2020.3.27

【大人の教養・日本美術の時間】卑弥呼は何を食べていた? ― 和食の歴史を知る

「和食」(鮫島圭代筆)

 

2013年、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。寿司すし、ラーメン、天麩羅てんぷら、豆腐などは海外でも人気ですね。

みなさんは昨日の夕飯に何を食べましたか? ご飯と味噌みそ汁、それにおかずを2、3品という方も多いと思います。

和食の特徴には、そうした「一汁二菜」あるいは「一汁三菜」の献立のほか、味噌や醤油しょうゆなどの発酵調味料、季節感を演出する盛り付けなどが挙げられます。

和食の味の決め手といえば、出汁だしですね。旬の食材の持ち味を引き出して深い味わいを生み出します。出汁のうま味(UMAMI)という言葉は、世界に広まっているそうです。

それでは古代、日本列島に住む人々はどんなものを食べていたのでしょう? 今回のコラムでは、和食の歴史を探ります。

日本列島は山や川など複雑な地形からなり、四季折々の自然に恵まれていますね。

そのため、遠く縄文時代の人々は、動物や魚介類、木の実や野生のイモ類などを狩猟採集して暮らしました。

しかし、縄文時代末頃、気候が徐々に寒冷化して、採れる食材が少なくなったといいます。そうしたタイミングで、中国大陸から朝鮮半島を経由して稲作の技術が伝来しました。

稲作は高温多湿な日本の気候に適していたため、数百年のうちに各地に広まりました。弥生時代の始まりです。

米は栄養価が高く長期保存ができるため、人口が増えて集落が大きくなり、クニが生まれました。

なお、日本神話には重要な穀物として、稲のほか、あわ、麦、豆なども記されています。それらは稲作の普及後も、古代人の食を支えました。

古代の有名な女王といえば、3世紀前半頃、弥生時代末に邪馬台国を治めた卑弥呼ですね。

その名を記す中国の歴史書「三国志」の「魏志倭人伝ぎしわじんでん」には、「倭の地は温暖で、冬・夏には生菜を食べる」、「飲食には高坏たかつきを使い、手づかみで食べる」と記されています。

卑弥呼はいったいどんな食事をしていたのでしょう。

大阪の弥生文化博物館には、出土した食事の遺物、つまり魚や動物の骨、果実の種子などを分析したデータをもとに想像した〈卑弥呼の食卓〉のレプリカが所蔵されています。

卑弥呼の食卓の再現模型(大阪府立弥生文化博物館)

設定は春の献立です。

ゼンマイとタケノコの炊き込み玄米ご飯、タイの塩焼き、ミョウガ、里芋とタケノコと豚肉の煮物、ハマグリとイイダコのわかめ汁、木の芽あえ、アワビの焼き物、フグの一夜干し、キビ餅、粟団子のシソの実あえ、でワラビ。

旬の魚や野菜が並び、豪華でおいしそうですね!

やがて律令国家が誕生すると、庶民は租税として米を納めるようになります。

奈良時代の朝廷は稲作を奨励するため、農耕が忙しい季節に、農民が魚を食べたり酒を飲んだりすることを禁じました。さらに、農耕の繁忙期に牛、馬、犬、猿、鶏を食べることも禁じます。この禁止令は、仏教の殺生禁断の戒律を守るとともに、農耕に使う牛や馬を殺さないためだったといわれ、鹿やいのししなどの食用はOKでした。

奈良文化財研究所には、天武天皇の孫・長屋王の邸宅跡から出土した木簡の記録を参考に再現した、貴族の食事のレプリカが所蔵されています。

そのメニューは、ご飯と汁物、そして魚介類や野菜を使ったバラエティー豊かなおかずです。調理中に味付けする習慣はまだなく、各自が、小皿にのった塩やひしおなどの調味料をつけながら食べました。醬とは、米、麦、大豆などを塩漬けにして発酵させたものです。チーズのような乳製品も、当時からあったといわれます。

箸は、聖徳太子の時代に遣隋使がもたらしたといわれます。箸で食べやすいようにと、包丁とまな板を使って魚をさばいたり、野菜を小さく切ったりする和食の調理技術が発達していきました。ナイフとフォークで切り分けながら食べる西洋料理との大きな違いですね。

大皿から取り分けるのではなく1人分ずつ盛り付ける配膳や、自分専用の飯茶碗ぢゃわん湯呑ゆのみ、箸を使うという、世界的にも珍しい習慣も始まりました。平城京の住居跡から発掘された食器には、名前が墨書きされているものもあるそうです。

平安時代になると、権勢をふるった藤原氏一族が山海の珍味を集めた贅沢ぜいたくうたげを催しました。中国文化の影響を受けた「大饗だいきょう料理」です。

とはいえ大多数の役人や農民の食事は質素でした。平安時代後期の絵巻「病草紙やまいのそうし」には、下級役人らしき男の食事として、山盛りのご飯と汁椀、副菜、そして塩や酢などの調味料を入れた小皿が描かれています。

平安時代末から鎌倉時代には、禅僧が豆腐、湯葉、小麦のなどの料理を中国からもたらし、料理中の味付けも行われるようになりました。「精進料理」の誕生です。

室町時代になると出汁が登場し、醤油や酒造りも始まりました。武家では、和食の原型といわれる「本膳料理」が成立し、茶の湯の広まりとともに「懐石料理」も発展していきました。

江戸時代になると、街道の整備や船による運搬の発展により、食材の流通が盛んになります。味噌・醤油などの大量生産が行われ、都市では料理屋や屋台などの外食文化が花開き、料理書も数多く出版されました。

明治時代には西洋料理が広まり、カレーライス、とんかつなど、日本独自の「洋食」も生まれます。

私たちが普段何げなく食べている和食は、豊かな自然の恵みのなかで、さまざまな外来の文化を吸収しながらはぐくまれてきたのですね。

6月14日(日)まで国立科学博物館で開催予定の特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」では、生物学、発酵学、歴史学、ITなど多様な角度から和食の全貌ぜんぼうを学ぶことができます。展示に関する料理レシピをQRコードで持ち帰ることもできるとか。古代の食卓を自宅で再現できたら楽しいですね。

【特別展「 和食 ~日本の自然、人々の知恵~ 」】
  • 国立科学博物館  開幕日未定~6月14日(日)
公式サイトはこちら
鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内で墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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