「美術って難しそう」「絵をどうやって楽しめばいいかわからない」「美術館は敷居が高い」
そんなあなたにお届けするコラムです。
展覧会を見に行くと、作品のそばに解説パネルが貼ってありますよね。でも、そこに書いてあるのは、なんだか難しそうな専門用語ばかり。このコラムをさっと読んでいただければ、そんな専門用語の意味や美術品の見方がわかるようになり、美術館に足を踏み入れたら、今までの何倍も楽しめるようになるはずです。
「大人の教養として美術の基礎を知っておきたい」といった声をよく耳にします。このコラムを通して、多くのみなさんがもっと気軽に、そしてより深く、アートを楽しむことができますように!
仏教美術などの展覧会では、絵の隣に貼ってある解説パネルに、題名と並んで「絹本著色」と書かれていることがあります。何と読むのでしょう?
答えは「けんぽんちゃくしょく」です。
「絹本著色」以外に、作品によっては「紙本著色」、「絹本墨画」、あるいは「紙本墨画」と書かれています。絹本は「絹に描かれたもの」、紙本は「紙に描かれたもの」という意味です。
一方、著色は着色とも書かれ、「色がつけてある」という意味です。「墨画」は文字通り、「墨で描かれた絵」です。
つまり、「絹本著色」は、「絹のうえに色絵具で描いた」ということなのですね。
みなさんも紙に絵を描いたことはありますよね。でも、絹に描いたことがある方は少ないかもしれません。絵を描くのに使われる絹は「絵絹」と呼ばれます。
絹も紙も紀元前にさかのぼる古代中国で開発されました。実は、紙よりも絹のほうが、歴史が古いのです。
日本では奈良時代に麻布に絵が描かれるようになり、平安時代から鎌倉時代にかけては絵絹が主流になりました。室町時代以降は、和紙に描かれることが多くなります。近代になってからは、麻から作った麻紙も広く使われています。
絵絹はふつう、平織りで薄地の絹織物で、手触りがごわごわしていてハリがあります。なぜかというと、蚕の繭から引きあげた糸を柔らかく精練せずに、そのまま布に織り上げているからです。そうして作られた絵絹は、白くてほのかに輝きを放ち、柔らかな風合いがあります。だから絵絹に描いた作品には、しっとりとした艶があるのです。
和紙はどうでしょう。学校の書道の時間でも使われますね。原料は、楮や三椏といった植物の繊維です。
手漉き和紙の作り方はざっとこんな感じです。植物の繊維を煮て、水にさらして漂白し、それからトロロアオイという植物の根から作られた「ネリ」というねばねばした液体と混ぜ、紙漉きをし、板に張って乾燥させて、ようやく完成です。大変な労力と職人技ですね。
画材店に行くと、紙の素材、厚さ、きめの細かさなど、いろいろな和紙があります。中でも「画仙紙」は書道用や水墨画用に作られており、たくさんの種類がありますが、その多くは表面がしっとりすべすべしています。字や絵をかくとき、筆をなめらかに運ぶことができ、発色も、墨のにじみ方もきれいです。紙が薄いと絵具がにじみやすく、厚手だとにじみにくいなど、描き心地は紙によって少しずつ異なります。数種類の紙を買ってきて、描き比べてみると楽しいですよ。
絵絹も和紙も水を吸収するので、絵具や墨をつけると染み込んでにじみます。このにじみを抑えるために、あらかじめ加工することがあります。絵絹や和紙全体に、刷毛で「礬水」を引くのです。礬水とは、膠液(コラーゲンや動物のたんぱく質などから作る接着剤)にミョウバンを溶かしたもの。あらかじめ絵絹や和紙に礬水を塗ることで、にじみを抑えることができ、細かい描写が可能になるのです。
ところで、和紙は絵や書をかくことだけが使い道ではありません。「裏打ち」にも使われます。裏打ちとは、絵を描いた和紙や絵絹の裏面に別の和紙や布を糊で貼りあわせることで、こうすると、作品が厚く丈夫になります。裏打ちをしてから、掛軸や巻物に仕立てるのです。
最後に、絹地に色絵具で描かれた「絹本著色」の作品をご紹介しましょう。
2019年9月6日から泉屋博古館(京都)の「住友財団修復助成30年記念 文化財よ、永遠に」展で見られる「水月観音像」です。
画面の左下にとても小さく描かれているのは、仏教のお話に登場する善財童子。善財童子は仏の教えを学ぶために旅に出て、53人の賢者を訪ねました。海の中にそびえる補陀落山に訪ねたのが、水月観音です。岩に座り、やさしい表情で善財童子を見守る美しいお姿。体は金色に塗られ、すらりと伸びた右手の先には、赤い糸を通した水晶の数珠。肩から羽織った薄いヴェールの透けているさまも見事です。
14世紀に朝鮮半島の高麗王朝の画家・徐九方が手がけ、後に日本にもたらされて、現在は重要文化財に指定されています。
※「 住友財団修復助成30年記念 文化財よ、永遠に」展では、文化財の修復を長年行ってきた住友財団の文化財維持・修復事業助成の成果が紹介されています。この水月観音像もこの助成によって修理され、かつての姿がよみがえりました。絹に描かれた色彩のハーモニーやこまやかな筆遣いは必見です。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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