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2023.8.10

【笑ってお別れ 国立演芸場】 苦難の軌跡 未来の展望 / 再会の日を心待ちにする 春風亭小朝さん

日本テレビの人気番組「笑点」を収録した国立演芸場(東京都千代田区)は、ふだん以上に大きな笑いと華やかなにぎわいに包まれた。2029年以降となる新国立演芸場開場まで、いったん閉場するとはいえ引き続き演芸人気を支え、次の世代育成をになう役割は変わらない。笑点の出演者も国立演芸場への出演を目指し、その舞台で芸を磨いてきた人ばかりだ。舞台をにぎわせてきた落語家をはじめ演芸家、支えた裏方、スタッフに惜別の思いと新しい演芸場への期待を聞いた。

当初は閑散 ブームが後押し

1979年、初の国立の演芸場として開設。席数300席。演芸資料展示室を持つ。

3月23日に自主企画として第1回特別企画公演を開催、4月から始めた定席公演は、ほぼ毎月開催してきた。

当時は落語、浪曲、講談などの演芸を上演する寄席が激減、大正時代には東京で100軒を超えていたという定席の寄席は「鈴本演芸場」(上野)、「浅草演芸ホール」、「新宿末広亭」、「池袋演芸場」、浪曲の「木馬亭」(浅草)などが営業するだけだった。このため、日本演芸家連合が文化庁に働きかけ、資料館にホールを設ける形で国立演芸場が発足した。

運営する日本芸術文化振興会国立演芸場部の鈴木一夫副部長は「当初は客が入らず、週刊誌にがらがらの客席を写真に撮られ掲載されたほど」で、チケット販売には苦労したという。繁華街から遠いうえ、入場料金を民間の寄席より抑えたため採算をとるのも容易ではなかった。

その後は特別企画公演が500回を超えるなど、人気演者による演芸ブームの後押しを受けて盛況、貸席もほぼ埋まっている。開場以来続く「演芸鑑賞教室」と「親子で楽しむ演芸会」でファン開拓を図る一方、若手演者に年間大賞を授与するなど人材を育成する役割も担う。

国立以外の演芸場も2002年の「横浜にぎわい座」はじめ大阪に「天満天神繁昌(はんじょう)亭」、神戸に「神戸新開地・喜楽館」が発足、名古屋には「大須演芸場」が復活しブームを支える。

新しい国立演芸場になっても客席の規模は現在と変わらない。「歌舞伎などと違って客が演者を身近に感じてもらえるのが演芸場の良さ」(鈴木副部長)。新演芸場の開場は29年以降の予定で、その間は紀尾井小ホール(東京都千代田区)で毎月、定席と特別企画公演を続ける。

 
 

こけら落としのトップバッター

◇ 春風亭小朝さん(68)

国立演芸場はこけら落としのトップバッターを務めさせていただいただけでなく、師匠(五代目春風亭柳朝)との初めての親子会や昨年は弟子の(蝶花楼)桃花の真打ち披露でもお世話になりました。また、花王名人劇場の収録場所として何度も出演しておりますので個人的にはホームグラウンドに近い感覚です。

国立演芸場第1回特別企画公演は、春風亭小朝さんの高座で幕を開けた(1979年3月)=国立演芸場提供

こちらの演芸場がさすがに国立だなと感じるのは、礼儀正しい舞台スタッフさんたちの落語に対する愛情と労を惜しまぬ迅速な対応です。これは昔も今も変わりがなく感謝の言葉しかありません。

気持ちよく高座を務めることができる最高のスタッフさんたちとまた一緒に仕事ができますように、演芸場再開の日を楽しみにしております。

(2023年8月6日付 読売新聞朝刊より)

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