東京・東銀座の歌舞伎座で6月27日まで公演中の「六月大歌舞伎」。第三部で上演されているのは、有吉佐和子作『ふるあめりかに袖はぬらさじ』だ。黒船来航から開国へと激しく世の中が動いた幕末、時代に流されながらもたくましく生きた人々の姿を、横浜の遊郭を舞台に描いた物語。主役の芸者・お園を歌舞伎女形の坂東玉三郎さんが演じている。(聞き手は事業局専門委員・田中聡)
――1988年に初めて演じられて以来、玉三郎さんは何度もお園を演じていらっしゃいますね。歌舞伎座でも2007年の12月に、亡くなった(中村)勘三郎さんたちと上演されています。今回、本来は片岡仁左衛門さんと『
与話情 浮名横櫛 』を上演するはずだったのが、松嶋屋さんの休演で急遽演目が変更になったのだとか。どうしてこの作品を上演することになったのか、経緯を教えていただけますか。
玉三郎 私の発案ではないんですよ。会社(松竹)の方から「『日本橋』と『ふるあめりか』、どちらに致しましょうか」という提案があったんですが、お客さんが明るい気分になるお話の方がいいのでは」と思って、『ふるあめりか』を選んだんです。『日本橋』だと、どうしても重くなってしまいますからね。『ふるあめりか』は、演じている方も「(魂が)浄化される」ような気になるお話なんですよ。
――もともとは有吉佐和子先生が文学座、杉村春子先生に向けて書かれた戯曲ですが、最近は新派での上演が多いですね。芸者さんも多数出てくる芝居ですから。今回も新派の役者さんが大勢出られることになるのでしょうか。
玉三郎 そうですね。新派との合同、という感じですかね。亀遊役の河合雪之丞さん、思誠塾の岡田役の喜多村緑郎さんとは久しぶりの共演。とはいっても、お二人が(先代市川)猿之助さん(現・猿翁)の一座に加わった時からの付き合いだから、特に違和感はないですけど。
有吉先生は
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は幕末、横浜が舞台。遊郭「岩亀楼」で、花魁・亀遊が自ら命を絶つのだが、「外国人に身請けされるのを嫌って自死した」という瓦版の記事により、「攘夷女郎」としてもてはやされることとなる。亀遊の昔なじみである芸者・お園はそれが「事実ではない」ことを知りながら、「攘夷女郎の物語」を語り続けていく・・・・・・。1972年に杉村春子主演で文学座で上演されて以来、坂東玉三郎、二代目水谷八重子らがお園を演じている名作。2017年以降は、大地真央主演で音楽劇としても上演されている。
――玉三郎さんご自身、何度も上演されている作品ですが、この作品のどこに魅力を感じていらっしゃるのでしょうか。
玉三郎 喜劇仕立てではあるんですが、とても深く日本人の本質のようなものを突いた作品だと思うんです。有吉先生の洞察力、世の中を俯瞰する目が印象的です。
勤王も佐幕も、作品の中では否定も肯定もしないんですね。今風に言えば「マスコミで虚像が作られていく」わけですが、それも批判しない。お客様を深刻にさせないでその状況を見せるんですが、笑いながらとても深く心に突き刺さる。人生をしみじみと感じさせる。日本にはなかなかないタイプの、特別な戯曲だと思います。
――玉三郎さんという女形さんと杉村先生や八重子さんのような女優さんが、ともに演じられているお園という役ですが、「女優と女形」については何か意識することはありますか。お園は、「女性としていろいろ苦労をしてきたんだろうなあ」と思わせるキャラクターですが、どんなことを考えながら演じていらっしゃいますか。
玉三郎 「女優と女形」ということは、あまり意識していないですね。杉村先生自体が花柳(章太郎)先生をとても尊敬していた方なので、そこまで大きな違いは感じないのかもしれません。
お園さんですか・・・・・・やっぱりいろいろな経験をして、いろいろな人生を見てきて、「ウソとホント」が分かっている女性だと思いますよ。芸者さんって、お座敷の外、ふだんの生活でも「芸者である自分」を演じている部分があると思うんです。そういう意味では噺家さんに似ているのかもしれません。私は、花柳界で生まれた人間ですから、そういう空気はよく分かる。身の回りには、「お園さん」みたいなお姉さんがいましたから。
――ああ、玉三郎さんは、都内の料亭がご実家ですからね。最後になりますが、『ふるあめりか』は上演時間が2時間半ぐらいになると思うんですが、三部制の上演時間で収まるんでしょうか。
玉三郎 幕間の時間を調整すれば、どこもカットせずに上演することができそうです。コロナ禍が厳しかったころの「午後8時まで」という規制は今はありませんから、そこは大丈夫だと思います。
歌舞伎座・六月大歌舞伎のサイトはこちら https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/761
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