刀剣にまつわる様々な物語を歴史小説家の永井紗耶子さんがひもとく「おちこち刀剣余話」。鬼や妖怪退治の逸話を持つ刀剣をたどるシリーズ、今回取り上げるのは「獅子王」こと、重要文化財「太刀 無銘 黒漆太刀(号 獅子王)」(東京国立博物館蔵)です。この名刀にまつわる化け物は、「鵺」。その悲しい伝説とは……。
鬼や妖怪を斬った刀の伝説というのは、実に数多くあります。そして、その分、斬られた鬼や妖怪も多種多様。大きな赤鬼や蜘蛛の妖怪、女の姿をした橋姫もいれば、奇妙な獣もいます。
今回は、世にも奇妙な「鵺」という妖怪にまつわる一振りの刀、「獅子王」についての物語をご紹介したいと思います。
平安時代、近衛天皇の御代のこと。帝は毎晩、魘されておびえるようになりました。このままではいけない、なんとかせねば……と悩んだ公卿たちは、かつて、源義家が弓を三度鳴らしたら怪異が去ったという故事に倣うことにしました。
命じられたのは源氏の中でも随一の弓の達人である源頼政。頼政は家臣の猪早太と共に、帝を悩ます妖怪退治に山へ出かけます。やがて黒い雲が御所の上に立ち込めるのを見つけた頼政は、その雲にめがけて弓を放ちます。
獣のような咆哮が聞こえ、地面に落ちてきたのは猿の頭に手足は虎、尾は蛇で、泣き声は鳥に似ている「鵺」という奇妙な化け物でした。家臣の猪早太はその鵺にとどめを刺して見事に化け物退治を成し遂げ、鵺の死体は船に乗せて海へと流されました。
鵺退治によって体調が回復した帝は、これを大層喜び、褒美として頼政に「獅子王」という銘の刀を贈ります。この「獅子王」が鵺を斬ったわけではありませんが、鵺の物語と共にこの刀の話は受け継がれていきます。
ところでこの「鵺」というのは一体、何だったのか。
源頼政の鵺退治のエピソードは、後に謡曲「鵺」として演じられるようになります。
謡曲のあらすじでは、ある舟人が旅の僧の前に現れて、頼政の鵺退治のあらましを語ります。そしてその日の夜になると、この舟人が恐ろしい鵺の姿となって再び僧の前に現れます。そして、自らを討った頼政が英雄として祭り上げられることの口惜しさを滔々と語り、無念の思いを伝えます。そしてそのまま姿を消してしまうのです。
謡曲の中でももの悲しさが残る演目で、私も何度か能舞台で拝見していますが、最後に去っていく鵺の後ろ姿には悲しみを感じます。鵺とは想像上の化け物ではなく、帝の治世において「まつろわぬ者(=反逆を試みた者)」、つまり時の為政者にとって都合の悪い何者かを表しているのではないかと、物語を深読みしたくなるところです。
一方で、やはり、本当に妖怪のような獣だったのではないかとも思われるのは、兵庫県芦屋市にある「鵺塚」の存在です。「悪疫をもたらす」と考えられた鵺の死体は船に乗せられ、流れ流れて現在の芦屋の浜に流れ着き、そこでも悪疫をまき散らしたというのです。今も浜芦屋町の芦屋公園には「鵺塚」という塚があります。妖怪ではなくとも、獣の死体であれば悪疫をもたらすというのも、無理はありません。
さて、刀の話に戻りましょう。
かくして、帝からのお褒めの言葉と共に源頼政に授けられた獅子王はその後どうなったのか。
源頼政は、平治の乱(1159年)で平清盛につきました。源氏でありながら、清盛からその才覚を高く評価され、74歳にして「従三位」という高位に出世します。では、そのまま大人しく平家の門下に下ったのか……というと、さにあらず。後白河天皇の子である以仁王が「平家追討の令旨」を発すると、頼政はこの以仁王を助ける道を選びます。
しかし思うように戦力を集めることができず、度重なる戦で負傷。1180年、遂に頼政は宇治の平等院で自ら命を絶つことになりました。この時、頼政は77歳。鵺退治から実に30年余りが過ぎていました。そしてこの最後の戦で頼政が持っていた刀が、近衛天皇から下賜された「獅子王」でした。
果たしてこれは、恨みを残した鵺の祟りか……と、物語ならば書きたいところです。
歴史的に見ると、源頼政はこの戦で負けてしまいましたが、平家が重用してきた人物が反旗を翻したことで、盤石だと思われていた平家の力が揺らぎ始め、源氏の天下へとつながるきっかけの一つになりました。
その後、「獅子王」は戦国時代になって頼政の子孫、斎村政広の手にわたります。斎村政広は但馬国竹田城(兵庫県朝来市)の城主でした。関ヶ原の戦では西軍につき、因幡国鳥取城の城下を焼き払うという残忍な戦い方をしました。その結果、合戦後に勝者である徳川家康から自害を命じられます。斎村政広は命じられた通りに自ら命を絶ち、持っていた獅子王は家康によって没収されてしまいました。
しかし、同じ関ヶ原の合戦において東軍にいた土岐頼次が、斎村政広と同じく源頼政の子孫であることが分かり、家康はこの「獅子王」を土岐頼次に与えました。それから「獅子王」は、静かに土岐家の中で受け継がれていきます。
土岐家はその後、明治時代を迎えた時に、かつて先祖が帝から下賜されたこの獅子王を、皇室へと献上します。数多、戦場を駆けて来た獅子王は、こうして今は重要文化財として東京国立博物館に収蔵されています。時折、総合文化展(常設展)で公開されて、我々も鑑賞することができます。
謡曲で、恨みに嘆く鵺の亡霊は、頼政が帝からのお褒めの言葉と共に下賜されたこの「獅子王」を、さぞや悔しい思いで見ていたことでしょう。あるいは今も、鵺の鳴き声が聞こえるかもしれません。
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プロフィール
小説家
永井 紗耶子
慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。
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