2021.12.24
国宝「熊野速玉大神坐像」
和歌山県立博物館(和歌山市)の大河内智之・学芸員へのインタビュー。今回は、仏像大好きの少年が学芸員になるまでの道のり、そして、仏像盗難の多発、過疎、高齢化といった社会課題を背景に、地域の学生たちと取り組む「お身代わり仏像」のプロジェクトについてうかがいました。
―いつ頃から仏像に興味を持つようになりましたか。
小さい頃から大好きでした。実家は、奈良県のお寺で、3~4歳頃には、家にあった大人向けの学術的な仏像の本の写真を夢中で眺めていたそうです。家族旅行で遠くのお寺に連れて行ってもらうと、「いろいろな仏像が見られる!」とワクワクしていました。いくらお寺の子どもでも、お経の内容が自然に頭に入ってくるということはなく、純粋に造形の面白さに引かれていたので、顔や手がたくさんあるダイナミックなポーズの仏像が特に好きでした。とはいえ、お堅い仏像博士という感じではなく、ウルトラマンや怪獣も好きでした。
中学生になると、歴史好きな友人たちと自転車で県内のお寺に行くようになりました。東大寺に行ったときには、古代から続く山野辺の道を、古墳を横に見ながら、片道2時間以上かけて行き、倒れ込みそうなほどバテましたね。奈良国立博物館も行きましたし、ドキドキしながら、近鉄特急に乗って京都国立博物館まで遠出したこともあります。
博物館の学芸員になりたいと思っていたのですが、ぼんやりしていたのか、仏像研究が美術史の分野だとは知らず、大学は史学科に行きました。入学後に美術史だと知ったときの絶望感は忘れられません(笑)。仏像を作る仏師について卒論を書き、その後、大学院で美術史を専攻しました。そして、運よく和歌山県立博物館に就職できて。いざ現場に出てみると、史学科で学んだことも大いに役立ち、無駄なことはないと感じました。
仏像の研究は、その造形から「何時代に作られたのか」「どういう教義的な意味を持っているのか」などの情報を導き出すことから始まり、その蓄積の上に、さまざまな研究に枝分かれしていきます。私は当館で地域に密着した仏像の調査研究を始めたことで、「その仏像がどこで作られ、どこで祀まつられてきたのか」ということの大事さをひしひしと感じるようになりました。例えば、ある山奥のお堂を調査した時に、京都にあってもおかしくないような洗練された平安時代後期の造形の仏像があったのですが、実はその地域は、かつて都にあったお寺の荘園で、そうした歴史的背景を踏まえると、仏像自身が自らの成り立ちを語ってくれている気がしました。
仏像は木や石、金属などで作られているため、仏画や古文書と比べて長く残りやすく、また信仰の対象ですから、優先的に災害から救い出されてきました。そのたびに修理された跡が歴史を語ってくれます。制作年や修理年が書き込まれている仏像もありますし、そうでなくとも、「仏像本体は平安時代の様式で、台座は江戸時代中期の様式で作られている」とか、「仏像の表面の一番下は平安時代に貼られた金箔の層で、その上に戦国時代の漆の層があって、一番上には幕末に塗り直した色が見える」などと、その経緯がわかります。さらには、「これほど立派な台座を作るには相当費用がかかるだろうから、修理を仏師に依頼した施主は、ひとりではなくて村全体だろう」といった情報まで読み取ることも可能です。これまでこの仏像に関わった人々のことを実感でき、歴史が立ち上がってくるのです。仏像はまさしく、地域の人々の祈りの歴史を語ってくれる証人といえます。
―今も変わらず、その地域で守られているわけですね。
ええ。地元の方たちにとっては、生活のなかに当たり前に祀られてきた仏さんですから、調査をすると「ええ、そんな古かったん」と驚かれることもあります。「仏像のある風景」というのでしょうか。地域の人々が集う信仰の場であり、なくなることは考えられないほど、アイデンティティーのなかに埋め込まれているのです。
文化財指定などの行政の枠組みはとても重要ですが、私が調査をしていて痛切に感じるのは、それ以上に、そうした地域の信仰文化こそが多くの仏像を守ってきたということです。展覧会や本で多くの仏像が紹介されている昨今、全国の隅々にまで調査や保護が行き渡っているように思えるかもしれませんが、それができているのは一部に過ぎません。大多数の仏像は、地域のなかでひっそりと守られているのです。しかも、住職が常駐しているお寺やお堂もやはり一部で、過疎の進む地域では、大半がお坊さんのいない無住寺院です。近隣の数軒あるいは一軒の家で守っているか、お守りする人がもう誰もいない、というお堂もあります。
行政が各地の仏像を把握しているかというと、なかにはくまなく調査している自治体もありますが、大多数はそこまで手が回らず、どこに何があるのかも分からない状況です。地元の人々も、昔のように、信心深いお年寄りが毎日参拝しているようなところは減っていて、またあまりに身近なために写真1枚撮っておらず、どんな仏像が何体あるか把握していないことも多いです。それは大事にしていないということではありません。過疎や高齢化が進み、かつ人々の生活習慣が変わったためです。
―そうしたなかで、仏像の盗難が増えているのですね。
集落の外れにあるお堂は、泥棒からすると狙いやすいわけです。インターネットオークションで売買が気軽になったこともあり、全国的に仏像盗難がこの10年で一気に増えました。和歌山では平成21年(2009年)から翌年にかけて、大規模な被害が発生しました。
