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重要文化財「月次風俗図屏風」
8曲1隻 室町時代・16世紀
(東京国立博物館)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

2021.6.10

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 5-上 稲庭彩和子さん(東京都美術館学芸員)

重要文化財「月次風俗図屏風」

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回は、東京都美術館の稲庭彩和子学芸員にお話をうかがいました。紹介してくださったのは、重要文化財の「月次つきなみ風俗図屏風びょうぶ」。その魅力とともに、学生時代の法隆寺での感動や、「美術と人をつなげたい」という熱い思いを抱いてのイギリス留学まで、たっぷりと語っていただきました。

ライブ感ある月次風俗図

青山学院大学の大学院で美術史を学んでいたときに、東京国立博物館(東博)の絵画室に非常勤職員として勤めていました。東博の常設展示室で「月次風俗図屏風」を初めて見たのは、その頃でした。

16世紀末頃の作で、現在の岩国(山口県)の吉川家に伝来したとされる八曲一隻の屏風なのですが、四季折々の行事が密度高く描かれていて、見ているだけで楽しい気持ちになります。重要文化財に指定されています。

歴史が好きで、大学は史学科で日本の中世史を主に学びました。1990年代当時は、絵画資料などから歴史を紐解ひもといていく研究が注目をされていた時期で、高校までの教科書に書かれていた政権中心の話ではなく、絵巻から読み解く町の庶民や様子や、海で生活する民の歴史などがとりあげられていて、なるほど現実はもっと多様であって当然だなと、すごく関心を持ちました。卒論では、国宝の「一遍上人絵伝いっぺんしょうにんえでん」(東京国立博物館蔵)に描かれている農耕の風景を取り上げました。そうした経緯で大学院では美術史を専攻したのです。

雪遊びの風景(「月次風俗図屏風」の8枚目 )
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

月次風俗図には、16世紀末の多様な人々の営みが、細かく美しく描き出されています。非常にライブ感があって。雪遊びなど、人々の表情が生き生きと描き分けられて、田植えの様子などは田楽の音が聞こえてきそうです。生きる喜びのようなものが伝わるように描かれていて。季節の行事が中心ですが、富士山や月、動物、衣服、食など、じっくり見ていたら、1時間ぐらいあっという間に過ぎてしまいます(笑)。楽しめるポイントが満載なので、この屏風を描いた絵師は、サービス精神旺盛な人物だったのではないかと思います。

田植えの風景(「月次風俗図屏風」の4枚目 )
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
法隆寺で受けた衝撃

― 子どもの頃から、美術は身近にありましたか?

母が趣味でずっと絵を描いていて、幼稚園の頃には油絵で大きなパネルに白雪姫を描いてくれたりしましたね(笑)。でも、私は描かないので、「絵を描くのは苦手」という方の気持ちもすごくわかります。画家がすらすらと手を動かす姿は、すごく魅力的だなと思います。

なにより衝撃を受けたのは、中学の修学旅行で行った奈良の法隆寺でした。

お寺の伽藍がらんというのは、建造物の配置がすごく練られて造られていますよね。それが1000年の時を超えて今に伝わっている、その空間自体にとても感動したのです。長い年月の間風雨に耐えた建造物の柱に触れられることさえうれしくて(笑)。

その修学旅行中に熱を出してしまい十分見られなかったので、高校1年の時に親友を誘ってリベンジし、その後も、年に2回は奈良や京都に行っていました。中学生の頃は、山岸凉子りょうこの「日出処ひいづるところの天子」、梅原たけしの「隠された十字架」、黒岩重吾じゅうごの「聖徳太子―日と影の王子」など、歴史系の漫画や本もたくさん読みました。

大学受験では史学科のほか、心理学科も受けたのですが、今振り返ると、芸術的な空間がどのように人の気持ちに影響を与えるか、ということに関心があったのだと思います。

100年ごとのバトンタッチ

大学3年の時、大学の先生に声をかけていただき、東博の法隆寺宝物室でアルバイトをしました。法隆寺の献納宝物の源流に関する研究で、東南アジアなどに調査に行く大規模な科学研究費のプロジェクトがあったのですが、その調査で研究者の方々が撮影してきた各地の遺跡などの大量のポジフィルムを整理する仕事です。

それまで、法隆寺に行く時は、飛鳥時代に作られた遠い過去のものを過去のものとして見にいく感覚だったのですが、そのプロジェクトにおける法隆寺は、数多くの現役の研究者が現代の視点から調査をしている、いわば、現代的な視点から法隆寺をとらえているわけです。

東博で一日中、誰とも話さず、その法隆寺につながる各地の文化遺産の膨大な写真を整理するうちに、時間の感覚がすごく広がった感じがしました。人間の一生が100年とすると、100年ずつバトンタッチして今につながっていて、その歴史に地続きの一番未来の先端に自分はいるのだということを実感して、感激したのです。自分ひとりの生命体としての時間は限られていますが、いにしえの文化財を通して、それを超える時間軸が自分の中に生まれたような感覚でした。

