日本博の皇居外苑特別公演「祈りのかたち」では、2019年に焼失した首里城再建への祈りを込めた琉球舞踊も披露される。「継承 祈りの舞」の第5回は、公演に向けた踊り手たちの思いを紹介する。今によみがえる「江戸上り」とは――?
華やかさ、男らしさ、コミカルさ―琉球舞踊の多彩な魅力感じて
三線の演奏と歌唱による「歌三線」の音色が響く国立劇場おきなわ(沖縄県浦添市)の稽古室。曲に合わせて男性舞踊家たちが腰を落とし、ゆったりとした足運びで踊っていた。ぴったりと息が合い、皇居外苑特別公演に向けて順調な仕上がりを見せていた。
「沖縄の古典舞踊を、江戸上りゆかりの旧江戸城そばで本土の皆さんに披露することができるのは、光栄なことです」。稽古を見守る同劇場芸術監督の嘉数道彦さん(41)が笑顔を見せた。
「江戸上り」は「江戸立」とも言い、徳川将軍就任の際などに琉球国王があいさつのために江戸へ使節団を送ったこと。琉球舞踊は江戸で披露され、好評を博した。嘉数さんらが今回の演目で選んだのは、江戸上りで実際に上演されたとされるものだ。
女踊「四つ竹」は、踊り手が花笠をかぶり、きらびやかな紅型衣装を着て優雅に踊る祝儀舞踊。手に持って打ち鳴らす竹製楽器のカチカチという音が、祝いの雰囲気を醸し出す。
「麾」は、元服した成年男子が踊る二才踊の一つで、緩急と強弱の利いた、りりしさが見どころだ。物語性を持つ滑稽な踊り「醜童」は、華やかな美女と地味な衣装の醜女を対比させ「顔だけでなく心が大切だ」と説く。
「華やかさや、男らしさ、それにコミカルさといった琉球舞踊の多面的な魅力を感じてもらえるはず」と嘉数さんは説明する。
踊りは力の源泉に
「沖縄を一つにする琉球芸能の力を感じ、胸が熱くなった」。嘉数さんは、昨年2月に首里城公園で行われた首里城復興祈念公演に出演した際の感動が今も心に残っている。首里城は2019年10月に焼損。同年11月に正殿前で予定されていた芸能公演が中止されただけに、待ちわびた県民らから喝采を浴びた。
琉球芸能の持つ力を信じる気持ちは、皇居外苑特別公演に臨む出演者たちに共通している。東江裕吉さん(45)は「琉球王国の消滅や、県内が焦土と化した沖縄戦から立ち上がる人々を、琉球芸能はいつも元気づけてきた。それを担う者として今回、首里城復興への気持ちを込め、踊りたい」と胸を高鳴らせている。
首里城は「琉球舞踊の聖地」
首里城は現在、焼け跡のがれきが撤去され、正殿など琉球王国を象徴する建物の威容は見られない。皇居外苑特別公演の出演者の一人、琉球舞踊家の玉城盛義さん(54)は「琉球芸能の聖地である首里城の一日も早い再建を待ち望んでいます」と語る。
首里城では、沖縄の伝統歌舞劇「組踊」が中国皇帝の使者の前で約300年前に初演され、琉球舞踊も頻繁に披露された。組踊の立方(役者)でもある玉城さん自身、首里城での組踊や舞踊の公演に何度も出演してきた。「首里城は芸能家として育ててくれた特別な場所。復興した舞台に立つ日を夢見て、この地で生まれ、育まれた芸能をしっかりと後世につなげていきたい」と決意を新たにする。
首里城は正殿など8棟が焼損。国は2026年までの正殿復元を目指し、設計作業を進める。北殿や南殿なども26年度以降に復元に向けた工事を行う方針だ。
「江戸上り」を追体験
17世紀以降、薩摩藩の支配下となった琉球王府は、徳川将軍や琉球国王の代替わりに合わせて江戸に使節を派遣した。片道2000キロに及ぶ江戸上りの道中、各所で音楽を奏で、舞い、江戸城や薩摩藩江戸屋敷でも披露した記録が残る。
「琉球人舞楽絵巻物」(沖縄県立博物館・美術館蔵)は、天保3年(1832年)の江戸上りを描いたものとされる。今回の特別公演で披露する琉球舞踊の演目「四つ竹」「麾」「醜童」が、色鮮やかに描かれている。
同博物館学芸員(美術工芸担当)の伊禮拓郎さんは、「絵画に残るものが再現され、現代に追体験できることは意義深い。踊り、音楽、衣装なども含め、総合芸術として沖縄の文化を連携して守り伝えていかなければと改めて感じている」と話している。
(2021年3月7日読売新聞朝刊より掲載)
日本博皇居外苑特別公演 ~祈りのかたち~公式サイトはこちら
出演の皆さんから一言
新垣悟さん
「四つ竹」の歌詞には晴れの舞台に立つうれしさが表現されています。コロナ禍のいま、まさにそれを実感しています。
宮城茂雄さん
今回のメンバーは、普段それぞれ違う先生のもとで学んでいます。そんな先輩方と踊れる機会はあまりないので、とても貴重な経験です。沖縄でも披露したいくらいの演目です。
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