東京国立博物館が所蔵する国宝「普賢菩薩像」が約100年ぶりに本格的な修理を終えた。平安時代に貴族らから信仰を集めた普賢菩薩を描いた仏画の最高傑作は、経年による傷みが進んでいただけでなく、一時は海外流出の危機もあったと伝わる。2019年度からスタートした「紡ぐプロジェクト」修理助成対象事業として3年間にわたった修理を終えて、次世代へ守り受け継がれる。当初の見込みを超えて長期間にわたった修理の経緯を、東京国立博物館、学識者、修理を担当した技師らに聞いた。
「普賢菩薩像」は、戦後施行された文化財保護法で初めて国宝に指定された作品の一つ。
「あまりにも崇高な作品だったので、お預かりしたときは、私たちが修理をするなんて畏れ多いと感じた」
国宝や重要文化財の修理に多くの実績を持ち、今回修理を担った半田九清堂(東京都渋谷区)の土屋三恵技師長は振り返る。修理台に作品を広げたときは、担当する技師全員に、後世へ伝える使命感のようなものが湧いてきたという。
修理にかかると、展覧会場などで見ても気づかなかった経年による傷みが見つかり、一刻も早く本格的な修理が必要な状態になっていた。
このため、仏画修理に詳しい専門家らによる修理委員会を2019年6月に設置、随時検討会を開きながら、慎重に作業を進めてきた。当初は完了までに2年半程度を想定していたが、以前の修理で使用していた色を付けた糊「色糊」の除去などに予想以上の時間がかかり、ようやく昨年3月に完了した。その後は修理した部分が安定するまで1年間の養生期間を置いていた。昨年開催された同館の創立150周年「国宝 東京国立博物館のすべて」の試験展示を経て、4月から本格的に披露される。
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今回の修理で一番のポイントとなったのが、以前の修理で使用されていた色糊だ。裏面に貼ってある肌裏紙を取り除いていったところ、作品を描いた絹(本紙)と肌裏紙の間に色糊の層があることがわかった。作業を進めると、色糊と肌裏紙の繊維が絡み合っていて、肌裏紙を無理に取り除こうとすると本紙を傷めてしまう恐れがあった。
このため、修理委員会は色糊の除去方法と新しい肌裏紙の色合いを改めて検討したうえで、作品の保護を最優先し〈1〉色糊と肌裏紙はできる限り均一に薄くするだけにとどめ無理な除去はしない〈2〉残した色糊に近い色合いの肌裏紙を使用する――などを決めた。
「色糊の存在は想定外だった。作品全体の傷などを手軽に目立たなくすることができる技術だが、絹目の間に詰まって除去できなくなってしまった」と修理委員会のメンバーで東京国立博物館の瀬谷愛・保存修復室長は指摘、「元に戻せない補修材は、今回の修理では使用しない」とした。
肌裏紙を段階的に除去する作業に、色糊の除去という想定外の工程が加わったことが、修理完了が当初の予定より半年間遅れる原因となった。
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絹に描かれた作品は、裏面に貼る肌裏紙の色合いによって見え方が変わってくる。新しい肌裏紙をどのような色にするかの判断が重要になる。
普賢菩薩像の背景部分は傷みが激しく、過去の修理では、欠損部に絹を補った上に色糊を塗っていた。補った絹や色糊などは修理で除去するのが原則だ。ただ、色糊が除去できた部分と作品保護のために残した部分では、新しく貼った肌裏紙の色が透けて表面に色の差が表れてしまう。色糊の層の厚さによっても差が出てしまうと懸念された。
このため、修理委員会は、修理による色の差などを最低限に抑えるよう、岐阜県美濃市などで生産する薄美濃紙を調達。天然染料で染色して、様々な色味や明るさのサンプルを約10種類作った。
さらに微妙な色合いを検討し、4種類まで絞り込んだうえで、残した色糊に近い色合いのものを肌裏紙として使用することを決めた。
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(修理写真は半田九清堂提供)
(2023年3月5日付 読売新聞朝刊より)
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