その発生初期に、あるお堂を管理している方から、「鰐口(お堂の軒先に掛ける鳴らし物)が盗まれた」という電話があり、警察には届けたということでしたが、山奥なので見に行かなくてはと思っていました。その2か月後にまた電話があり、「今度はお堂の扉をこじ開けられて、本尊が盗まれた」ということで、血の気が引きましたね。すぐに現地に行って防犯体制を整えていればと、とても悔やみました。
その被害を手始めにあちこちで被害が発生し、当館になにかできないかと考えて、情報発信のため「仏像盗難多発中」という展覧会を急きょ企画し、メディアで取り上げてもらいました。それでも犯人はなかなか捕まらず、結局、1年間にわたり、60か所のお堂で、合計172体もの仏像が盗まれました。しかも、それが被害のすべてというわけではないようです。そもそも、どんな仏像があったのかがわからず、盗難届が出されていなかったり、盗まれた物が出てきても、どこのお堂のものだったか、わからなかったりするケースが多いためです。
―それで、仏像を3Dプリンターで再現する「お身代わり仏像」の事業を始められたのですね。
仏像盗難が多発するようになる少し前に、地元の和歌山工業高校が、当時最新だった3Dプリンターを導入し、当館が関わって、視覚に障害のある方に触ってもらう立体的な展示資料を作るプロジェクトをしました。同じ技術を使って、盗難から守るために当館でお預かりした仏像の複製を作ることにしたのです。立体的なデータを計測し、細部をパソコンの画面上で調整して、それを3Dプリンターで、プラスチックなどで出力し、表面にアクリル絵の具で丁寧に色を塗って作ります。のちには和歌山大学教育学部の学生たちとも連携を始め、これまでに20件ほどの複製を作りました。
仏像を博物館に移してしまうと、それまで当たり前にあった「仏像のある風景」が変わってしまいますが、複製した仏像を代わりに安置すれば、その変容を最小限にできます。当事者以外の方からは「レプリカを拝むなんて」という声もありましたが、仏像が盗まれてもおかしくない緊急事態でしたから、危機感を共有している地域の人々からは意外なほどそうした声がありませんでした。実際、過疎や高齢化が深刻な集落で、お堂を毎日見に行ったり、夜に人がいない状況を改善したりすることは困難です。
「お身代わり仏像」という呼び方は、「これをお身代わりやと思って、これからお参りするわ」と、地域の人から出てきたものです。仏教では、厨子の中におさめられていてめったに見ることができない仏像を「秘仏」といい、厨子の前に「お身代わり」、あるいは「お前立ち」と呼ばれる代わりの本尊を祀ります。本物の仏像は博物館の収蔵庫のなかにあり、お堂にあるのは「お身代わり」だけれど、確かに仏さんの心はそこにあると、地域の方々が感じてくださったのです。
お堂に安置するときにはいつも、制作した学生たちと行きます。そうすると、ご高齢の地域の方々が「どの辺が難しかったん?」などと学生たちに話しかけて、「こういうところを頑張って作りました」といったやりとりが生まれます。外からただぽんと持ってきたという印象ではなく、「この子らが作ってくれたんや」という温もりがあり、「ありがたいな」と思ってくださって。そうした交流が、複製の仏像を受け入れる心のハードルを下げていると思います。
―学生たちにとっても歴史や地域に触れるとてもいい学びの機会ですね。
それまで歴史に興味がなかった学生でも、実物の仏像を間近に見せて「700年前の仏さんなんやで」と話すと、驚いて興味を持ってくれますし、「もしかしたら100年先、200年先まで祀られるかもしれない」と伝えると、地域の人たちのことを思いながら、真摯に手を動かしてくれますね。学校の先生方も「教育効果が非常に高い」とおっしゃいます。
仏像の盗難、過疎や高齢化など、背景にある問題は深刻ですが、博物館がハブとなり、未来を担う若者とともに地域の課題解決に向けた活動ができていることには希望があると思っています。他の地域でもこうした工夫が広がっていけば、うれしいですね。
◇ ◇ ◇
大河内さんは20年来、日本全国の仏像などの展覧会情報を掲載するサイト「観仏三昧」の運営をおひとりで続けておられます。「博物館は公共の施設ですが、そもそも情報が届かないことには誰も使えません。ですから情報を届けることはとても重要です」という大河内さん。今回のお話を参考に、みなさんも仏像や神像に出会いにお出かけください。
【大河内智之(おおこうち・ともゆき)】1974年生まれ。龍谷大学文学部史学科(仏教史学専攻)卒業、帝塚山大学大学院人文科学研究科(日本伝統文化専攻)博士前期課程修了。2001年、同博士後期課程中途退学。同年より、和歌山県立博物館学芸員。現在、同館主任学芸員。担当展覧会は「高野山麓 祈りのかたち」(12年)、「熊野-聖地への旅-」(14年)、「高野山開創と丹生都比売神社」(15年)、「道成寺と日高川」(17年)、「仏像と神像へのまなざし-守り伝える人々のいとなみ-」(19年)、「国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史」(20年)など。編著書に「浄教寺の文化財」(06年)、「浄教寺の文化財 改訂版」(21年)。ウェブサイト「観仏三昧」を運営。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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