2021.10.19
中村芳中「白梅小禽図屛風」
細見美術館の福井麻純・主任学芸員へのインタビュー。今回は、美術の仕事を目指し、俵屋宗達の絵に衝撃を受けたことや、かわいくて楽しい神坂雪佳の絵の魅力について、お話をうかがいました。
―小さい頃から美術に興味がありましたか?
幼稚園から小学校高学年まで絵画教室に通って、クレヨンや水彩のほか、陶芸や七宝、人形作りなど、いろいろなことをさせてもらいました。中学生の時は部活一辺倒でしたが、美術の授業はすごく好きでした。高校生になると、見るほうが好きになり、地元の愛知県美術館、名古屋市博物館や、松坂屋の美術展などに行きました。世の中にある、何百年も大事にされてきた作品をもっといろいろ見たいと思うようになって、学芸員という職業があることを知りました。大学に4年間通うなら、好きなことでないと気持ちが続かないだろうとも思って、美術史のある関西大学に入りました。
関西には、教科書に載っているような有名な仏像や仏教絵画が多く、そうしたものを見るうちに、日本人としての根っこにあるものを学びたいと思うようになりました。そんな折に、養源院(京都市東山区)の俵屋宗達の「白象図」の杉戸絵を見て、「何だ、これは」と思って(笑)。それまで抱いていた日本美術のイメージとあまりに違って、江戸時代にこんな絵を描く人がいたということに衝撃を受けたのです。普賢菩薩が乗る象として描かれたはずですが、目つきが「でろーん」としていて、へんてこりんで。デフォルメされた線も色づかいも、本当にすごくて、天才だなと。
宗達の絵は、モチーフの配置が独特で、画面の処理の仕方や線の使い方、トリミングの仕方が斬新です。 明快な色遣いや、色紙を貼ったように平面的な造形も面白いと思います。宗達はもともと画家ではなく、絵屋のデザイナー兼ショップオーナーだったので、そうした経験からデザインのセンスを磨いたのだと思います。私は子どもの頃、グラフィック・デザイナーに憧れたこともあって、宗達にすっかりハマり、卒論のテーマにもしました。
―細見美術館に赴任されたのは、大学院を卒業してからですか?
大学院生の頃、先輩が細見美術館に勤めていた縁でアルバイトを始め、そのまま就職しました。バイト時代に、神坂雪佳(明治―昭和の図案家、画家)の展覧会が開催されていて、学芸員の代理でギャラリートークをすることになり、慌てて勉強した思い出があります(笑)。
当館のコレクションは、細見古香庵(1901~79年)に始まる細見家三代の収集品です。特に2代實氏が、350年ほどにわたる琳派の作品を網羅的に集めたコレクションを中心に、1998年の開館以来、毎年、琳派展を開催してきました。實氏は明治以降、琳派がどのように展開したかを追ううちに、神坂雪佳の「金魚玉図」に出会い、「これも琳派だ」と、雪佳の作品を集め始めたようです。そもそも「琳派」という言葉が定着したのは、50年ほど前に東京国立博物館で「琳派展」が開催されて以降のことで、中村芳中も雪佳も、琳派の主要人物とまでは言えない存在だったのですが、實氏が研究者に教えを請いながら収集するなかで、美術的評価も高まってきたのだと思います。
―神坂雪佳の「金魚玉図」には、一目見たら忘れられないインパクトがありますね。
雪佳は、もともと四条派の画法を学んだのち、工芸図案家になった人です。明治時代、殖産興業の面からも新しい図案が求められるなか、伝統的な文様や意匠の研究を重ねながら、独自の感性で時代にふさわしいデザインを生み出し、やがて京都図案界の中心で活躍しました。雪佳の作品には明治時代末ぐらいから琳派風の片鱗へんりんが見られるのですが、この絵は、その頃の作品です。
江戸時代、特に江戸の町には、夏になると、金魚玉(金魚を泳がせるガラスの丸い器)と、忍草(シダ科の植物)を軒先につり下げて涼しさを演出したそうです。この絵には、つるす紐が描かれていないので、まるで宙に浮いているように見えますね。実際の金魚よりもずっと大きく、しかも、真正面を向いてこちらを見つめているという面白い構図です。金魚玉はガラス製なので、レンズのように拡大して見えるさまを表現したのかもしれません。絵の下には、大きく余白をとっています。
