日本の豊潤な酒文化は、杜氏や蔵人と呼ばれる職人たちのたゆまぬ努力で洗練されていった。能登半島地震や九州豪雨など、酒造りにも深刻な影響をもたらす災害が相次ぐ中、伝統を絶やさないという職人たちの共通の思いは、酒蔵を超えた連帯の輪も生み、未来に継承する力となっている。
近年、酒造業界で注目を集めているのが「クラフトサケ」だ。米を原料とし、日本酒の製造技術をベースとしつつも、ハーブや花、果物など様々な香りを持つ副原料と醸造する新たなジャンルだ。
醸造家の今井翔也さん(36)は、その先駆け的存在だ。群馬県の老舗酒造会社に生まれ、国内消費量が減少するなど日本酒業界の苦境を目にしてきた。2016年に日本酒製造の新興企業「WAKAZE」を共同創業し、製造責任者として、クラフトサケの醸造技術を模索してきた。
日本酒の製造免許の取得はハードルが高いが、クラフトサケであれば「その他の醸造酒」の免許を取得すれば製造可能だ。小規模なスペースで酒造りが行えるメリットもあり、近年は街中や駅構内などでも醸造所ができ、若い世代や異業種の新規参入も増えつつある。
「日本酒を世界酒に」を信条とする今井さんはフランスなど海外でも酒造りを行ってきた=写真、WAKAZEのホームページから=。昨年〔2024年〕、新たなブランド「LINNE´」を創設。大麦、そば、芋などを原料としたこうじと、米を合わせた異色の酒造りに挑戦している。「日本の酒の基本となるこうじの可能性を追求し、これまでにない酒を創造していきたい」と意欲を語る。
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狂言が描く酒の「十徳」と人間の失敗
人間国宝 山本東次郎さん
酒は芸能との縁も深い。人間国宝の大蔵流狂言師、山本東次郎さんに、狂言と酒の関わりについて聞いた。
大蔵流で現在上演される200番ほどのうち、酒に関わるものは50番ほどある。酒を盗み飲む召し使いが登場する「棒縛」を始め、商売物の酒を強引に飲む話、宴席での失敗など様々だ。
日本人にとって特別な存在である米から造られる酒は、霊力の結晶だ。狂言「餅酒」には、酒の「十徳」が登場する。「百薬の長」「寿命長遠」「旅行に慈悲」「寒気に衣」「推参にたより(訪問のきっかけ)」「孤独を慰む」「徒労の疲れを癒す」「憂いを払う」「位なくして貴人に交わる」「万人と楽しむ」。狂言は十の徳を押さえつつ、そこからこぼれてしまう失敗を描いていると思う。
例えば「花盗人」では、「推参にたより」や「万人と楽しむ」などの徳を示しつつ、最後には人間の愚かしさがあらわになる。桜の枝を盗みに来た出家がその花主に捕まる。出家は枝を折ったことを正当化し、古歌を詠むと、それを面白がった主は酒を振る舞い、楽しく過ごす。しかし、調子に乗った出家は土産として、枝を取って逃げてしまう。
狂言は人間の愚かしさの心理を描くが、それを追い詰めることはしない。欠点があっても人間はいいものだと示すのが狂言だ。狂言のセリフや型の基本は謡と舞、様式で描くことによって誰にも共通する普遍の姿が現れる。
若い頃は酔う演技は恥ずかしかったが、いつの間にか無心で酔態ができるようになった。酒好きの身としては酒のもたらす快さや楽しさが伝わったらいいと思いながらやってきた。
(2025年2月2日付 読売新聞朝刊より)
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