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2022.9.26

茶文化の深遠vol.3―釜師 十六代 大西清右衛門さん

平安から鎌倉時代にかけて中国から伝わった喫茶法は時代を経て徐々に和様化し、豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休に至って、独自の文化「茶の湯」が大成されました。江戸時代には利休の子孫である三千家さんせんけの家元に茶道具を納める10の職家しょっか千家十職せんけじっしょく」が京都で技を磨きました。これらの家を訪れて歴史と仕事について尋ねました。

大胆な発想と繊細な彫刻…十六代 大西おおにし清右衛門せいうえもんさん(61)
十六代 大西清右衛門さん=河村道浩撮影

今、茶の湯釜専門の大西清右衛門美術館が立つ京都・三条釜座に初代が移ってきたのが江戸時代初め。二代は将軍家の梵鐘ぼんしょうを造り、織田有楽うらくや古田織部らの釜師を務め、千家三代宗旦にも釜を納めた。

「代々が文化人と交流しながら新たな釜を創ってきた」と大西さん。「鉄でできた釜はびるという宿命を負いつつ、それによって味わいを増す」という。

家に伝わる釜を手掛かりに古い技法の復興を試みる一方で、「施主の個性を生かす独創性ある釜を作っていきたい」と話す。得意は「大胆な発想の中に繊細な彫刻を施した釜」だ。

大西清右衛門さん作「三笑釜」

始めるのは早い時期でなければ、との方針で長男の清太郎さん(15)も工房に入る。清太郎は大西家の由緒ある幼名の一つ。

(2022年9月4日付 読売新聞朝刊より)

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