伝統的な格子戸や格子窓と瓦葺きが映える建物(町家)が軒を連ねる京都市中心部のとある街区の目立たぬ場所に、美術品の修理工房がある。この地で1894年(明治27年)に創業した「岡墨光堂」(京都市中京区)だ。すばらしい工房で、その内部はひっそりとした外観からは想像できないほど活気に満ちている。絵巻物に表具を取り付ける工房としてスタートしたが、第2次世界大戦後は業務の幅を広げ、美術工芸品の修理も手がけるようになった。今は、国立美術館や寺社や民間の所蔵者などから国宝や重要文化財の修理を請け負っている。
岡墨光堂は紙本・絹本の画や書、あるいは障壁画の修理を主に手がける。建物が密集する古都の一角にある二階屋にその歴史的な工房があり、そこか、京都国立博物館の文化財保存修理所で計30人の修理技術者が作業に当たっている。代表取締役の岡岩太郎さんにとって、文化財の修理・保存は駅伝競走のようなものだという。修理を往路とすれば、伝統的な材料・技術を用いての表装が復路に当たる。このレースを完走するために、 岡墨光堂は伝統と革新―古くからの技や材料と現代の修理・保存技術―を見事に融合させてきた。
事実、先々代(岡氏の祖父)と先代(岡氏の父)と当代の岡さんは、それぞれに新しい技術を編み出してきた。伝統絵画の支持体の一つである絹本を例に取ってみよう。欠失部を補修するには市中に出回っている古絹を探し出し、ほぐして使うのが常だった。しかし、手がかかって効率が悪いこの方法は、先代が半世紀ほど前に考案した、絹を電子線で劣化させる技術によって、不要になった。大きな前進だったが、当代の岡氏はさらにその上を行く技術を開発した。欠失部に貼る補修絹をデジタル技術を使って作製する新しい方法を編み出したのだ。修理する作品の高精細画像を撮影して欠失部の複雑な輪郭線を正確に抽出し、それに基づいて、機械が精度よく補修絹を切り抜いていくシステムだ。これにより、驚くほど精密なパズルを仕上げることができるようになった。「新技術は手作業よりも精度が高く、速くなくてはならない」というのが岡氏の持論だ。
修理で新素材を用いることもある。大きさが5メートル四方を超え、重量がそこそこにある平安時代の曼荼羅図の表装に用いたのが一例だ。掛け物は軸木を使うが、岡墨光堂では、曼荼羅図の軸木を炭素繊維複合材でつくり、その重量を半減させた。作品そのものへの負荷を軽減するためだ。この新素材を見つけるため、福井県の炭素繊維複合材メーカーに協力を求めたという。
岡さんは常に新しい技術や素材、あるいは協働できる企業を探し求めている。その一方で、伝統的な技術や素材や知識を守る活動にも携わっている。選定保存技術保存団体である「伝統技術伝承者協会」(京都)の理事として毎年開催される技の祭典を支援し、和紙、筆、漆、木箱などの用具・原材料を供給する業者や工匠が一堂に集まり、切磋琢磨できる場を提供しているのだ。参加者はそれぞれが異なる生産分野に携わり、遠方から来る者もいるが、仕事不足、低賃金、若手育成の困難、用具・原材料不足といった共通の悩みを抱えている。
伝統技術伝承者協会としてはそういった人たちの交流を促し、彼らが自分たちの仕事に誇りを持てるような環境を作りたいと考えている。和紙の原料である楮の生産農家に「あなたの作ったものが、国宝などの重要作品の修理に使われている」と知ってもらうことの意味は大きい。岡さんは、新たなムーブメントがすでに起きていて展望は明るいと感じているが、置かれている状況はまだまだ深刻で、目を向けておく必要があるという。
工房に話を戻そう。岡墨光堂では、日本画、美術史、文化財保存といった分野で学位を取得した者たちが入社し技師になっているが、様々な素材や技術や形式(巻物、典籍、障壁など)の一般的な知識を習得して「プロ」と呼ばれるまでには、8~10年かかるという。特定分野の専門家になれるのはそれからで、学びは生涯続くことになる。
岡さんは日本国内で様々な活動に携わる一方で、10年以上も前に始まった大英博物館との共同事業にも取り組む。ロンドンを頻繁に訪れているし、3年ほどかけて同館収蔵の絵画を修理する技師を年に2、3回、現地に派遣している。工房の若手技師たちは同館の広大で多様な施設になじむ機会を与えられる一方で、日本で用いられる技術や材料や処置法を先方に伝える役割を果たしている。
現在進められている修理に注目してみると、岡墨光堂の作業は非常に手が込んでいて、時間をかけて行われるものなのだということがよくわかる。大阪・四天王寺の所蔵品である「扇面法華経冊子」も修理を託された文化財の一つだ。見た目は小さいが、平安後期(12世紀)に制作され、その歴史的価値がとてつもなく大きい 「扇面法華経冊子」は、色鮮やかな装飾が際立ち、国宝に指定されている。岡氏には、先代の父と先々代の祖父がこの冊子について話し合っていた子供の頃の記憶があるという。この貴重な文化財は当時、すでに修理を必要としていたが、今の技術があれば、先代や先々代にできなかった作業が行える。使われている天然顔料、とりわけ雲母はかなりもろくなっており、強固にする必要がある。冊子をばらし、料紙に膠を施していくという時間のかかる作業が2年前に始まり、全5冊の作業を終えるにはあと3年かかるという。
プロフィール
美術史家
ソフィー・リチャード
仏プロヴァンス生まれ。エコール・ド・ルーヴル、パリ大学ソルボンヌ校で教育を受け、ニューヨークの美術界を経て、現在住むロンドンに移った。この15年間は度々訪日している。日本の美術と文化に熱心なあまり、日本各地の美術館を探索するようになり、これまでに訪れた美術館は全国で200か所近くを数える。日本の美術館について執筆した記事は、英国、米国、日本で読まれた。2014年に最初の著書が出版され、その後、邦訳「フランス人がときめいた日本の美術館」(集英社インターナショナル)も出版された。この本をもとにした同名のテレビ番組はBS11、TOKYOMX で放送。新著 The Art Lover’s Guide to Japanese Museums(増補新版・美術愛好家のための日本の美術館ガイド)は2019年7月刊行。2015年には、日本文化を広く伝えた功績をたたえられ、文化庁長官表彰を受けた。(写真©Frederic Aranda)
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