江戸時代から続く金沢の茶陶、
大樋 焼 の十一代目でデザイナーでもある大樋長左衛門(年雄)さん(64)と、日本文学研究者のロバート・キャンベルさん(65)が、それぞれ自身の専門を踏まえた『うつわの哲学』と『よむうつわ』を淡交社から刊行した。器と文学。分野の違いを超える伝統文化の魅力を聞いた。
父は文化勲章を受章した陶芸家の大樋年朗(十代長左衛門・
「アメリカン・ラク」をご存じだろうか。日本の楽焼を独自の形式に改めた焼きもので、留学時代の恩師リチャード・ハーシュ先生は草分けのひとりだ。米国らしくオープンで、鑑賞者を集めたワークショップにおいて作品を公開制作する。焼成時の炎による偶然性に、ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングに通ずる芸術性や、日本の一期一会の精神を感じる米国人もいる。私がアメリカン・ラクに出会った1980年代当時、公開制作は日本では一般的ではなく、現代アートとしての陶芸や芸術家としての生き方など多くを米国で学んだ。
ニューヨークで鵬雲斎大
このような経験から、外国人のような視点がいつも自分の中にある。敬愛するロバート・キャンベルさんの『よむうつわ』を拝読し、器の見方に共通点があると気づきうれしかった。ふたりとも器が作られた時代に遡って見ていると思う。キャンベルさんは文学の切符で、僕は作り手の切符でタイムマシンに乗っている。何百年も前の作り手がどんな道具を使い何を考えて作ったか、最初は予備知識を入れずに器と対話する。また器なので、歴代の使い手にも思いをはせる。
日本文化ではものを大事にすることと人を大切にすることがつながっている。器も大切に使われてきたからこそ次世代も大切に使う。その積み重ねが箱書きになる。日本人の美徳が文化を作ってきたと言える。
陶芸に今必要と感じるのは、時代に合わせた表現と発信だ。制作工程を公開したり、3Dプリンターなど新たなテクノロジーを活用したり、様々なやり方が考えられる。現代アートを茶会に取り入れるのも面白い。誇りを持ちもっと海外に出て挑戦しても良いと思う。
(聞き手・文化部 竹内和佳子)
大樋長左衛門(年雄)(おおひ・ちょうざえもん・としお) ボストン大大学院修士課程修了。国立近代美術館工芸館有識者会議委員。国内外の大学で客員教授も務める。2021年に日展文部科学大臣賞。著書『うつわの哲学』には創作への思いを込めた。
大樋さんのインタビューは旧加賀藩主前田家16代当主、前田利為侯爵(1885~1942年)が設けた旧前田家本邸和館(東京都・目黒区立駒場公園内)で行った。国の重要文化財で、見学も可能だ。
中国の南宋時代に焼かれたとされる
「最初に企画を持ち込まれたとき、私は日本文学研究者で茶人ではないからと断りました」と語る。それでも強く頼まれ、二つの条件を出した。自然光で見ることと、実物に素手で触れることだった。
江戸文学などを専攻する著者は、和本を研究する際、活字化されたテキストを読むだけではなく、本の実物に触れることを大切にしてきた。
「手でめくると、本の大きさやどこに
例えば、千利休のわびの精神を表すと言われる逸品「長次郎作 黒楽茶碗 銘 面影」。黒い器の外見に目を奪われがちだが、キャンベルさんは手で触れたことで、作っているときの感触を味わったという。掲載した写真も、単に美しく撮影するだけではなく、使うときのように器を手で持ったり、裏返してみたりと、自然に近い様々な表情に迫った。
名品をめぐる長い旅を通して、「日本の器は、文字に囲まれている」と感じたという。
「器を収める箱には、由来などを記した箱書きがある。それらを使った記録などをつづった茶会記なども残されている。(異民族の侵略などを受け、使う言葉が変わった)ほかの国と違い、日本語は万葉、平安の時代から文字を使い、ものを伝えてきた。家から家、人から人へ、器は文字とともに、持つ人の思いを運んできた。器物と文字が響き合っています」
(2023年1月25日付 読売新聞朝刊より)
0%