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2021.6.21

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 6-下 高橋裕次さん(大倉集古館学芸部長)

国宝「古今和歌集序」

高橋裕次・大倉集古館学芸部長へのインタビュー。今回は、高橋さんが、これまで顕微鏡の装置を工夫しながら切り開いてきた和紙研究の道のりと、これからの可能性についてうかがいました。想像以上に世界で活用されてきた和紙にちなむエピソードも語ってくださいました。

国宝「古今和歌集序(巻子本)」(部分)
藤原定実筆 平安時代・12世紀
(東京・大倉集古館蔵)
古文書に魅せられて

―子どもの頃から、美術に興味はありましたか?

小学生の頃、本当は絵を習いたかったのですが、書道をやりなさいと言われて。お手本の上に半紙をのせて文字をなぞって、先生に朱で×と書かれたり、そんな感じでした。美術をきちんと見た最初の思い出は、1969年に茨城県立県民文化センタ-(水戸市)で開催された国立西洋美術館の松方コレクションの西洋絵画の巡回展に行ったことです。中学生のときに描いた絵がコンクールで佳作になって、新聞に出たこともありました。将来は文化に関わる仕事がしたいと思っていました。

中央大学文学部の国史学科では、古代・中世の古文書の写真を解読したり、江戸時代のオランダ商館と日本の交易に関する文書を友人と一緒に苦労して読んだりしました。大学院では、鎌倉幕府の将軍家直轄領の支配制度を国家史の観点から研究していました。指導教官の佐藤進一先生は、日本中世史の研究者で、古文書からその当時の法慣習や人々の思想などを導き出す法制史が専門でした。先生は、東京大学の史料編纂へんさん所で、影写本えいしゃぼんを使った研究を何十年間もされていました。影写本とは、古文書の上にガラス板を置き、その上に紙を置いて、下から光を当てて透き写したものです。史料編纂所には、全国各地の古文書の影写本が数多く所蔵されており、私も大学院生のときに県史編纂のために、影写本を片っ端からめくって、関係文書を探し出す仕事をしていました。

佐藤先生は自分の研究は「影写本古文書学」であり、文書の料紙についてはよくわからないとおっしゃっていましたが、その後、先生が今後の古文書研究に大きな影響を与えると高く評価されていた方からも料紙研究の指導を受けることができました。佐藤先生ご自身は太平洋戦争で戦った兵士が残した日記の解読をとおして、日本軍の情報戦略の実態を分析することをライフワークとされており、何のために歴史を研究するかという先生の考えの一端を学びました。そして、採用試験を受け、大学院の博士後期課程3年を中退して、1985年1月1日付で文化庁に入りました。

各地で書の文化財を調査

文化庁の文化財保護部美術工芸課に、書跡・典籍、古文書の文化財調査官として勤務しました。業務は、全国各地の美術品の調査をして、保存すべきものを提案し、専門調査会、審議会を経て、重要文化財や国宝を指定するというものでした。絵画、彫刻、工芸、考古、歴史資料など、分野ごとに2~3人、全部で約20人ほどの職員がいました。調査は全国各地に及び、多いときは海外も含めて年間に100日ほど出張したこともあります。歴史上に著名な空海などの書跡、和歌集や経典などの典籍、古文書など、文字に関わるものはすべて調査対象です。記録写真をたくさん撮るのですが、作品の取り扱いはもちろん、撮影も自分で行います。一眼レフカメラと三脚などをそろえると初任給がなくなりました。出張では36枚撮りのフィルム100本を1週間で使い切ったこともあります。また、文化財の保存のために収蔵庫を建設し、修理の場合にはその方針や処置法も検討します。修理の工房に何回も足を運び、修理方法を話し合うなかで、料紙研究の必要性を痛感しました。

新しい探究の扉

文化庁での最初の調査は、奈良の法隆寺でした。1週間ほどの出張で、奈良時代から鎌倉時代のお経がたくさん入った木箱を渡されて、詳細な調書を作成します。書誌学的なデータを取るなかで、紙の種類を書く欄があり、紙の見分け方として、指先での感触がツルツルしていたらこうぞの混じった雁皮紙がんぴしであるなどと教わりました。

ところが文化財の保存修理の関連で、料紙の分析を実施してみると、予想とは異なる結果が判明することがあり、それ以降、料紙を顕微鏡で調査することになりました。

例えば、縁起絵巻などに使われている表面が滑らかな紙は、雁皮の紙だと考えられていたのですが、楮の紙をたたいて平滑にした「打紙うちがみ」であることがわかりました。楮か雁皮かは、顕微鏡で観察すれば判断できますが、その根拠を具体的に示す必要があります。

普通の顕微鏡だと、紙をそのままの状態では観察できないので、携帯型の顕微鏡を使い、顕微鏡のメーカーからアダプターを取り寄せて小型カメラを取り付け、100倍程度の拡大写真を撮れるよう工夫しました。また、作品に直接、顕微鏡が触れないよう、スタンドに取り付け、自由自在に動かせるよう改造を加えて、広い範囲を観察できるようにしました。

