国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は24日、歴史的な文書類の保存を目的とする「世界の記憶」に、中国・唐へ渡って密教の教えを持ち帰った平安時代の僧・
「円珍関係文書典籍」は、円珍が唐に渡る際に九州の大宰府で交付された渡航証明書や、唐の役所で発給された通行許可書など計56件で構成されている。日本と中国の文化交流の様相や、唐代の交通制度を伝える貴重な史料だ。文書を所有する大津市の
文書類には傷みがみられ、一部は文化庁、宮内庁、読売新聞社が国宝などの修理を支援する「紡ぐプロジェクト」の助成を受け、大津市内で修理されている。
日本から同時に申請した、徳川家康が集めた仏教聖典「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典
「世界の記憶」を巡っては、中国が申請した南京事件の関連資料が登録されたことなどから日本政府が反発。2017年から新規申請が中断され、ユネスコは関係国の異議申し立てを認めるなどの改革を行い、今回が新制度での初の審査となった。
円珍 814~891年。讃岐(香川県)の生まれ。853年に仏法を学ぶため、唐へ渡った。天台山を巡礼し、長安で唐の高僧に師事して、密教を受法。約5年にわたって滞在し、帰国後は天台座主を務めた。
国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に智証大師円珍に関する古文書類の登録が決まり、多くを所有する大津市の園城寺(三井寺)などの関係者は、大きな喜びと次代に継承していく責任の重さをかみしめた。
園城寺は、比叡山の別院として円珍が再興した。同寺の福家俊彦
登録される56件の文書類はすべて国宝に指定されている。円珍が唐の役所から発給を受けた通行許可書「
同寺は幾度もの焼き打ちや寺領没収に遭うなど危機にさらされた。福家長吏は「現代に残ったのは単なる偶然ではない。何としても後の世に伝えたいという、先人たちの強い思いの積み重ねがあったから。今後、海外の人たちにも価値を知ってもらえる取り組みが必要だ」と強調した。
傷みがみられる一部の文書の修理は大津市の文化財修理工房・坂田
同社会長で、国宝修理
(2023年5月25日付 読売新聞朝刊より)
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