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2025.9.30

【ふのり 4】毛筆の「穂首ほくび」きれいに — 広島県熊野町「熊野筆」 

板布海苔いたふのりを煮出して作る「ふのり」は古くから織物、漆喰しっくい、筆、陶器などの天然糊剤こざいとして使われてきた。国宝・重要文化財の絵画などの修理では、主に絵画の表面を保護する「表打ち」と呼ばれる重要な工程で使われている。だが、板布海苔の製造業者は高齢化や後継者不足により激減した。文化財の修理に用いる板布海苔を製造する会社は現在1社のみとなっている。海藻から板布海苔を作るまでの工程をはじめ、表打ち作業、筆や印染しるしぞめなど伝統工芸品の製造現場を紹介する。

広島県熊野町は、人口の1割にあたる約2300人が「熊野筆」を作る仕事に就く。毛筆もうひつの国内生産量のシェアトップを誇る“筆の町”だ。筆司ふでしと呼ばれる職人たちは、江戸時代以来、墨を含ませる「穂首ほくび」作りに欠かせない材料として、ふのりを大切に扱ってきた。

近年は化粧筆も人気の熊野筆。墨を含ませる毛筆の毛の部分をまとめ、固めるためにふのりを使う(広島県熊野町で)

毛筆の穂首は、ヤギや馬、イタチなどさまざまな動物の毛を、数ある工程の中で徹底的にえり抜いて作られる。「柔らかくて切っ先が長いこのヤギの毛は、先端の『命毛いのちげ』になりますね。こっちの毛はあまりいい毛じゃないから、軸に近い部分に」。この道50年の伝統工芸士、実森康宏さん(80)の手つきに迷いはない。

「納得のいく筆はなかなかできん」と語る実森さん(広島県熊野町で)=近藤誠撮影

長短入りまじる毛を束にして何度も金ぐしをかけ、切りそろえる。毛束にふのりをつけ、全体を練りまぜる。毛を筒に入れて規格を合わせたら、感触だけで逆毛や縮れ毛を見つけ出し、半差し(小刀)と指先で1本ずつ抜き取っていく。

「これまでの工程で毛が汚れとうでしょ。それをふのりできれいにして、お客さんのところへ」。軸にはめ込んだ穂首にたっぷりとふのりを含ませると、麻糸を巻きつけて軸を回しながら、余分なふのりを絞り取る。実森さんは、取り除いたふのりを拭かず、丁寧に器へ戻した。「毛もふのりも貴重品ですから。無駄にはしません」

動物の毛は、食用や毛皮の副産物として主に中国などから輸入しているが、動物愛護意識の高まりなどから、年々入手が難しくなっている。町内にある博物館「筆の里工房」の主席学芸員、吉田拓さん(51)によると、熊野筆事業協同組合は、近くの動物園と連携し、飼育中のレッサーパンダやチンパンジーの抜け毛を集め、利用した穂首作りも試しているという。

吉田さんは、「生きとし生けるもの、命をいただくのが伝統的なもの作り。一滴一本を惜しむ所作が、熊野筆の職人には身についているのです」と話す。

近年は化粧筆も人気の熊野筆。墨を含ませる毛筆の毛の部分をまとめ、固めるためにふのりを使う(広島県熊野町で)

板布海苔とは

海藻のマフノリ、フクロフノリなどを原料とし、水洗い、塩抜きし、天日乾燥で漂白した製品。煮ることで、のりとしてすぐ使用できるようにしているのが特長だ。

ノリ、フクロフノリは北海道、青森、三重、愛媛、長崎などが主な産地。潮の干満により干上がったり海の中になったりする潮間帯の岩場で、春から夏にかけて成長する。機械や道具は使わずに手摘みする。養殖は難しく、採取量は年々減少している。
このうち採取量が少なく希少価値があるマフノリは糊の成分が最も強いと言われる。フクロフノリはそばの「つなぎ」やみそ汁の具材、海藻サラダなどの食用として一般的に使用されている。

(2025年9月7日付 読売新聞朝刊より)

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