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2025.3.4

【地域の宝】弥勒堂(茨城県笠間市)― お弥勒さんに会いに来て

ふくよかな頬、力強いまなざし、厚い唇など、個性が光る顔の弥勒仏だ

地域で保護される文化財の中には、美術的、歴史的価値の高いものが少なくない。地域住民が守り継いできた観音像が数多く点在する滋賀県長浜市高月町は「観音の里」として、全国から注目されている。ただ、こうした地域にも人口減少、高齢化の波が押し寄せており、将来、住民の努力だけでは文化財の維持継承が困難になるとの指摘がある。

茨城県笠間市石寺地区。JR水戸線笠間駅のほぼ真北約6キロの場所に、重要文化財の弥勒仏立像を安置する弥勒堂がある。文化庁の指導で1973年に建設された頑丈な建物だ。

茨城県笠間市石寺地区の弥勒堂。住民が守ってきた弥勒仏立像が安置される。周囲はうっそうとした山林だ

弥勒仏立像は像高約175センチ、ヒノキ材の寄せ木造り。像内胸部の墨書銘から、鎌倉将軍家の御家人で笠間地方を治めた藤原時朝が、宝治元年(1247年)に造立したことが判明している。どっしりと重量感あふれる見事な像だ。

この場所にはかつて「功徳山石城寺」という寺院があったが、明治初期の神仏分離令で廃寺となり、弥勒堂も取り払われた。像はその際、村人が運び出し、民家に保管したり、村内の不動堂に安置したりして守り続けてきた。像は1920年に国の指定を受け、後に地域住民がつくった宗教法人「弥勒教会」の所有となった。

現在は石寺地区の役員4人が弥勒堂の維持・管理にあたっている。同地区の田口孝市区長(72)は「過疎化、少子高齢化で、以前は約70あった世帯が現在は約20になった。役人も5人から4人に減らさざるを得なくなった」と話す。

弥勒仏立像は、毎年花まつりの4月8日と、2年に1度開催される地域イベントで一般公開される。役員らが、参拝者や拝観者のもてなしで奔走する日だ。今年は堂の階段の手すり設置、堂周囲の倒木防止のための枝切りなども予定する。

5代前の先祖が自宅の床の間で像を守り続けたという石本忠之さん(69)は「笠間市生涯学習課を通じて申し込んでくれれば随時拝観にも対応したい。多くの人に、お弥勒さんに会いに来てほしいし、石寺地区を知ってほしい」と語った。

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担い手不足 行政の支援必要

地域住民が文化財を守ることの意義と課題について、大河内智之・奈良大文学部准教授(日本彫刻史)に聞いた。

地域住民が主体となって文化財を長い間守り伝えてきた例は今も各地に残る。文化財を守るというより、信仰の対象、心のよりどころとして大切に伝えられてきたものだろう。

ただ、人口減少や少子高齢化などでコミュニティーが縮小し、管理の担い手が不足して文化財に目が行き届かなくなっている現実もある。仏像などの盗難が全国で発生し、文化財の滅失や散逸の防止が緊急の課題となっている。

文化財は、人々が確かに生きたその歴史を証明し、過去に生きた人々と今の自分をつなぐもの。文化財を守ることは、私たち自身を守ることであり、私たちが生きた証しを後世に伝えていくことでもある。それは文化財の指定・未指定を問わない。

2019年4月施行の改正文化財保護法は、未指定を含めた文化財をまちづくりにかし、地域社会総がかりで継承に取り組んでいくことが必要である――と初めて打ち出した。未指定資料を含め、地域社会総がかりで文化財保護に取り組むことの必要性を明示したことは、文化財保護行政の大きな転換点と言ってよいだろう。

いまや文化財保護は地域住民の努力だけでなく、行政や市民相互の支援が欠かせない。地域の歴史や文化財を維持継承している人々に敬意を表し、応援することも大切な支援だ。

文化財の所蔵者、行政、関心を寄せる人など様々な当事者同士が支え合い、その輪をさらに広げ、誰もが当事者となっていくことが人口減少社会におけるこれからの文化財保護のあり方と考えている。

(2025年3月2日 読売新聞朝刊より)

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