日本の豊潤な酒文化は、杜氏や蔵人と呼ばれる職人たちのたゆまぬ努力で洗練されていった。能登半島地震や九州豪雨など、酒造りにも深刻な影響をもたらす災害が相次ぐ中、伝統を絶やさないという職人たちの共通の思いは、酒蔵を超えた連帯の輪も生み、未来に継承する力となっている。
「和醸良酒」
良い酒を造るには、蔵で働く人たちの和を大切にせよという格言だ。この言葉を胸に、「手取川」の銘柄で知られる「吉田酒造店」(石川県白山市)社長の吉田泰之さん(38)は丁寧な酒造りに励んでいる。
県南部に位置する白山市は、北陸の霊峰・白山から流れる伏流水、急流で知られる手取川が形成した扇状地で取れる米に恵まれた酒所だ。日本屈指の酒造り集団である能登杜氏の技術が息づく土地でもある。
杜氏を兼ねる吉田さんも、自然界にある乳酸菌の力を借りて酒を造る「山廃」など、先代の能登杜氏から技術を受け継いできた。しかし、「先人の技術は試行錯誤を繰り返して確立されたもの。漫然と引き継ぐのではなく、我々の世代も常に挑戦をしないといけない」。
挑戦の一環で近年、県内産の酒米を積極的に使用している。石川県が独自に開発した酒米「石川門」は、主流の酒米の「山田錦」などと比べ、扱いが難しいとされるが、丁寧に仕上げると独特の甘みを持つ酒が出来上がるという。「地元の自然や魅力を酒で表現することは、醸造家として非常にやりがいがある」と語る。
◇
2020年に社長に就任。伝統を守りつつ、新たな高みを目指す「制約と進化」をモットーに酒造りに励んでいたさなか、昨年元日に能登半島地震が発生した。自身の酒蔵の被害はなかったが、「石川の3分の1は奥能登の酒蔵。自分が無事だからといって酒造りができる精神状態でもなかった」。
能登の酒蔵とは普段から深い付き合いがあり、すぐに支援を申し出た。地震直後から、被災した蔵のもろみを吉田酒造店で搾り、火入れも行うことで製品化を手伝ってきた。一方で、能登の復興の長期化が予想されるにつれ、より息の長い支援の必要性も感じていた。
そこで始めたのが「能登の酒を止めるな!」プロジェクトだ。日本酒の普及事業を行う企業「camo」(東京都)代表のカワナアキさんと連携し、クラウドファンディングで資金を集め、被災した蔵の酒を別の地域の蔵が代わりに醸造する「共同醸造」の仕組みを整えた。
吉田酒造店の支援を受ける酒蔵に、能登町の「鶴野酒造店」がある。漁業が盛んな港町で230年以上続く老舗だが、蔵や店舗などの建物が全壊。「もう能登では酒造りができないと思った」。落胆する14代目蔵元の鶴野晋太郎さん(35)に、吉田さんが共同醸造を提案した。
吉田酒造店に新設されたタンクでは、2種類の共同醸造酒が完成した。鶴野酒造店の銘柄「谷泉」の味を忠実に再現した酒と、破損を免れた谷泉を仕込み水の一部に使い、米と水と酵母のみで醸す手法「モダン山廃」で仕上げた酒だ。モダン山廃は吉田酒造店が得意とする技術で、微発泡のさわやかな酒が出来上がる。
「共同醸造を通じ、酒造りの技術や販路も広がる。再開した際に良いスタートを切ってもらえたら」。吉田さんは支援の目標を語る。
鶴野酒造店は長崎県の二つの酒蔵とも共同醸造を行う。「全国からの支援のおかげで酒造りが続けられている」。鶴野さんは能登町での酒蔵の再開を目指す。「何より酒造りが好き。能登の豊かな風土に根付いた酒造りの伝統を将来につなげたい」
復興に欠かせない、酒造りの再生。その過程には、能登を思う職人たちの「和醸良酒」の精神が流れている。
◇ ◇ ◇
「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録を記念した文化庁主催のシンポジウムが〔2025年〕1月25、26日に金沢市で開かれた。「能登の被災蔵の復旧・復興に向けて」をテーマにした報告会では、能登半島地震後の能登の酒の現状や将来について話し合われた。
会には、能登の被災地から「白藤酒造店」(輪島市)と「数馬酒造」(能登町)の代表者が参加。能登の酒蔵の支援を続ける金沢市の「福光屋」、白山市の「車多酒造」「吉田酒造店」の代表者とともに、地震直後の様子や復興に向けた取り組み、石川県内外の酒蔵からの支援を振り返った。
「奥能登の白菊」の銘柄で知られる白藤酒造店の白藤暁子取締役は「輪島には酒蔵が6軒あり、なじみのお酒を選べるということが土地の魅力を増していたと思う」と話した。3月には自社で酒造りを再開できる見込みで、「能登の酒を絶やさないようにしたい」と力を込めた。
「竹葉(ちくは)」の銘柄で知られる数馬酒造の数馬嘉一郎社長は、被災した自社の蔵のもろみや米を引き取り、酒を醸造してくれた他の蔵の支援について謝意を述べた。同社の酒造りでは能登産の米を100%使用しており、「酒造りができないと、能登の農業、能登の風景にも影響を及ぼす。止まらずに前を向いて進みたい」と意気込みを語った。
(2025年2月2日付 読売新聞朝刊より)
0%