山形県天童市のJR天童駅で下車すると、駅前に将棋駒の巨大なモニュメントが現れる。将棋を見て楽しむファン「観る将」が近年話題となる中、従来の「指す将」を支えているのが、国内の生産量トップを誇る当地の駒だ。
その歴史は江戸時代後期に遡り、天童藩士の内職に始まったといわれる。産業として確立した明治は当初、木地に漆で直接文字を書いた「書駒」が中心。昭和に入って機械化が本格的に進むと、スタンプで文字を付ける「押駒」や字体を彫り込む「彫駒」の生産が増え、天童の名は全国に広まっていく。ただ、その展開とともに定着したのが「東京の高級駒、天童の大衆駒」というイメージだ。
1970年代半ば以降、趣味の多様化や高級駒志向の高まりなどで大衆向けだった天童産の需要は減少。手仕事による技術の衰退も進む中、兄弟子に誘われ高級駒の制作に乗り出したのが、職人の道を歩み始めて間もない桜井和男さん(76)(号・掬水)だった。「天童からタイトル戦で使われる駒を出そうと必死だった」と振り返る。
桜井さんらが目指したのは、「盛上駒」と呼ばれる文字を彫った部分に漆を埋め、立体的に盛り上げる最高級品だ。桜井さんは独学で漆の調合などを研究。80年に一足早く、別の先輩職人による駒がタイトル戦に登場すると、その後は桜井さんらの作品も次々と採用されるようになった。
96年、国の伝統的工芸品に指定された天童の駒。「みなさんに評価していただき、イメージはずいぶん変化しました」と口にするのは、桜井さんと同じ伝統工芸士として活躍する長男、亮さん(47)(号・淘水)。父の下で30年近く研さんを積み、タイトル戦にも採用される駒を手がける。「美しさはもちろん、十分な耐久性をもち、棋士が対局に集中できる駒でなければいけません」と語る。
県将棋駒協同組合によると、組合員数は現在27人。機械による彫駒を主力にしながら、組合などは後継者育成講座や修了生による製作実演所の設置、ふるさと納税の返礼品などで駒産業の継承・振興に取り組む。
七冠を保持する藤井聡太竜王らの活躍で将棋界に追い風が吹く今、桜井さんは「ありがたいことに道具にも注目が集まっている。駒作り一本で食べていくのは容易ではないが、地場産業を次の世代につなげる橋渡し役をしっかり務めたい」と前を見つめた。
(文化部 今岡竜弥)
(2024年10月23日付 読売新聞朝刊より)
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