作家・三島由紀夫(1925~70年)が古典狂言を翻案した「附子(ぶす)」が〔2024年〕9月、国内で初めて東京と京都で上演された。日本文学研究者・ドナルド・キーンさん(1922~2019年)と三島の縁で生まれた作品で、2人の出会いから70年にあたり、ドナルド・キーン記念財団(東京)が企画した。(大阪本社編集委員 坂成美保)
〈これは最高級の生のキャビアではないか〉
〈さてもさても、これはうまい物ではないか〉
9月27日、京都・大江能楽堂で上演された三島作「附子」。店主の留守中にキャビアを食べ尽くす店員たちの軽妙なやりとりに、観客はどっと沸いた。
古典狂言の改作で、場所はニューヨーク三番街のアンティーク店に、あるじが「毒だ」と教える「砂糖」は「キャビア」に置き換えられている。背景に老松が描かれた能舞台と、タペストリーの飾りやワインの瓶、レモンなどの小道具の意外性も目を引いた。
補綴・演出を手がけ、店員を演じた大蔵流狂言師・三世茂山千之丞さん(41)は「伝統的な狂言の型と現代劇を折衷する形で、三島の思いをくみ取りながら演じた」と語る。
キーンさんは1954年から約2年間、三世の祖父・二世千之丞(1923~2010年)に狂言の手ほどきを受けた。同年11月、三島と東京・歌舞伎座で出会い、意気投合。共通の話題は、文学にとどまらず、歌舞伎や能・狂言にも及ぶ。その後、雑誌に掲載された三島作「近代能楽集」の「班女」に感銘を受け、「班女」「卒塔婆小町」を次々英訳。57年、米国での英訳本出版を機に、三島はコロンビア大で教えていたキーンさんを訪ね、約半年間、米国に滞在する。
「近代能楽集」のブロードウェーでの舞台化を望んだ三島は滞在中、現地の演劇プロデューサーの求めに応じて「附子」を執筆。米国人俳優のオーディションにも立ち会ったが、資金不足のために舞台化は実現しなかった。
2007年には、キーンさんの教え子、ローレンス・コミンズ・米国ポートランド州立大名誉教授とキーンさんの共訳による英語版「附子」が出版され、17年に英国、19年に米国で英語によって上演されたが、日本では長い間、上演機会に恵まれなかった。
今回、キーンさんと三島、二世千之丞の出会いから70年を記念して、同財団が狂言会を企画。「附子」のほか、コミンズ名誉教授らによる英語狂言や小舞も披露された。同財団代表理事のキーン誠己さん(74)は「キーンは日本の伝統芸能も世界に広げるために心を砕いた。キーンの思いの証しとして、国際性豊かな狂言会になった」と喜ぶ。
児玉竜一・早稲田大学演劇博物館長の話「来年は三島の生誕100年。三島は米国で見聞きした題材を換骨奪胎して『附子』を書いた。キーンさんの死後も弟子、孫弟子が日本の古典芸能を海外で研究し、発信している。上演を機に、多くの日本人に日本文化の価値を再認識してほしい」
1957年、三島の「近代能楽集」の英訳本が米国で出版されると、ニューヨーカーの間で脚光を浴びる。渡米した三島に、演劇プロデューサーがブロードウェーで米国人俳優によって舞台化する話を持ちかけた。
プロデューサーは能だけでは同じトーンになるので、書き下ろしの狂言を加えることを提案。三島は、狂言に造詣が深く、英訳にたけたキーンさんに執筆を依頼した。キーンさんは古典狂言「花子」の翻案を目指したが難航。結局、三島が自分で「附子」を題材に書き上げた。
キーンさんは三島の執筆時の様子を〈アメリカの中学生が使うようなノートに、一字の書き直しもなしに、猛烈なスピードで、一篇の狂言を書き上げたものだった(中略)三島がこれを書いた時のスピードたるや、まさに典型的に、彼の天才ぶりを示すものであった〉(「声の残り」)と記している。
ドナルド・キーン ニューヨーク生まれ。コロンビア大で東洋文学を学び、1953年、京都大大学院に留学。日米を往復しながら、近松門左衛門や松尾芭蕉の古典文学を研究する一方で、三島由紀夫や谷崎潤一郎、安部公房らとも交流を深めた。2012年に日本国籍を取得。
(2024年10月23日付 読売新聞朝刊より)
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