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2023.5.29

父から子へ秘伝の能「道成寺」…観世三郎太さんが6月に初演

父、観世清和さん(右)の指導で「道成寺」を稽古する観世三郎太さん=帖地洸平撮影

能の「道成寺どうじょうじ」は能楽師にとっての「登竜門」「卒業論文」とも言われている。来月18日、東京・銀座の観世能楽堂で道成寺のシテを初演する観世流の観世三郎太さん(24)と、その指導にあたっている父で観世流宗家の観世清和さん(64)に、特別な大曲に挑む心境を聞いた。

シテ方五流(観世、宝生、金春、金剛、喜多)の全てにとって「道成寺」は最重要演目の一つで、このシテを勤めることで、一人前の能楽師として認められる。

1983年、23歳の時に初演した清和さんは「私は31歳で父(先代宗家・観世左近)を突然、亡くしました。遅かれ早かれ演じなければならないのであれば、まだ私の体が元気なうちに(教えたい)というのが一番でした」と語る。

稽古は昨年夏、観世宗家に代々受け継がれ、弟子にも見せないという道成寺の「秘伝書」を三郎太さんが丁寧に書き写すところから始めた。「きれいな和じ本で、『この伝書を伝えていかなくては』という先祖たちの思いを感じます」と清和さんは言う。

道成寺のような大曲になると、通常は一度しか行われない「申し合わせ」(リハーサル)の前に、「準申し合わせ」も行うという。清和さんは「四肢を十分に伸ばし、今まで積んできた稽古を一度、ぶっ壊すぐらいに全力でやる。そこで色々と(本人も共演者も)見極めができる。そこからもう一度、申し合わせ、本番と、テンションを上げていくのです」と説明する。

三郎太さんは、道成寺の初演を「演じる」ではなく「約束を果たす」という言葉で表現した。「決められたことを、決められたように、しっかりやる」。特に難関である「乱拍子」は毎日稽古を重ねている。「道成寺は『卒業論文』とよく言われますが、私は卒業ではなく、成長へのスタートラインだと思っています。皆様に納得してもらえるよう、謡も舞も自分の気が充実しているようにできれば」と決意を語っていた。

三郎太さんが道成寺を初演する「清門別会」は6月18日正午開演。https://kanze.net/publics/index/636/

あらすじ…鐘から出た女が蛇体に
写真《1》

紀州道成寺で再興した鐘の供養が行われる。女人禁制だったが、美しい白拍子(女芸人)が「舞を舞わせてほしい」と寺男に頼みこみ、供養の場に入る。白拍子は舞ううちに鐘に近づき=写真《1》=、やがて鐘を落として、その中に入ってしまう=同《2》=。

写真《2》

寺の住職は、かつて山伏に恋をした娘が、裏切られたと思い込んで毒蛇に姿を変え、道成寺の鐘の中に身を隠した山伏を鐘ごと焼き殺したという恐ろしい物語を語る。やがて鐘の中から蛇体に変身した女が現れるが、僧たちに祈り伏せられて=同《3》=、日高川の底へ消えていく。(写真は観世宗家提供。シテ・観世清和さん)

写真《3》
「道成寺の魅力とは…「乱拍子」の空気感、見る側も真剣勝負

「道成寺」は他の演目と比べて何が特別で、どんな魅力があるのか。法政大学能楽研究所所長の宮本圭造教授(52)に解説してもらった。

第一に技術的な困難さがあります。特に鐘の中に飛び込む「鐘入り」のタイミングを間違えれば事故も起こりえる。鐘を下ろす「鐘後見」をはじめ、舞台上の全員が気持ちを一つにして、集中する必要があります。

第二に、鐘入りの前に「乱拍子」と呼ばれる非常に重い「ならい」(許しを得ないと上演できない事項)があります。小鼓の音とともに足を上げ下げするだけで技術的にそれほど難しくないように見えるでしょうが、西洋的なリズム感とは全く異なるものです。小鼓方と呼吸を合わせて怨念の塊、情念のマグマを観客に感じさせないといけない。ここで能役者として積み重ねたオーラが出ないと、道成寺が成り立たなくなる。ほかの演劇では出せない、ピンと張り詰めた空気感があり、見る側も真剣勝負です。

能の道成寺は「今昔物語集」などにある道成寺伝説の後日談の形を取っていますが、男への恨みではなく、比喩的に「鐘への恨み」にした点など、様々な演劇的工夫がなされています。それが後に歌舞伎や浄瑠璃、組踊など他の芸能に大きな影響を与えたことも特徴でしょう。

(読売新聞文化部 森重達裕)

(2023年5月24日付 読売新聞朝刊より)

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