傷みやすい書画を掛け軸や巻物、
屏風 などに仕立てる「表具」は、中国から伝わり、日本で独自に発展した伝統技術です。主役である書画を和紙や裂 (織物)で守り、彩りを添える名脇役で、天然の糊と水によって書画の美しさを再生させることから、「水と刷毛 による芸術」とも呼ばれます。日本人は古来、世代から世代へと絵や書を受け継ぎ、愛 で、尊ぶことで、日常生活を豊かにしてきました。そんな文化を培ったのが、「千年の都」京都と、「徳川将軍のお膝元」江戸です。京の雅 、江戸の粋――。それぞれの風土、美意識が反映された二都の表具の過去、現在、未来を掛け軸を通して見てみましょう。
町人文化が花開いた、江戸時代中期の元禄期。浮世絵が流行し、庶民にとっても、書画や表具が身近なものになった。
東京・日本橋浜町に店を構える「経新堂稲崎」の稲崎昌仁さん(56)は、「江戸っ子は新しいものが好き。そして、創意工夫を加えるのも好きなんですよ」と話す。同店は天保年間創業。表具師の筆頭格「大経師」の称号を持つ。
京表具も江戸表具も、掛け軸の仕立て方は同じ。だが、刷毛や糊盆など、使う道具の形が異なる。「こうした方がやりやすいと、工夫して変えていったんでしょう」。もう一つ、糊の濃さも違う。東京の気候は、「京都より乾燥していて風が強い」という。「すぐ乾くので、濃いめがいい」らしい。
色の取り合わせ、裂の選び方にも、「江戸好み」が表れる。日本画家、川合玉堂の作品を稲崎さんが表装した掛け軸を見ると、中廻しと天地が同系色で、本紙が際立つ。控えめながら、すっきりとした印象。遠目には少し地味に映る裂は、近づくと金襴織りだとわかる。ぜいたくなものをさりげなく使うのが粋、ということなのだろう。
こうした粋の感覚は、花街にほど近い、日本橋浜町という土地によって育まれたものでもある。小さいころ、近所に日本舞踊の師匠の家があり、お稽古に来る
当時、表具店は浜町に何軒もあったが、今は少なくなった。日本画が、掛け軸ではなく額やパネルで飾られる時代になり、危機感を募らせる。「日本画家を志す若い人たちに、掛け軸の絵を描いてほしい」。そんな願いから、「未来の文化財を作る」試みに力を注ぐ。
ターゲットは、首都圏の美術系大学に通う学生だ。江戸表具の若手職人が、学生たちの描いた絵を掛け軸に仕立て、作品展を開く。「みなさんに『欲しい』と所望していただいて初めて、文化が継承されていく」。買い手がつけば販売もする。
2018年にスタートした作品展は、回を重ねるごとに、洋間に似合う作品が増えている。「自由さが江戸表具の原動力。伝統の技術は学びつつ、表現はどんどん変わっていけばいい」
表具とは
書画の周囲 裂で飾る — 6世紀初め、仏教とともに伝来
表具は表装とも言う。書画のたるみやしわを取るため、薄い和紙を裏打ちして真っすぐにした上で、周囲をふさわしい裂で飾る。書画は、表具を施して初めて「作品」として完成する。
6世紀初め、仏教とともに中国から伝来した。経巻を仕立てたのが始まりとされ、表装した仏画が布教に使われた。手がけたのは、装潢師 や経師 などと呼ばれる職人たちだ。鎌倉時代の作とされる絵巻「法然上人絵伝」からは、仏画を表具して壁にかけていた様子などがわかる。
この頃から、仏画とともにさまざまな絵や書が表具されるようになった。室町時代に入り、書院造りが広がると、仏画や花鳥画を裂で飾った掛け軸が、床の間に掛けられるようになる。書画を高価な裂で美しく装うのは、日本ならではのスタイル。明との貿易を進めた足利将軍家の唐物 コレクション「東山御物 」には、金襴 など、華やかな裂で表装した名品が多い。
一方で、禅宗などの影響を受け、千利休が大成させた「わび茶」の世界では、絵画に代わり、高僧による墨蹟 など書の掛け軸が好まれた。江戸時代になると、簡素を重んじる「わびさび」、わびに明るさを加味した「綺麗 さび」など、茶人の美意識を反映した「好み表具」が流行。「利休表具」や「遠州表具」(大名茶人の小堀遠州)がその例だ。
寺社が集中し、西陣の織物など上質な材料が豊富な京都で、公家文化などを背景に発展。江戸幕府が開かれると、大名屋敷の造営などを通じて江戸でも広まった。京表具は1997年、江戸表具は2022年に国の伝統工芸品に指定された。
(2025年10月5日付 読売新聞朝刊より)
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