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2024.5.10

【復興の光1】能登上布(石川県羽咋市)― 唯一続く織元 制作再開

北陸の伝統的工芸品 生産地復活へ 力強く歩む

手織りが生む精巧なかすり模様が特徴だ(石川県羽咋市で)

能登半島地震は、伝統工芸の産地・北陸地方に大きな被害をもたらした。なかでも石川県は国指定の伝統的工芸品10種を含む多くの工房、職人が制作の場を失い、住む場所にも不自由を強いられている。唯一の生産者として伝統を守り継ぐ、七尾和ろうそくと能登上布は全国からの支援の注文に応えようと制作を再開した。壊滅的な打撃を被った珠洲すず焼、輪島塗は、展覧会を開催して健在をアピールし、危機を生かして再建へ歩み始めた。九谷焼の赤絵作家は、地震後に入門した若い後継者に未来を託す。官民の支援を支えに生産地の復活への長い道のりが始まった。

「能登上布」は、上質の麻を原料とし、最高級の夏着物に仕立てる石川県指定の稀少きしょう伝統的工芸品だ。「山崎麻織物工房」(羽咋市)は唯一の織元として生産を続けている。

糸に染料を直接すり込む能登上布独特の染め工程

地震発生直後に工房に駆けつけた同工房常務の久世英津子さんは、たて糸を整える作業機械や収納棚が倒れ、糸が散乱して足の踏み場もない状況を目の当たりにした。あまりの衝撃にスマホで写真を1枚撮影するのが精いっぱいだった。「もう工房を続けられない」と思うと、その夜はなかなか寝付けなかったという。

職人によって丁寧に制作されていく「能登上布」

能登上布は約2000年前、崇神天皇の皇女が中能登地方で機織りを教えたのが起源と伝わる。江戸時代に入って生産が盛んとなり、昭和初期の最盛期には織元の数は120軒以上を数えた。

しかし、第2次大戦後は着物離れとともに織元は次々に廃業した。1891年創業の山崎麻織物工房は染物屋から出発し、屋号を変えながら職人技術を継承する織元として現代まで制作を続けている。

セミのはねのような透けが美しい

4代目の山崎隆代表(64)が被災した工房を改めて調べたところ、心配していたより被害は軽かった。「作業機械は動かしてみて不具合を見つけては修繕し、1月末には工房の機械類を稼働できるまでにこぎつけました」と当時を振り返る。手織り職人16人は全員が女性。仕事に通うメドが立った人から工房に戻ってもらった。

1月11日からは大阪市の阪急うめだ本店で開催した恒例の石川県特産品催事で、被災を免れた反物を予定通り販売した。久世さんは、地震直後で、断水が続くなど復旧がままならない地元が気にかかったが、「来場者から、能登上布を未来に伝えて、また能登に行きたいなど、励ましの言葉をいただき、何としても工房を再開させたいと気持ちを強くしました」という。

手描きの図案を元に生地を織る
能登半島地震直後の山崎麻織物工房の惨状

能登上布は1着の着物を仕立てる着物地1反が、20万円以上する高級品。これからは若者にも手軽に親しんでもらえるようにハンカチやブックカバー、お守り袋など小物にも力を入れていきたいと言う。震災に負けず、一歩ずつ前へ進めるつもりだ。

(2024年月5日付 読売新聞朝刊より)

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