奈良国立博物館で開催中の特別展「聖徳太子と法隆寺」は、5月25日から展示の一部を入れ替えた後期(6月20日まで)となった。7月から東京国立博物館にも巡回する同展で、奈良会場でしか展示されない国宝・重要文化財などを前編に引き続き紹介する。特別展を通じて、奈良会場の後期のみの作品も複数あるので、お見逃しのないよう。
歯を食いしばり、天を仰ぐ像、握りしめた拳を膝につき、大きく口を開けて号泣する像―「法隆寺の泣き仏」とも呼ばれる塑像群。法隆寺五重塔初層の東西南北の4面に安置される。各面は、仏典中の四つのシーンを表し、なかでも北面の「涅槃像土」は、釈迦の入滅に際して、悲しみに泣き叫ぶ弟子たちの姿を実にリアルに表現している。普段は塔の外からしか拝観できないが、羅漢像をはじめ菩薩像や侍者像など11体もの像を間近で見られるのは奈良展のみ。
「玉虫色」―タマムシの翅のように金属的な光沢をもち、光線の具合や見る角度によって、金緑色、金紫色に輝く色が変わって見える。そんなタマムシの翅が数千枚も使われていたと考えられるのが「玉虫厨子」だ。
厨子とは、仏像や仏画などを安置するための入れ物で、玉虫厨子は、仏像を納める宮殿部と下部の台座部分からなる。名前の由来となったタマムシの翅は宮殿を飾る金具の下にいまもその輝きをとどめるものを見ることができる。
玉荘箱は『法隆寺東院縁起資材帳』の中で「木絵の経櫃」とされるもので、天平14(742)年に聖武天皇の夫人である橘古那可智によって奉納された。蓋などの縁には、多くは失われているものの、青瑠璃と真珠を交互に埋め込んでおり、贅を尽くした華やかな品であったことが想像される。
『日本書紀』は、神代より持統天皇(697年退位)の時代までの出来事を記した歴史書。7世紀以前のわが国の歴史を知るうえで、最も基本となる史料である。原本は伝わらず、9世紀書写の奈良国立博物館所蔵本(巻第十)や10世紀頃の京都国立博物館本(巻第二十二、巻第二十四)、12世紀の宮内庁書陵部本などの古写本が残っている。
聖徳太子が活躍した推古天皇の時代を収める巻第二十二としては、本品が最古。冠位十二階と憲法十七条について記載されている。東京会場には、宮内庁書陵部本が展示される。
伎楽とは、古代の仮面音楽劇で、推古天皇20年(612年)、百済人の味摩之が日本へ伝えたのが始まりとされる。皇太子だった聖徳太子の尽力で普及し、寺院の法会などで盛んに行われたが、その後廃絶したため、劇の内容はよく分からない。
伎楽面は、14種類が一揃いとなるが、法隆寺には13種類が伝来する。今回、奈良会場に展示されるのは、「師子児」(写真右)と「迦楼羅」(同左)。「師子児」は、その名の通り、伎楽の行列の最初に登場する獅子の手縄をとる童子、「迦楼羅」は古代インドの神鳥ガルダを源流とする仏教の守護神。
「迦楼羅」は、復元模造も作られている。当時の鮮やかな彩色を、文化財活用センターの記事で見ることができる。
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