に部屋に置いたり、間仕切りにしたりして使ったのでしょう。純粋に鑑賞する絵という感覚ではなかったと思います。
江戸博の所蔵品からもうひとつ、「小塚原図」も紹介します。こちらは面白いことに、幕末の4人の作家の合作です。菊池容斎が月の中の遊女と、犬と地蔵が佇む荒れ地を描き、その周りに柴田是真が金泥で地獄を描き、上下に鈴木守一が極楽のイメージで、楽器と睡蓮を描いています。軸は、加納夏雄の制作です。
小塚原は、今の南千住のあたりで、江戸の処刑場でした。吉原からも近く、幕府黙認の娼婦もいた地域です。この絵には、処刑者を弔うお地蔵さんの影が描いてありますよね。先日、このあたりに行ったら、江戸時代前半に作られた、かなり大きなお地蔵さんが今もありました。容斎の絵では骨が散らばっていますが、それもよく知られた小塚原の光景でした。
遊女の着物の文様は、小野小町の和歌です。小町には、美しくて人気者で、でも、最後は老いて、一人寂しく死んだという伝説があります。これは、美しい女も最後は骨になるのだという、煩悩や艶色への戒めを込めたもので、ミソジニー(女性嫌悪)と結びついた発想ではないかという研究もされています。
「通小町」という謡曲があるのですが、小野小町に恋して百日も通いつめた深草少将が、亡霊になって小町につきまとうという話で、「さらば煩悩の犬となって、討たるると離れじ」という一節があります。「犬になってお前につきまとってやるぞ」ということです。
絵の左下に、犬が描かれていますが、これは骨にも見えるように描いたのではないかと思います。容斎の弟子がこれをもとにして描いた絵では、犬ではなく明白に人骨になっています。遊女の着物に書かれた小野小町の和歌と、犬にも見える骨という組み合わせは、煩悩にとらわれた深草少将を連想させます。
菊池容斎は、この絵の制作前に「九相図」を描いています。人が死んで朽ち果てるまでの過程を描く伝統的な画題なのですが、日本ではなぜか、いつも小野小町をモデルに描かれてきました。美しかった小町が死んで醜く膨れて、最後は骨になるというものです。これには、仏教における、女は不浄という考えがもとにあるわけです。容斎の「九相図」の、骨・灯籠・雲煙を描く部分の構図は、「小塚原図」の犬(骨)・地蔵・雲煙を描く部分の構図と一致します。「小塚原図」にも、美しい遊女であれ、やがて死体となって朽ち果てる、という意味が込められているのだと思います。
菊池容斎の絵の周りに、柴田是真が地獄を描いていますが、これは、深草少将が煩悩のあまりに犬となって地獄を巡るイメージではないかと。また、お地蔵さん、つまり、地蔵菩薩は、地獄に落ちた人を救済する菩薩ですから、そうした意味でも、地獄を描いたのかもしれません。
これに対して、鈴木守一は極楽のイメージを描いています。この花は、睡蓮とされますが、河骨という花にも似ています。当時の思想で「美しい女も皮を一枚めくれば、骨になる」というものがあったため、水に浮かぶ花も、やがては皮と骨になるという意味を込めたのかなと。河と皮は音が通じます。
軸は加納夏雄の制作ですが、右側の軸端の円形の部分に「善」、左側の軸端に「悪」の文字が表わされています。戯作者・山東京伝が書いた本に、真面目な青年が、悪玉にほだされて吉原に通い詰め、身を滅ぼすという話があり、その挿絵に、頭に「善」と「悪」の文字が書かれた2人のキャラクターが登場し、当時とても流行しました。今でも、善玉、悪玉という言葉が残っていますよね。この軸の「善」と「悪」も、そこから取ったものではないかと思います。
つまり、この作品は、「煩悩や艶色を戒める」という倫理的なテーマのもとで、4人の作家がしゃれを利かせながら制作したものではないかと思うのです。
-そのように絵を読み解いていくと、とても面白いですね。
私も美術史を学び始めた頃は、全く知識がなく、「この絵はかっこいいな」というところから入ったのですが、「でも、なぜかっこいいと思うのだろう」という疑問から研究を深めていきました。みなさんも、作品を見て「かわいいな」「気になるな」などと、なにかひっかかることがあったら、それを逃さず、入り口にしてもらえたらと思います。入っていくと、抜け出せくなる世界ではありますけれど(笑)。
◇ ◇ ◇
春木さんのナビゲートで、絵の意味を探っていく面白さを追体験していただけたのではないでしょうか。次回は、恩師との出会いから学芸員を目指した経緯から、絵の読み解きの楽しさに目覚めるきっかけとなった作品まで、たっぷりとうかがいます。
【春木晶子(はるき・しょうこ)】1986年生まれ。北海道大学文学部人文科学科卒、米ポートランド州立大学留学、北海道大学大学院文学研究科博士前期課程終了。2010年から北海道博物館学芸員、17年から江戸東京博物館学芸員。担当展覧会に「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―」(北海道博物館ほか、2015~16年)、「相撲の錦絵と江戸文化」(江戸東京博物館、21年9月5日まで開催中)ほか。共著に『北海道史事典』(「アイヌを描いた絵」、16年)ほか。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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