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2023.8.14

【笑ってお別れ 国立演芸場】 伝承者 養成事業 ― 寄席囃子・恩田えりさん、太神楽・鏡味味千代さん

日本テレビの人気番組「笑点」を収録した国立演芸場(東京都千代田区)は、ふだん以上に大きな笑いと華やかなにぎわいに包まれた。2029年以降となる新国立演芸場開場まで、いったん閉場するとはいえ引き続き演芸人気を支え、次の世代育成をになう役割は変わらない。笑点の出演者も国立演芸場への出演を目指し、その舞台で芸を磨いてきた人ばかりだ。舞台をにぎわせてきた落語家をはじめ演芸家、支えた裏方、スタッフに惜別の思いと新しい演芸場への期待を聞いた。

 

国立劇場(国立演芸場)は大衆芸能(寄席囃子ばやし太神楽だいかぐら)の伝承者を養成してきた。現在は「お囃子さん」と呼ばれる寄席の「下座げざ三味線」奏者の9割以上、曲芸を披露する太神楽師の約4割が研修の卒業生だ。研修前に海外留学の経験もある、お囃子さんの恩田えりさん(52)と太神楽師の鏡味味千代かがみみちよさん(47)に思い出を聞いた。

日本文化 どっぷりとつかる

◇ 寄席囃子 恩田えりさん

学生時代にスペインに留学した時、日本文化を自分が何も知らないことに気付いた。会社勤めをしながら歌舞伎や文楽など伝統芸能を広く見て回るうち、寄席の雰囲気に最もひかれた。

三味線を弾く恩田えりさん(国立演芸場で)

「寄席に一日中いられる方法はないか」と知人の落語家に相談すると、「お囃子さん」を勧められた。自主的に長唄三味線の教室に4年通った後、寄席囃子の研修生に応募して合格。「ずっと現場にいられて、年を取っても働ける仕事がいいなと思ったんです」

研修の2年間は長唄から端唄、小唄、日本舞踊、お茶の授業まで「普通に生活していたら絶対に触れられない日本文化」にどっぷりとつかった。同期で抜群に優秀だったのが、修了後にお囃子さんを経て音曲師に転身した桂小すみさんだった。「たまちゃん(小すみさんのニックネーム)の『マネっこ』をすれば大丈夫と思ってずっと後をついていって、たくさん助けてもらった。一生であれだけ勉強したことはないです」

お囃子さんとして、寄席の1日が無事に始まり、無事に終わることが最大の喜びという。今もつらいことがあると研修の授業の時につけたノートを開き、初心を思い出している。「このノートが私の宝物です」

1971年生まれ。寄席囃子研修第11期生。落語協会に所属。

最高の先生 天国のような時間

◇ 太神楽 鏡味味千代さん 

英語とフランス語に堪能で、大学卒業後はPR会社に勤めていた。「フランスに留学していた高校生の頃はまだ日本のイメージが『エコノミックアニマル』だった。日本の良いイメージを世界に伝える仕事をするのが夢でした」

曲芸を披露する鏡味味千代さん(池袋演芸場で)

27歳の時に初めて寄席に行き、「こんなに誰も傷つけない素晴らしい世界があるのか」と演芸ファンに。29歳の時に太神楽研修生募集のチラシを見つけ、「あの芸を自分でやれば夢がかなうのでは」と応募を決意した。年齢制限をオーバーしていたが熱意を手紙に書いて直訴し、試験を受けて合格することができた。

研修の3年間は「全部、自分のためになるものを最高の先生たちに教えていただけた。天国のような時間でした」。卒業後は1年間、寄席の前座修業を経て、東日本大震災の発生直後の2011年4月にデビュー。いきなり仕事が激減する試練に見舞われたが、被災地慰問を通じて「太神楽は平和な日々の守り人」という、自分の職業の存在意義を深く考える機会にもなった。

コロナが落ち着いた昨年から海外公演も復活させ、8月はカナダで公演している。今まさに「日本の良さを世界に伝える」という夢をかなえている真っ最中だ。

1976年生まれ。太神楽研修第5期生。鏡味勇二郎門下。落語芸術協会と太神楽曲芸協会に所属。

(2023年8月6日付 読売新聞朝刊より)

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