東京都立川市の国文学研究資料館(国文研)は2017年から、所蔵する古典籍(明治以前の本)を現代のアーティストに活用してもらう取り組みを進めている。
新たなアート作品を生み出すことで、もとの作品も後世に守り伝えるねらいだ。4月24日まで開催中の展覧会「時の束を披く―古典籍からうまれるアートと翻訳―」でその成果が披露されている。
「日本には、今で言うコンテンツを“解体”し、再創造する『伝え直し』という文化が脈々と続いてきた。味付けをすることで、元になるものも再評価され、残ってきた」
国文研のプロジェクトに参加したアニメーション作家の山村浩二さん(2019年に紫綬褒章)はこう話す。
山村さんが古典籍を通じて出会ったのが、江戸時代の絵師・鍬形蕙斎(1764~1824年)だ。同時期の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)に比べると知名度が低いが、木越俊介・国文研准教授によると、江戸の当時は北斎と並ぶ人気絵師だったという。
蕙斎は、対象をよく観察し、洗練されたタッチが特徴。山村さんは「北斎よりも画力は上」と惚れ込み、国文研が所蔵する絵手本『略画式』シリーズ(1775~1823年刊)の模写を続けた。
蕙斎の画風を吸収し、山村さんが新たに生み出したアニメーションが「ゆめみのえ」だ。絵師の「ケイサイ」が主人公。会場では全編が上映されている。山村さんは、このアニメをきっかけに蕙斎を再評価する人が増えることを期待している。
「埋もれた作家や作品の存在を広めて、古典籍のファンを作らないといけない」と、「芸術共創ラボ」プロジェクトを担当してきた木越さんは、「古典籍」の未来に危機感を持っている。
国文研は、約2万2000件もの所蔵品をはじめ、国内外にある古典籍を撮影し、インターネットの「新日本古典籍総合データベース」で一般に無料で公開してきた。
「ただ、『自由に使ってください』と言っても、どのように使っていいのか分からない人も多いはず。まずは表現の世界の第一線で活躍している6人のクリエイター(展示は計8個人・団体)に、実際の古典籍を手にして、ひらいてもらい、そこから創作をしてもらった」と木越さんは説明する。
研究者とクリエイターによるワークショップでは、これまで気づかなかったことも、たくさん“発見”された。例えば、「妖怪が描かれている本は巻物が多いが、巻く動作には封印する意味もあったのではないか、との刺激的な解釈が研究者から提示された」と木越さん。それを実際に美術家が現代アートとして表現することで、言葉では説明できない説得力が生まれたという。
それが中国出身の現代美術家・梁亜旋さんのインスタレーション「Ghostly」だ。暗い部屋の床に置かれた絵巻から妖怪が飛び出してくる作品だ。
元になったのは、絵巻『百鬼夜行図』。昔の日本人がどのような思いで、妖怪の本をひらき、見たのか、想像が広がる。
日本の文化が長くつながってきた理由の一つに「私淑」という行為があげられる。
『日本国語大辞典』の「私淑」の項目を見ると、「敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、ひそかに尊敬し、模範として学ぶこと。教えを受けたことはないが、尊敬する人をひそかに師と仰ぐこと」とある。
有名な例は、江戸時代の画風「琳派」だろう。尾形光琳(1658~1716年)が大成し、酒井抱一(1761~1829年)らが受け継いだとされているが、光琳と抱一の生年は重なっておらず、抱一が光琳に「私淑」して、画風がつながった。
このプロジェクトでは、画家の松平莉奈さんが「どの先生に弟子入りする?」と、デジタルアーカイブで見つけた江戸~明治期の絵手本(絵の教科書)の画像を模写し、恋川春町作・画の黄表紙『金々先生栄花夢』(1775年刊)の登場人物たちを、現代的なキャラクターとしてよみがえらせた。
黄表紙とは、1775~1804年にかけて江戸で出版された絵入りの読み物。だじゃれや時事ネタをおもしろおかしく扱い、もともとは武士など教養人の楽しみだったが、庶民にも受けるようになると、幕政を茶化すなど内容が過激になった。取り締まられ、約30年の歴史で黄表紙は幕を閉じる。
200年の時を経て、創作としての「黄表紙」がつながったのだ。100年後には、松平さんの作品が山東京伝らと並び「黄表紙派」と呼ばれ、美術展で展示されているかもしれない。
(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)
会場:国文学研究資料館(東京都立川市緑町10-3)
入場無料(国文研のHPから事前予約制)
会期 2021年2月15日~5月31日(原則、月・水・金、4月24日(土)は開催)
https://www.nijl.ac.jp/pages/nijl/tokinotaba/index.html
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