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2020.9.15

文化財、生かして70年~「焼損」で保護法 時代に合わせ変化

文化財保護法が1950年8月29日に施行され、今年で70周年の節目を迎えた。文化財の「保存と活用」を両輪に位置づけてきた同法の歩みと意義を振り返る。

戦前の法律統合

文化財を守るための立法措置は、1897年の「古社寺保存法」に始まり、古社寺に属する宝物などを指定。その後、「史蹟しせき名勝天然紀念物保存法」(1919年)、「国宝保存法」(29年)の制定により、保存の対象は社寺以外の宝物や史跡、植物などに広がった。

第2次世界大戦中には多くの貴重な文化財が失われた。戦後復興のさなか、49年に法隆寺の金堂壁画が焼損する火災が発生。文化財保護の世論が巻き起こり、戦前の法律を統合・拡充する形で文化財保護法が成立した。文化庁(68年設置)の母体となる文化財保護委員会も設けられ、保護の体制が整った。

対象広げ活用も

戦前の法律との違いは、埋蔵文化財や演劇・音楽・工芸技術といった無形文化財など、保護の対象が大きく拡充した点。制定当初から、「文化財を保存し、つ、その活用を図る」として、保存だけでなく、活用面を重視したのも特徴だった。

高度経済成長に伴う開発の増加や都市化・過疎化といった問題に直面し、75年に大規模な改正を行った。この時に、周囲の環境と一体となって歴史的景観を作る伝統的建造物群、有形・無形の民俗資料をあわせた民俗文化財、文化財の保存のために欠くことのできない選定保存技術などの保護制度が新たに創設された。

登録と日本遺産

93年には「法隆寺地域の仏教建造物」や「姫路城」といった、文化財保護法の下で守られてきた文化財が初めて世界文化遺産となった。世界文化遺産の登録件数は現在、19件。一方、96年からは指定文化財に比べて規制が緩やかな「文化財登録制度」も設けられた。

少子高齢化が進む中、不足する保護の担い手を確保しつつ、地域活性化につなげるのが今日の課題。2015年には、有形無形の文化財群を「ストーリー」としてまとめ、活用を図る日本遺産が創設。18年の法改正では市町村が主体となり、文化財の保存活用計画を策定できるようになった。

増加したインバウンド(訪日外国人客)が新型コロナウイルスの影響で激減するなど、社会情勢は今も大きく変動している。そんな中、次世代のために文化財を適切に守り、活用するための方策の模索が続く。

(読売新聞文化部 多可政史)

地域全体で守り、活用 

◇豊城浩行・文化庁文化財鑑査官 

文化財保護法は、戦後の日本が経済・物質的な疲弊から立ち直る中で制定されました。文化財は我が国の歴史文化の理解に欠くことのできないもので、文化の向上発展の基礎をなす、さらには、世界文化の進歩に貢献すると位置づけた。「保護」とは「保存」し、かつ「活用」を図ることだと宣言した点に、今でも通用する意義があると思います。

戦前の旧国宝指定は、為政者らが残した出来栄えの良い芸術品が中心でした。一方、文化財保護法では集落跡の遺跡から古民家、民俗芸能まで、様々な階層の歴史や文化を象徴する文化財が保存の対象となっています。制定当初から保存と活用を両輪に位置づけてきましたが、文化財を所有者だけでなく、広く国民のものとして捉えようという狙いもあったのです。

1960~70年代、新幹線や高速道路などの開発が相次ぎ、昔から大事にしていた街並みや景観を守ろうという国民の機運が高まりました。75年の改正は民意と社会変化に伴って行われ、文化財を大切にする国民の意識の成熟につながりました。

一方、文化財調査として現地指導に行った際、所有者や地元自治体から維持・管理が難しいという声を聞きました。高齢・過疎化が進む中、所有者の努力や税金で文化財を守るには限界がある。それならば、地域全体で守ろう、貴重な文化財が地元にあると知ってもらい、地域活性化につなげようというのが、2018年の改正の狙いです。

今の人が文化財を享受できなければ、未来に受け継ぐことはできない。幸い、民間企業や建築士、大学などにより、文化財保護への支援の輪も広がりつつあります。様々な文化財の組み合わせで地域の多様な魅力が見えてきます。活用には無限の可能性があると思っています。(談)

2020年9月6日付読売新聞より掲載

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