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2024.2.5

【歴史的町並み 受け継ぐ営み・2】3地区の特性生かし整備 ― 富山県高岡市金屋町(鋳物師町)、山町筋(商家町)、吉久(在郷町)

富山県高岡市金屋町は鋳物師を集めた町。1階正面の格子戸が美しい=細野登撮影

重要伝統的建造物群保存地区制度が創設半世紀となり、選定保存地区は全国43道府県127地区に広がった。最初に選定された岐阜県白川村の合掌造りの山村集落は、日本を代表する観光地になった。富山県高岡市は江戸、明治時代から続く三つの保存地区で住民がそれぞれの特性を生かしたまちづくりを進める。ただ、災害に弱い木造建築が多く、後継者不足も深刻で、保存・継承には課題が多い。能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の黒島町の現状と、企業の提案で新たなまちづくりに着手した長野県塩尻市の奈良井もあわせて紹介する。

 
金屋町の鋳物師に銅などを供給した旧南部鋳造所キュポラと煙突

高岡市の重要伝統的建造物群保存地区は3か所、山町筋は2000年、金屋町は12年、吉久は20年の選定だ。

高岡鋳物発祥の地・金屋町は、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた町家が連続し、石畳の道が落ち着いた雰囲気を出している。選定される以前から、住民が自主的に住民憲章を定め、町並み保存に取り組んで来た。

金屋町まちづくり協議会の四津川元将会長(61)は「歴代の諸先輩は『鋳物のまち』を大切にしてまちづくりを進めてきた。鋳物師町は世界に向けてアピールできる高岡ならではの地域資源」と語る。

山町筋の旧高岡共立銀行。赤レンガ洋風建築の活用法を検討中だ
山町筋の商家町。明治時代の大火を経て再興した

山町筋は、江戸時代に加賀藩主が北陸街道沿いに商人町を作ったのが始まりで、明治時代にかけて物資集散の拠点として栄えた。1900年(明治33年)の大火後に再興された町並みは、重厚かつ繊細な意匠を持つ土蔵造りの旧繊維問屋などの町家やレンガ造りの洋風建築が立ち並ぶ。

吉久は、二つの河川に挟まれた河口部で、江戸時代に加賀藩の年貢米を収納する御蔵が置かれたことから発展した。御蔵は失われたが、伝統的な町家が並び、在郷町の歴史を感じることができる。

吉久には江戸時代の米穀商などの町家が並ぶ
かつては加賀藩の御蔵があった吉久。明治期は米穀商などが軒を連ねた

吉久まちづくり推進協議会の草島誠一会長(74)は「自分たちの住む町並みに価値があるとは思わない住民も多かった。吉久のくらしや風習、民俗芸能などを見つめ直し、地域の素晴らしさを住民の間で共有したい」とし、将来は観光客の誘致に取り組みたい考えだ。

住民らの盛り上がりを受けて高岡市教育委員会文化財保護活用課は「それぞれの特性を生かしたまちづくりを進めており、行政は活動を支援していきたい」と意気込む。

(2024年2月4日付 読売新聞朝刊より)

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