役者ひとりの力では、とうてい成立しない場面がある。扮装を替え、複数の人物を変幻自在に演じる江戸期以来の伝統演出「早替わり」だ。
舞台裏に引っ込み、着替える短い時間を、踊りの名手・中村壱太郎は「ピットイン」と呼ぶ。なるほどカーレースの修理に似て、役者を囲む衣装、鬘係、床山、ベテランの職人、弟子たちが結束し、スピーディーに作業が進む。時間にして、わずか数十秒だろうか。
全く別の姿で再び登場した瞬間、観客は沸き返る。視覚効果抜群の「江戸版レビュー」ともいえるショーアップの技法は、文化・文政期(1804~30年)、一大ブームを巻き起こした。
京都・南座の「三月花形歌舞伎」で、壱太郎の「早替わり」が眼目の舞踊劇「お染の五役」が上演されている。
タイトルロールの油屋の娘・お染、その恋人で二枚目の使用人・久松、久松に恋い焦がれるお光、姉御肌の「土手のお六」、「桜プログラム」では、着ぐるみの雷まで。鮮やかな変容で、観客を幻惑する。
さらに同じ役でも、祖父・坂田藤十郎の型と市川猿翁の型、上方風と江戸風の2種類を、「桜」「松」のプログラムごとに踊り分ける趣向も楽しめる。
早替わりのコツを壱太郎は「裏方さんの総合力に全幅の信頼を置き、役者は余計なことをしない」と語る。「変貌の驚きだけではなく、人物の関係性やストーリーの奥行きを見せる」演技を心がけた。
壱太郎らの座組による「花形歌舞伎」がスタートしたのは2021年。主役級がダブルキャストの「番町皿屋敷」、上方と江戸二つの型で演じる「仮名手本忠臣蔵・五、六段目」……。花形役者が大役に挑む場としてすっかり定着し、役者の素顔がのぞくトーク風解説「手引き口上」もファン開拓に貢献してきた。
5回目の今年は、上方のホープ、27歳の中村虎之介が初参加し、人間国宝・片岡仁左衛門監修の下、上方演出による「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢に初挑戦している。先輩格の壱太郎は万野、中村米吉がお紺役で脇を支え、虎之介と同い年の中村福之助も喜助役に挑む。
歌舞伎発祥の地にある南座から、未来を担う役者たちが羽ばたいていく。その奮闘ぶりに観客は惜しみない拍手を送った。(編集委員 坂成美保)
◇ 三月花形歌舞伎 〔2025年3月〕23日まで、京都・南座。松プログラムは「妹背山婦女庭訓・御殿」「お染の五役」(猿翁型)。桜プログラムは「伊勢音頭恋寝刃」「お染の五役」(藤十郎型)。13日は休演日。☎ 0570・000・489。
(2025年3月12日付 読売新聞夕刊より)
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