それで、美術の一番大切な役割は、人の生きるエネルギーを、作品を介して次の時代へとバトンを渡していくことだと考えるようになりました。美術館はそのための機関として、現代を生きる多様な人々の心に、作品を届けて、人が生きることをつないでいく役割を担っていると思います。

稲庭彩和子・東京都美術館学芸員(鮫島圭代筆)
美術と人をつなぐために

当時の東博の常設展示室は、観光か修学旅行か、美術愛好家だけが来る場所という印象でした。修学旅行の学生が、展示物はちらりとしか見ずに、横にある解説キャプションに書かれた「国宝」という表示を確認して、写真を撮って帰ってしまう姿を見て、すごくもったいないと思って。日本美術の魅力を自分と若い世代の人にも伝えたい、それには従来のやり方では足りないと感じ、大学院では美術館の教育活動について専門的に学びたいと思ったのですが、大学の先生の助言もあり、まずは基礎を学ぶために修士課程は美術史に進みました。

美術史学の修士課程修了後は、美術館の教育活動を専門的に学びたいと、神奈川県の助成制度に応募して、県派遣の職業研修として2年間ロンドンに滞在しました。1年目は大英博物館の日本部、2年目は教育部でお手伝いをさせていただきながら、2年目はロンドン大学の修士課程でミュージアム・スタディーズを専攻し、特にミュージアム・コミュニケーションに関心を持って研究をしました。

― ロンドンではどんなことを学んだのですか?

日本の大学で学べる博物館学は、教育学の一部門ですが、イギリスでは、ミュージアム・スタディーズは社会学のひとつに位置づけられています。美術館は重要な社会基盤であり、公的な資金によって作品が保存されているわけですが、そうした文化財が社会の中でどのような役割を担っているのか、私たちとどういう影響関係にあるのか、人間と社会との関係を研究する学問としての位置づけなのです。

一つ目に重要なことは、人々が作品を見ることで文化に関わり、価値を生み出す。その価値が、新たにその作品に付与され、次の世代に渡されていくということです。見る人がいることで、文化的価値が生産し続けられ、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が増幅していくのです。例えば、法隆寺は世界文化遺産にもなって、広くその価値が認められているわけですが、多くの人々が法隆寺を見て何かを感じていること自体が新たな価値を生んでいるということです。

二つ目は、「文化への参加」が、すべての人が生まれながらに持っている、幸福に生きるための権利の一つだということです。イギリスは入場料無料の美術館が多く、誰もが文化財にアクセスする権利を持っているという考えが、より明確に社会で合意されているのだと思います。一方、日本ではそうした権利についてしっかりと認識する機会がなく、いまだに、作品に関心がある人、価値がわかる人だけが見に来ればいいという考え方が根強いと感じます。

三つ目は作品や文化財などモノから学ぶ体験の価値についてです。国語の読解を学ぶように、絵を見ることも実は練習が必要です。でも、日本では、作品をよく見て学ぶ体験の機会が高校卒業までの間にあまりありません。そうした実物に接して、本物とコミュニケーションする体験を通して得られる、文化的価値は大きいです。英語が話せれば、英語圏の人とも交流できるように、作品や文化財を実際に見て学ぶ機会があれば、多様な文化とのコミュニケーションの回路が広がります。美術館は、すべての人にそうした実物から学ぶ体験を格差なく提供できる場所になることが理想です。

私がロンドンで学んだのは、そうした美術館のミュージアム・コミュニケーションの根底にある哲学でした。

◇ ◇ ◇

東京都美術館外観(同館提供)

ロンドンで学んだミュージアム・スタディーズの哲学をベースに、東京都美術館で、国内外から注目されるアート・コミュニケーション事業を牽引けんいんしている稲庭さん。次回は、その全貌ぜんぼうをうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳 vol. 5-下に続く

稲庭彩和子 (いなにわ・さわこ)】横浜市生まれ。青山学院大学を卒業後、同大大学院の修士課程に進み日本美術史を学んだ。その後、神奈川県より助成を得て大英博物館で職業研修、同時期にロンドン大学大学院で修士課程を修了。2003年から、神奈川県立近代美術館に勤務。11年から東京都美術館に勤務し、アート・コミュニケーション事業を担当し、市民と協働するプロジェクトなどを立ち上げる。展覧会「キュッパのびじゅつかん」などを企画。現在、同館学芸員、アート・コミュニケーション係長、文化庁ミュージアム・エデュケーション研修企画運営会議委員。共著書に「美術館と大学と市民がつくるソーシャルデザインプロジェクト」(2018年)、監修本に「ペネロペと名画をみよう」(同)、「100人で語る美術館の未来」(11年)。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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