2020.8.27

野村萬斎が語る withコロナ時代の能楽<上> 僕たちは生き残る

新型コロナウイルスの影響で公演が軒並み中止・延期となっている中で、先陣を切って公演を再開したのが、能楽界だ。「新型コロナウイルス終息祈願」と銘打って開催した「能楽公演2020」(7月27~31日、8月3~7日、国立能楽堂)は、観世流宗家の観世清和さんを始め、各流儀の宗家、人間国宝ら“トップスター”が日本全国から勢ぞろいする、能楽界が総力を挙げて挑む空前の公演となり、チケットが完売するなどの反響を呼んだ。

先行きが見えないこの事態に、700年の歴史を背負う能楽師たちは何を考え、どのような未来を描いているのだろう。和泉流狂言方で東京2020オリンピック・パラリンピック式典演出統括責任者も務める野村萬斎さんに、公演再開に込めた思い、そして「withコロナ」の世界で能楽が果たすべき役割について聞いた。2回に分けて掲載する。

鬱々とした世に、笑いの型を配信

―新型コロナウイルスの影響で、3月以降、多くの能楽公演が中止になりました

おびただしい数の公演がなくなりましたね。元々僕は、東京2020の準備もあったので、その間は公演数を減らしていたのですが、パラリンピック後の秋以降の公演も相当数が延期・中止になり、肝を冷やしていないわけではないです。

―この間の過ごし方は

僕はそれまで忙しくしすぎていて、放出する一方でしたから、少し落ち着いて自分を見つめ直す時間になりました。ベランダでハーブを育てたりね。とはいえ、自粛期間の間は皆さんも鬱々うつうつとされているでしょうから、TwitterやYouTubeチャンネルで笑いの「型」を配信していました。

西洋の演劇で笑う場合は、笑うための気持ちや動機が必要です。でも狂言では、動機がなくても型によって笑えるんですね。型によって心がごまかされているのかもしれませんが、オートマティカルに笑うことで、心が朗らかになる。気持ちがついてくるんです。体が笑えば、横隔膜が連動して有酸素運動になります。型の効用を実感しましたね。それから、NHKとのタイアップで、笑いのエクササイズを放送していただいたり。舞台での公演ができないので、映像に取り組みました。

疫病、戦災、天災に耐えた能の700年

―公演がない期間は、どのような心情でしたか

当初は、舞台への飢餓感と言うよりもぼうっとしていました。少しずつ現実を体で受け止められるようになり、このままでは大変だなと思いました。ただ、僕らのような長い時間をかけて伝統芸能を継承する者は、歴史の中の最先端というか、一番端っこにいるという意識があります。能楽の700年という歴史を振り返ると、疫病ももちろんありましたし、応仁の乱の戦火で自分たちの都市が消滅に近い状態になったこともありました。政変、水害や地震といった天災に見舞われ、公演ができない環境は、今までいくらでもあっただろうと。

でも能楽師は、たゆまぬ努力をして、能楽を続けてきたんです。そういう先人たちの業績や功績を知っていれば、今のこの数か月は、長い歴史の中では一瞬の非常事態であり、慌てて何かすることが果たして良いのかどうか……。落ち着いて考えることをしたかった、というのが正直な気持ちです。

―萬斎さんは世田谷パブリックシアターの芸術監督も務められています。現代演劇の方からは窮状を訴える声が相次ぎました。

演劇の公演というのは一月ひとつきかけて稽古をし、次の一月公演をして、さらに後の1か月は地方公演などを行い、だいたい3か月のタームで興行されるんです。そこには、一から創り上げる大変な生みの苦しみがあり、ようやくできあがった、やっとお客様にお届けできる、と思っていたものが、今回のように、次の日から全公演が中止です、となると、まるで我が子を失うような痛手を負うわけです。ものすごいエネルギーを使ったのに、それが行き場を失えば、大きな喪失感となり、現代演劇の方々の嘆き、叫びは当然だと思います。

―能楽は、現代演劇とは何が違うのでしょう

能楽では、稽古は個々が師について行い、本番の前に「中合わせ」といって一度だけ、各役の人間が集まるだけでできてしまいます。型という様式、スタイルが確立され、セリフの節回しも決まっているからこそ、明日からでもすぐに公演できますよ、というのが能・狂言ではありえるんです。普通の現代劇は、一からチーム全員で作りますから、セリフあわせも必要だし、舞台セットをどうするか、となるんですけど、我々は、ある程度の広さが確保できれば、路上ライブだってできないわけではない。そういう意味でも、蓄積があることは、備えにつながっているといいますか。多少なりとも世を渡る体力がある、というアドバンテージはあるのかもしれません。

この状況についての僕自身の考えは、厳しい淘汰とうたがあるだろうけれど、やはり残るべきものは残るんだ、ということです。演劇は死なない、文化は死なない。もちろん、生かすことは最優先であり、目標でもある。しかし、これまでの歴史を振り返ると、ふるい落とされた流儀、絶滅した芸能がなかったわけではない。だからこそ、今、残るためにどうするんだ、という、ものすごく本質的なことを問われてしまうだろうと感じました。厳しい淘汰にあうのも事実。しかし、生き残れるものは絶対にあるはずです。我々も生き残る努力は必要で、能楽をやる意義をわかっていただくために、今回の公演があるんです。

劇場は生へのカタルシスを得る場

―今回の「能楽公演2020」は、各流儀の方々が集結され、能楽界全体の気合を感じます

張り切った番組(演目)ですね! こんなラインアップで能狂言を楽しんでいただける機会なんて……空前絶後という感じでしょうか。元々は、「東京2020オリンピック・パラリンピック」を記念して、予定していた公演でした。流儀というのは普通の方にはわかりにくいかと思いますが、レストランが5軒あれば味が違うのと似たようなもので、味わいや趣向が少しずつ違うんです。今回は各流儀の中でも得意なものを、トップの演者が、流儀の特徴を最大限いかしたフルコースになっていますね。

1964年の東京五輪の時も、大きな能楽公演があり、それを再現しようというのがきっかけだと思いますが、それ以上の番組になっていますね。今は交通事情が良くなったこともあり、皆さん、日本全国から集まってこられます。この公演をご覧の方には、なぜ能楽が残ったのか、残るのかのメッセージを伝えることができるのではと思っています。

―見どころは?

