日本独自の手漉き和紙の技は世界でも高く評価されながら、後継者不足と原材料の調達に不安を抱えている。伝統を守る技術者を支援するため、文化庁、自治体などは新たな施策を打ち出して少しずつ将来への道を開きつつある。父娘で技術を伝える奈良県吉野町の「宇陀紙」。後継者の育成に早くから取り組みながら販路を広げる島根県浜田市の「石州和紙」。和紙の産地は2月から本格的な生産シーズンに入った。貴重な文化財を守り伝える修理を支えようと、使命感を持って継承に取り組む技術者と原材料の生産、確保の現状を産地から紹介する。
絵画、書跡、古文書などの文化財の修理に欠かせない手漉き和紙「宇陀紙」を作り続ける福西和紙本舗6代目の福西正行さん(62)に4年前、うれしいことがあった。長女の安理沙さん(32)が家業を継ぐと決意してくれた。
「長女なりに思うところがあったのだろう。苦労するだろうが」と正行さんはつぶやく。
宇陀紙は楮、ネリ(粘液)として用いるアジサイ科の植物ノリウツギ、紙を強くする地元産の白土を原材料とする。自然な白さが特徴で、丈夫で収縮が少なく白土の防虫効果もあり、掛け軸の修理には総裏紙として欠かせない。米ボストン美術館、大英博物館所蔵の絵画の修復にも使われている。
正行さん自ら栽培した楮の樹皮を吉野川の水にさらして白さを出す。漉いた紙は松材の一枚板に張って天日で乾かす。手間も時間もかかる作業だ。
2015年、祖父、父に続き、文化庁から選定保存技術「表具用手漉和紙(宇陀紙)製作」保持者に認定された。だが、文化財修理以外に需要は限られ、後継ぎのなり手は少ない。吉野町には正行さんが大学を出て紙漉きを始めた頃は手漉き和紙業者は約20軒あったが、今では5軒しかない。
安理沙さんは京都の大学を卒業後、大手ハウスメーカーに勤務した。正行さんの選定保存技術保持者認定書授与式に出席した時、文化庁の担当者から、文化財を伝えるために重要な紙と説明を受けたのが転機となった。金沢市の石川県立美術館では、展示されていた掛け軸に、祖父の漉いた紙が使われていると知り感激した。「自分が継がなければ宇陀紙の伝統が途絶えてしまう」と20年9月、結婚を機に退職し、家業を継いだ。
「子どもの頃から慣れ親しんでいた紙漉きでしたが、やってみるとわからないことばかり。そんな時はいつでも父に尋ねています」と、職人の世界に入ったことに迷いはない。昨年7月には第1子の長女を出産。子育てをしながら和紙づくりを続ける。
正行さんは言う。「孫の育児も、紙漉きも、助け合いながら進める。宇陀紙づくりはもともと家族みんなで伝えてきたものだから」
〈手漉き和紙とは〉
楮、三椏、雁皮などの樹皮を原材料とする。産地による特性を生かして、下張紙、総裏紙、肌裏紙などに漉く。絹や和紙に描いた作品の裏に、これらを重ねて張って補強し、掛け軸、巻物、襖、屏風に仕立てる。
文化財修理には、伝統製法を厳密に守る表具用手漉き和紙を使う。奈良県吉野町で製作する宇陀紙、美栖紙、島根県浜田市の石州和紙、岐阜県美濃市の美濃紙、埼玉県小川町・東秩父村の細川紙、高知県の土佐和紙などが代表的だ。
2014年、石州和紙のうち楮に地元産だけを使った石州半紙、美濃市蕨生地区で生産する本美濃紙、細川紙が「日本の手漉和紙技術」として、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。
ただ、和紙の需要は先細りで、いずれの産地も取り巻く環境は厳しい。経済産業省も伝統的工芸品に指定して支援するが、後継者の育成と原材料の確保が、手漉き和紙の技術を伝えていく上で最大の課題となっている。
(2024年3月3日付 読売新聞朝刊より)
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