金魚は赤い絵の具に金泥でたらしこみを用いて、水の中でゆらめく様子も表しているようです。本来はゆったり泳いでいるはずですが、これだと窮屈ですね(笑)。こうしたデフォルメは、琳派のお得意です。大きさがちぐはぐなのに、違和感なく絵の中におさまっているのです。
雪佳は図案家らしいデザイン的な視点を持っていたので、こうしたユニークで大胆な切り取り方ができたのだと思います。不思議な構図ですが、やりすぎずに品良く仕上げていて、巧みなさじ加減だと思います。鋭い切れ味、穏やかさ、品の良さ、ユーモラスさ、かわいらしさが、絶妙なバランス感覚で共存しているのです。
雪佳は表具にもこだわっていたらしく、この作品には、涼やかな葦簀(ヨシの茎を編んで作ったすだれに似たもの)を描いた裂が使われています。
一般には、「芸術作品は唯一無二のものでなくては」という意識があるかもしれませんが、琳派では、おなじみのモチーフが繰り返し描かれてきました。誰もが「琳派っぽい」と思うイメージが共有されていくことに価値があり、そのなかで画家の個性が評価されるのです。当時の図案家はこぞって琳派に着目しましたが、そのなかで雪佳は、ただの真似にとどまらない自分らしい作品を生み出しました。「なんとなく琳派風」ではなく、「雪佳の琳派」を作り上げたのです。
細見美術館が監修した展覧会「つながる琳派スピリット―神坂雪佳」(2021年、富山県水墨美術館、水野美術館を巡回)を、2022年春(4月29日~6月19日)には、当館で開催予定です。雪佳が図案家として琳派のエッセンスを取り入れ、そのうえで、いかに個性的に描いたかを、江戸時代の琳派作品とともに紹介する内容になっていますので、ご覧いただけたら、うれしいです。
―芳中や雪佳の絵はかわいらしくて、外国でも人気がありそうですね。
2012年に、オーストラリアのニューサウスウェールズ州立美術館(シドニー)で、細見コレクションを中心に雪佳展を開催しました。また、2018年にパリで行われた日本文化・芸術の祭典「ジャポニスム2018」では、芳中や雪佳を展示して好評を得ました。現在、芳中や雪佳の作品は、古書画を扱うお店に出ると、あっという間に海外に売れていきます。国内にもコレクターが増えるといいのですが。日本美術の中でもとりわけ親しみやすいのが人気の理由でしょう。琳派には、怖い絵や不気味な絵がほぼないですよね。それも琳派のすごさだと思います。きれいなもの、かわいいものとして、時代や場所を越えて楽しめるのです。
◇ ◇ ◇
芳中や雪佳への愛にあふれた、福井さんのお話はいかがでしたか。細見美術館には、鑑賞後の楽しみも盛りだくさん。ショップには琳派の絵をデザインしたグッズが並んでいますし、カフェでは特製どら焼きを芳中の「仔犬」がデコレーションされたお皿で楽しんだり、雪佳の「金魚玉図」をモチーフにした小箱で持ち帰ったりすることができます。みなさんもこれを機に、その魅力を再発見してください。
【福井麻純(ふくい・ますみ)】名古屋市出身。2002年、関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程単位修得。同年から、細見美術館学芸員(現・主任学芸員)。中村芳中、神坂雪佳を中心に研究を行う。「愛媛県美術館所蔵 杉浦非水 モダンデザインの先駆者」(2017年)、「石本藤雄展 マリメッコの花から陶の実へ —琳派との対話—」(19年)、「琳派展21 没後200年 中村芳中」(19年)ほか、館蔵品展の企画などを担当。著書に「神坂雪佳 ― 琳派を継ぐもの ―」(東京美術、15年)、共著に「光琳を慕う 中村芳中」(芸艸堂、14年)。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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