文化庁に17年勤務したあと、東京国立博物館に15年勤め、その後、大倉集古館に移って今に至ります。

大倉集古館展示室(同館提供)
美や感性まで伝えたい

和紙がもつ修復資材としての特性は、ヨーロッパでも知られており、イタリア・フィレンツェの洪水で被害を受けた壁画の修復にも和紙が使われました。とはいえ、機能性ばかりが注目されているようにも感じます。和紙は繊維を傷めないように丁寧に処理しているからこそ、しなやかでなじみやすく丈夫であるということ、そして、そうした機能性のうえにある美しさや感性まで伝えていきたいですね。

清少納言は「枕草子」に、「嫌なことがあって、どこかに行ってしまいたいと思っているときに、陸奥紙みちのくがみという紙を手にすると、気持ちを切り替えることができる」と書いています。陸奥紙はのちに檀紙だんしと呼ばれ、高級な紙として貴族に愛用されました。「彩られた紙」展(大倉集古館、2021年)では、その一例として、平清盛の娘の徳子(建礼門院)が高倉天皇との間に皇子(安徳天皇)が生まれた際の儀式の詳細を記した日記などを展示しました。

実は、レンブラント(17世紀、オランダの画家)は、東インド会社によって輸出されていた日本の雁皮紙を、版画作品に使っています。版画を刷り上げたあと、仕上げに金属の道具で線を加える際に、西洋の紙だと硬くて金属の先が減ってしまうため、薄くしなやかで強い雁皮紙を好んだのではないかと考えられます。

近年、その産地が話題になり、当時一番シェアを持っていた越前(福井県)の雁皮紙ではないかということになりました。和紙は、くときに竹ひごを糸で編んだを使うため、その糸目などの痕跡が漉きあげた紙にうっすらと残るのですが、越前の雁皮紙では、その幅が3センチほどで、それと同じ特徴を持つレンブラントの版画が国立西洋美術館で見つかったのです。その後、オランダのアムステルダム国立美術館で、レンブラントの作品数十点を顕微鏡で調査して、日本産の雁皮紙と中国産の宣紙などを確認することができました。

顕微鏡による紙の研究を多分野へ

今後は、従来のように紙から繊維を採取して観察する方法だけではなく、紙の状態のままで観察すると、どれほど多くのことがわかるかを伝えていきたいです。10万円程度の顕微鏡があれば、パソコンにつないで画像を撮るなど、さまざまな調査によって、紙の性質がわかります。そうした方法を伝えることで、書以外の分野でも紙の研究がもっと進んでいけばと思います。なお、「彩られた紙」展では、その試みのひとつとして、円山応挙筆の巨大な関羽図や、大津絵(江戸時代に東海道の大津で売られていた土産物の絵)をそうした観察結果とともに展示しました。

和紙文化の継承への貢献

近年どんどん広がっている和紙の可能性についてもお伝えしていきたいですね。車のブレーキに摩擦を防ぐパーツとして炭素繊維を用いた紙が使われたり、医学の分野では、菌が侵入しない特殊な紙袋が開発されたりしています。旧大倉財閥の関連企業のひとつ、特種東海製紙はそうした機能紙のトップメーカーで、「新しいものを作るには、古い紙を研究して、そこから得た学びを生かすべきだ」という方針のもと、古い紙をコレクションしていました。現在その一部は当館の寄託になっており、「彩られた紙」展の作品のなかで重要な位置を占めています。

また、現代の和紙作家から問い合わせをいただくこともありますので、調査で明らかになった料紙の装飾方法なども広くお伝えしていければと思います。

大倉集古館では6月15日から、大倉コレクションの名品と、画家・間島秀徳氏の作品を取り合わせた特別展FUSIONが開かれています。ぜひご覧ください。

◇ ◇ ◇

高橋裕次・大倉集古館学芸部長(鮫島圭代筆)

「パソコン社会で、紙はもういらないと考えられていたりしますが、決してそうではないと思います」と力強く語ってくださった高橋さん。ユネスコの無形文化遺産にもなった和紙の可能性を、皆さんにも存分に感じていただけたのではないでしょうか。展覧会で、その奥深い世界に親しんでみてはいかがでしょう。

【高橋裕次(たかはし・ゆうじ)】茨城県水戸市出身。1985年、中央大学大学院博士後期課程を中退し、文化庁文化財保護部美術工芸課に17年間勤務。文化財調査官として書跡・典籍、古文書の国宝・重要文化財指定など、文化財保護の実務を担当。2002年から、東京国立博物館で「西本願寺展」「宮廷のみやび」「大琳派展」「和様の書」など特別展の企画・展示に当たった。同館博物館情報課長、保存修復課長を経て、17年から、大倉集古館学芸部長。専門は史料学、博物館史。主な論文に「東京国立博物館所蔵文書に見る料紙の変遷について」(「古文書料紙論叢」湯山賢一編)、「宮廷文書典籍料紙の特性と保存」(韓国学中央研究院・国際シンポジウム)。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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