日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2024.9.10

【工芸の郷から】浄法寺塗じょうぼうじぬり — 漆日本一の里 漆器作り復活(岩手県二戸市)

岩手県の内陸最北部に位置する二戸市の浄法寺地区は、日本一の漆の里として知られる。国内で使われる漆は9割以上を中国からの輸入に頼る中、国産漆の7~8割を浄法寺産が占める。

縄文遺跡から漆が付いた土器が出土したというほど、その歴史は古い。江戸時代、南部藩は「漆奉行」を置いて生産を奨励、漆の実も、ろうそくの原料として活用した。現在も市には「漆のさとづくり推進課」がある。8月は、木から樹液を採取する「漆き」の最盛期だ。

そんな浄法寺でも戦後、プラスチック製品に押され、全盛期に300人以上いたという漆掻き職人は約20人にまで減少。さらに、中世からの歴史を持つと言われる漆器、浄法寺塗も途絶えてしまう。

復活させたのは、岩舘隆さん(70)だ。漆掻き職人の父・正二さんに請われ、22歳で会社勤めから転身。漆は皮膚がかぶれるイメージがあるが、漆に囲まれて育った隆さんは無縁だった。「それだけでも2歩も3歩も先に行ける。競争相手もなく、フラットな状態でやれた。浄法寺の歴史と名前はあるし、行政の支援も大きかった」

椀に漆を塗る岩舘隆さん

淡々と振り返る岩舘さんだが、工房の一室には所狭しと賞状が飾られ、様々なコンペで実力を示してきた努力がうかがえる。ある公募展では絶妙なバランスの2色塗りのわんでグランプリを受賞した。「若い頃の勢いで」と笑い、現在は無地のシンプルな椀にこだわる。日光東照宮など文化財の修復も支える貴重な浄法寺漆を、漆器の生産に使えること自体が、最大の特徴と言えよう。

一人で道を切り開いた岩舘さんに続くように1995年、当時の浄法寺町が工房兼展示販売所である「滴生舎てきせいしゃ」を開き、漆文化の普及に努める。小田島勇所長(51)は「漆掻きから漆器まで一貫体制でやれる地域の強みを大事にしていきたい」と話す。

滴生舎では漆掻きの道具なども展示

近年、県外の若者が続々と移住し、漆掻き職人は約40人に増えた。漆掻きができない冬場には漆器を作る人も多いという。岩舘さんは「ここまで線路を敷いてきて、私の役目は終わったかな。後は若い人たちに」と目を細めていた。

(文化部 清川仁)

(2024年8月28日付 読売新聞朝刊より)

Share

0%

関連記事