この公演は、能楽の精神性を示しています。まずは能「おきな」で始まります。平和、安全、五穀豊穣ほうじょう……要するに、世の中が波立たずに平らに、そして、実り豊かになることへの祈りです。人間が生きていくことへの根源を、祈る儀式から始まります。そこから、非常に多彩な演目がちりばめられています。

シェークスピアは「ハムレット」の中で、「演劇は時代を映す鏡だ」という言葉を残していますが、能楽はまさに、世の中を映してきた。そのことが、このバリエーションに富んだ番組の中で浮き彫りになります。

狂言「末広すえひろがり」はちょっとした勘違いや、許しをテーマに。能「石橋しゃっきょう」は、親獅子が子獅子を崖から突き落とし、い上がらせて育てるという故事から来ています。人間が生きていくヒント、苦しみ、悲しみ、喜びを、映しているんです。そこには、人生で経験することばかりが表現されている。しかも視聴覚的にも美しく彩られていて……その美的感覚の複雑さが、能楽のちょっと高尚と言われちゃうところなのかもしれませんが、お話としては意外とシンプルなんです。そんなことを認識いただければうれしいです。

能楽は、すべてが手作り、素手の芸なんです。三げん四方というわずか18畳の正方形の能舞台で、照明や派手な舞台セットに頼らず、みんなの気合や芸をひとつに合わせて構築していく。能楽は、舞台芸術は、生きている人間がつくり、舞台上で人間が生きる業を表し、それを生きている人間が見る、一種のコミュニケーションであり、生きていることのカタルシスを感じる場だと思います。

時代の波に合わせた変化

―今回のコロナウイルスは、舞台上の演出にも影響を与えますか

そうですね、マスクなのか、アクリル板のついたてなのか……流儀によってもいろいろな考え方がある中で、試行錯誤をしているところです。我々にとっては、再開することに意味があるので、新しい上演形式も模索します。

我々能楽師も、まげを結っていたんですよ、江戸時代までは。ちょんまげで能狂言やっていたんです。それが明治になって断髪令が出て、散切り頭にしなさいとなった。おそらく、見た目からすると、とんでもなく違和感があったはずなんです。「こんなのは、能じゃない」と言った人もいるかもしれません。でも、それを乗り越えたから、今、我々は現在の髪形でやるわけじゃないですか。だからといって、目立つ髪形にしてもいいのかと言ったら……髪形が主張するのは、本質とは違うだろうよ、と。囃子はやし方、地謡、後見というのは、お客様から見えているけれど見えていないという約束事があって、目立たないもの。みんながシテを中心に気を集めていく中で、気が散漫になるような主張はそぐわないわけですよ。だから皆、おとなしい、さほど主張しない髪形に落ち着くわけです。

つまり、時代時代の波に適応してきたということです。700年近い歴史がある中で、今回、コロナウイルスによって少し変わることもあるかもしれない。ですから今回の公演は、人間のカタルシス、今生きていることの素晴らしさを皆様に感じていただきたいと同時に、我々が今どういう立場に置かれていて、それに対して許容性がどこまであるのかを知るチャンスかもしれません。

でも、本当にすごい番組なんですよ。本当に、今の……能楽界の最高レベル、総力を挙げた番組で、しかも面白い。能楽ファンの方にとっては垂涎すいぜんのものと言えるかもしれませんが、元々は海外のお客様を含め、幅広い方々にご覧いただきたいと思っていましたので、わかりやすくて、いかに能狂言が人間社会を映していたか、森羅万象全てをうつす日本人的感性が非常に顕著な番組になっています。なんせ、人間だけでなく、桜の精から、キノコまで出てくる。目の不自由な人が出てくる曲もある。これはパラリンピックも意識していて、あらゆる人間を、人間界や自然界の多様性を映す番組になっています。

芸能は発散に向いている

―多くの方に能楽に触れるきっかけになるといいですね

みんなが集まってやるというのは、「密」とバッティングする話なんですけれど、舞台は一人で見ても面白くないんですよ。みんなで見る、みんなで一つの場をつくる。一人の力だけではつくれない場ができる、ということをもう一度取り戻していただきたいな、という思いです。「人間力」と言えばよいのでしょうか。

自粛というのは閉じる方のエネルギーですけれど、逆に開いて発散するエネルギーというのもありますよね。それこそが「生の発露」です。能楽には「序破急」という論理や法則があり、それにのっとり、閉じている種子が芽吹き、一気に花開く。世阿弥の言う「花」という概念です。

僕らは、自粛期間の4~6月は冬眠せざるをえなかった。今、少しずつ芽吹き始めていて、ここから芽が出て、花が咲く。もちろん、感染予防対策には気をつけながら慎重に、花を咲かせることをやらないといけない。舞台上に花が咲くということは、観客席も花が咲くことなんですよ。皆さんの心に花が咲く。花が咲くエネルギーの発散。それを共有したい。理屈よりも、芸能の力の方が向いていることだと思います。

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※萬斎さんは公式YouTubeチャンネル「野村萬斎@狂言ござる乃座」を通じて、「うちで笑おう」と題して、狂言の笑いなどの「型」をレクチャーする動画を4月以降、複数回配信している。公式チャンネルはこちら

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