人の手によって紡がれ、人から人へと伝えられてきた伝統の美や技は、デジタルとは縁遠い印象があるかもしれない。しかし、デジタルの持つスピードや拡散力は、伝統を担う現場の人材不足や発信力の弱さを補い、その魅力を幅広く伝えることもできる。「伝統文化×デジタル」は、大きな可能性を秘めている。
伝統的な型染め「江戸小紋」の文様を生成AI(人工知能)関連技術によって作成する研究を、文京学院大(東京都文京区)などが行っている。江戸小紋は、遠目では無地に見えるが実は細かい柄がある「江戸の粋」が反映された装いだ。図案に携わる職人が減少する中、AIがスイーツの絵柄をランダムに配置することに成功した。
江戸小紋のAIによる新作柄は、同大経営学部の川越仁恵准教授の発案だ。長年、伝統工芸の課題を調査してきた経験から、「図案家が減少し、江戸小紋の中でも『けれんもの』という様式は難しい作業として避けられ、新作柄が生み出されにくくなっていた」と問題意識を持ったという。
2021年から、学生たちと「けれんもの」の特質を研究するところから始めた。江戸小紋の細かい絵柄は、伊勢型紙の職人が彫刻刀で紙を彫って作成する。その図案は職人の勘に頼るところが大きいが、江戸小紋らしい柄になるためには、10程度のルールが存在することが分かった。
そのルールを守りながら、現代的な感覚を用いて、ドーナツやプリンといったスイーツの7種の絵柄を点で表現。さらに、絵柄をAI技術でランダムに配置するために、武蔵野大データサイエンス学部(東京都江東区)の協力を得た。AIのプログラムには「同じ絵柄が隣り合わない」「同じ方向を向かない」などのルールを反映させ、ゲーム画面のように絵柄が「落ちてくる」仕組みで自動配置した。
完成した図案「スイーツ尽くし小紋」は型紙となり、五月女染工場(東京都墨田区)が昨年染め上げた。着物となった2点が完売し、現在さらに色を変えた2点の制作が進められている。同工場からは新たな図案の注文もあり、プロジェクトは拡大していきそうだ。
川越准教授は「AI技術を使う際に心がけているのは、人の仕事は奪わないこと。面倒で敬遠される仕事を助け、分業再編をソフトに行っていくことが大切だ」と話している。
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山口県では、県指定無形文化財「鷺流狂言」に、人工知能(AI)技術を活用した体験ゲームを通じて親しんでもらう取り組みを行っている。体験者が、画面の「山口鷺流狂言保存会」による所作にならって動くと、そのタイミングや一致率が採点される。
「狂言であそぼう AI体験『柿山伏』」というタイトルの体験ゲームで、2022年から同県内の施設3か所に設置されている。同保存会の米本太郎さん(43)は、「地方の伝統芸能の未来は厳しい、新しい世代にどうアプローチしようと考えていたところに、県から提案があり、本当にありがたかった」と話す。
鷺流は江戸期までは、大蔵流、和泉流と並ぶ流派だったが、明治期に衰えて家元が途絶えた。現在は山口、佐賀、新潟県だけでその流儀が伝承されている。山口では1954年に保存会が発足し、現在の会員は27人。米本さんは今年3月、父の米本文明さんに続いて、県無形文化財の鷺流狂言保持者に認定された。
ゲームは、鷺流狂言の演目の一つ「柿山伏」の所作を学ぶ。まず、米本さんらが行うお手本動画が流れた後、体験者は手本に合わせて体を動かす。その動きは端末によって撮影され、採点画面では体験者の動きが反転表示され、手本との一致率を判定する仕組みだ。体験者の得点ランキングも示される。
「難しくて、なかなか高い点数が出ないので、子供たちが2度、3度と夢中になって挑戦する姿が印象的でした」と米本さん。端末の一台は持ち運びができるため、保存会の沖縄公演でも体験してもらったという。米本さんは、「日本の伝統文化は世界から注目されているのに、学校の授業でもほとんど教えない。興味を持つきっかけとなるゲームは素晴らしい事業だと思っている」と語っている。
(2025年4月6日付 読売新聞朝刊より)
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