日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2022.12.31

大阪松竹座が2023年5月に開場100年―第1弾記念公演は坂東玉三郎×鼓童「幽玄」

大正時代に関西初の本格的な洋式劇場として大阪・道頓堀に開場した大阪松竹座が来年5月、開場100周年を迎える。記念イヤーのスタートを切って、歌舞伎俳優の人間国宝・坂東玉三郎と太鼓芸能集団「鼓童こどう」による初春特別公演「幽玄」が1月5~28日、開催される。玉三郎に公演の抱負と劇場への思いを聞いた。

振り付け・演出担当の玉三郎に聞く
「3年連続の大阪松竹座での初春公演です。コロナ禍にもかかわらず、ご来場いただいたお客さまの熱気に包まれて勤めています」と語る坂東玉三郎=和田康司撮影

1923年(大正12年)に、舞台芸術の実演と映画の上映ができる劇場として開場。正面のアーチ型外壁はネオ・ルネサンス様式建築で、「道頓堀の凱旋がいせん門」と呼ばれて親しまれた。演劇の殿堂として生まれ変わった97年の再開場時にもシンボルの正面外壁は残された。

「劇場を建てた松竹の創業者の方々の発想、思いが今も伝わってきます。パリやロンドン、米国ブロードウェーには、昔のままの劇場が残るけれど、日本では改築前の東劇(東京劇場)をはじめ、消えていった劇場建築も多い。大阪大空襲や阪神大震災でも倒壊しなかった、大きな運命を感じさせる劇場です」

再開場以降は歌舞伎公演の拠点として定着。玉三郎は片岡仁左衛門はじめ、坂田藤十郎、中村勘三郎・勘九郎、七之助親子、尾上菊之助らとの共演で数多くの名舞台を生み、関西のファンを魅了してきた。ここ数年は新春の舞踊公演を勤めている。

「歌舞伎座より小さな間口で、1000席ほどの空間はお芝居をしやすい。3階席まで音の響きもすばらしい。仁左衛門さんのご意見で、窓のある楽屋を名題下の俳優や衣装、床山さんに優先し、窓のない幹部俳優の楽屋には飾り窓が設置されています。なかなかできない心配りですね」

運命感じさせる劇場 太鼓の即興・強打をあえて封じ整然と

記念公演第1弾として上演する「幽玄」は、2012年から4年間、芸術監督を務めた鼓童と17年に初演した作品。出演だけでなく、演出も手がけた。太鼓による舞踊作品にするため、即興や強打といった太鼓演奏の醍醐味だいごみをあえて封じる挑戦だった。18年からは振り付けも担当している。

「強打せずに技量を見せるのは大変難しい。神社仏閣での奉納がルーツで自作自演の太鼓グループには、お客さまに見ていただくという客観的な視点が不足していて、メンバーとのすり合わせに苦労しました。劇場という枠組みの中で整然と見せる。そこは大きな境界線なんです」

能「羽衣」「道成寺」「石橋しゃっきょう」のエッセンスを取り入れた構成を、自ら「能楽三題オムニバス」と呼ぶ。

「ジャンルのくくりのないものをどうやって楽しんでいただくか。『幽玄』というタイトルも『みなさんはどう考えますか?』と観客に委ねています。初見であっても感動が伝わるのが演劇の根本。心地よい、捉え所のないものが観客の目の前に登場して、やがて去っていく。その移り変わりを表現できれば」

12、20日は休演。電話(0570・000・489)。

大阪松竹座…空襲にも耐え

劇場街・道頓堀の劇場がまだ木造だった時代に、鉄筋コンクリート造りの映画館兼劇場として開場。1922年に発足した専属の松竹楽劇部の拠点であると同時に、映画上映やクラシック音楽のコンサート、舞踊公演などが開催され、文化の殿堂として親しまれた。

終戦間際の空襲でも焼け残り、45年8月には映画興行を再開。洋画・邦画の封切り館として名作を上映した。シンボルの正面アーチを残して建て替えられ、97年に演劇の劇場として再開場してからは歌舞伎、ミュージカル、現代劇、コンサート、落語会など多彩な公演が開催されている。

(大阪本社編集委員 坂成美保)

(2022年12月28日付 読売新聞朝刊より)

大阪松竹座開場100周年記念  坂東玉三郎×鼓童 初春特別公演「幽玄」 公式サイトはこちら → https://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/play/758

Share

0%

関連記事