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2024.11.6

【能登の文化 復興のいま・1】伝統の瓦 回収、再利用

能登半島地震で被害を受けた本住寺(石川県珠洲市)から、貴重な能登瓦を回収するレスキュー活動。瓦職人やボランティアが携わっている(2024年9月28日)=安川純撮影

石川・能登地方の原風景を象徴する黒瓦とも呼ばれる能登瓦や、豊かな歴史をいまに伝える古文書。これら数多くの文化財や文化施設は今年の地震、水害によって保存・継承の危機に直面している。そんな中、立ち上がったのが建築・歴史などの分野で専門的な知識を持つ有志たちだ。復興道半ばの被災地で、能登の文化を守るために奮闘する人々の取り組みを紹介する。

「家並み残したい」 坂茂さんら 

「小高い山から見渡すと、晴れた日は家々の黒瓦とその先の海がキラキラ光っていて。故郷だなと感じました」。能登半島地震により本堂などが倒壊した珠洲市の本住寺住職の妻、大句だいくわか子さん(67)は、慣れ親しんだ風景を思い起こす。

光沢のある能登瓦を備えた住居が連なる家並みは、奥能登を象徴する美しい景観だ(2024年9月28日、珠洲市で)

奥能登を象徴する能登瓦の家並みが今、危機にさらされている。元日の地震では伝統的な家屋が多く倒壊した。一方、現行の耐震基準で建てられ倒壊を免れた金属屋根の家も見られ、住民からは「重い能登瓦のせいで潰れたのでは」と疑問の声も聞かれる。

だが、国内外の被災地で住環境整備を支援してきた世界的建築家の坂茂ばんしげるさん(67)は「能登の家は部屋を大きくするため筋交いを省くことがあり、強度の構造計算上おかしくなった可能性がある。能登瓦が悪いわけではない」と指摘。公費解体の進展に伴い「このまま街が再建されると、奥能登は特色のない工業製品のような住宅の街並みとなってしまう」と危惧している。

坂茂さん

坂さんが代表のNPO法人「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」は〔2024年〕6月から珠洲市や瓦職人、解体業者と連携し、月に2回ほど解体される住宅から能登瓦などを回収する取り組みを続けてきた。9月末には芝浦工業大で建築を学ぶ学生ボランティアを含むメンバーが本住寺を訪れ、1枚約3キロ・グラムの能登瓦を4枚ずつ運び出す力仕事に汗を流した。

住職の大句哲正てっしょうさん(70)は「(公費解体により)重機で粉々になる前に、再利用できるものならばと依頼した。檀家だんかさんの思いがこもった瓦で、何らかの形で残ってほしい」と語る。

坂茂さんの設計により、能登瓦を再利用して建設中の集会所。珠洲市・見附島近くの恒久仮設木造住宅の敷地内にある。右奥は恒久仮設木造住宅=坂茂建築設計提供

10月下旬までに約1万枚を回収し、同市にある見附島近くの集会所の屋根などへの再利用が始まっている。

石川県は、倒壊した建物3万2000棟超の解体を、来年10月までに終える目標を掲げる。今年10月中旬時点で解体率は約18%。発生する災害ごみは332万トンと推計する。人手も限られる中、VANの原野泰典事務局長(47)は「瓦は滑りやすく、冬場は屋根上での回収作業が難しい。雪が降り始めるまでが勝負。集められるだけ集めたい」と焦燥感をにじませる。

耐寒性・耐久性 北陸に根ざす

仲間とともに能登瓦のレスキュー活動に取り組みVANと連携する石川県小松市の鬼瓦職人、森山茂雄さん(51)によると、能登瓦は北陸の気候風土に根ざした、耐寒性と耐久性を備えた瓦だという。

能登瓦のレスキュー活動を行う森山茂雄さん(左)と吉沢潤さん。2人は、回収活動が奥能登の景色の価値を見直す契機となることも目指す

一般的な三州瓦より大型で、黒い釉薬ゆうやくをどぶ漬けにして両面に施し、高温で焼成する。伝統的には能登の水田の土や里山のまきが使われ、珠洲市などの農村地帯で作られてきた。凍害や塩害に強く、表面がツルツルしているため雪が滑り落ちやすい。

珠洲市によると、同市内では明治時代から地場産業として瓦工業が発展した。高度経済成長期には住宅建築ブームに乗って、500万~600万枚を生産したという。だが市内で最後まで稼働していた工場は30年ほど前に能登瓦の製造をやめ、現在では石川県内に製造者は残っていない。

森山さんは「街を再建する前提として、能登瓦は郷土の象徴という共通認識が広がれば良いと思う。回収活動が奥能登の景色の価値を再発見するきっかけになれば」と話している。

(2024年11月3日付 読売新聞朝刊より)

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