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2021.3.25

【大人の教養・日本美術の時間】 わたしの偏愛美術手帳 vol. 2-下 清水実さん(三井記念美術館学芸部長)

藤原定家筆 国宝「熊野御幸記」

藤原定家筆 国宝「熊野御幸記」(部分)
(三井記念美術館)

前回に引き続き、三井記念美術館の清水実・学芸部長にお話をうかがいます。藤原定家筆、国宝「熊野御幸記くまのごこうき」の研究で、通算33回の旅で大阪から那智の滝(和歌山県)までの熊野古道を歩いたという清水さん。道中の楽しい思い出や不思議な出会い、そして神道美術の楽しみかたまで、たっぷりと語っていただきました。

「那智の滝 遠望」
(「平成の熊野古道」から。清水実さん提供)
定家の熊野詣でを追体験

-熊野古道を歩いてみて、どのようなことを感じましたか?

定家が熊野御幸記に記した世界を追体験できたことが楽しかったですね。鎌倉時代当時とは全然違うものの、それなりに道が残っていて、ここを歩いたのだな、と。過去の別世界の話のように思えますが、そうではないということです。定家は、汗水垂らして、せきが出て苦しんだり、足を痛めたりしながら歩いた様子を記していますが、そういうことも含めて追体験できたのです。

定家が随行したときは総勢数百人規模で行ったと思われますが、彼らが何をもって熊野に参詣したのだろうと考えますよね。熊野には今も、パワフルな、日本の原始的な霊性があります。昔のままの神社やお寺といった神仏習合のありようや、定家や後鳥羽上皇が見た自然が残っているのです。

「古道の石畳」
(「平成の熊野古道」から。清水実さん提供)

寄り道もたくさんしました。こてこての大阪らしい商店街を歩くのも楽しくて、それに、私は結構「てっちゃん」なので、鉄道の写真も撮りながら(笑)。古道沿いの小さな神社も全部寄って、王子社も一通りチェックしました。出張のついでにこんな旅ができるのは、学芸員冥利みょうりに尽きると思います(笑)。

それに、偶然の出会いというか、導かれているように感じる出来事が多かったですね。

例えば、2009年に「道教の美術 TAOISM ART」という展覧会で、久米田寺くめだでら(大阪府岸和田市)の「星曼荼羅まんだら」を借りることになっていたのですが、私が熊野古道のルートで久米田寺に行った日が、ちょうど星曼荼羅をかけて法要を行う「星まつり」の日だったのです。本当に奇遇で、神がかっていると思いました。

「有田市糸我町中番 得生寺 お会式」
(「平成の熊野古道」から。清水実さん提供)

それから、2014年に、中将姫ちゅうじょうひめ当麻曼荼羅たいままんだら蓮糸はすいとで織った伝説で有名)ゆかりの得生寺とくしょうじ(和歌山県有田市)の近くを通った時には、道で出会った地元の女性に「会式えしきに来なさったか?」と聞かれました。年に1度だけ開かれる中将姫の来迎らいごうのお会式が、その日にあるというのです。地元の小学生たちが二十五菩薩にふんして、開山堂から本堂へ続く橋を渡って、中将姫が極楽浄土に往生する場面を再現するという法会ほうえでした。偶然、話しかけられなかったら、知らないまま通り過ぎていたと思います。

アンテナを張って、興味を持って歩いていると、そういうものに、ふと、導かれることがあります。

自分で見て、肌で感じる

―神道美術をどのように楽しむのがおすすめですか?

神道美術の宮曼荼羅(神社の社殿、伽藍がらん、周辺の自然を描いたもの)には、宗教的な世界が鳥瞰ちょうかん図で描かれています。ですから、描かれたその場所に実際に行ってみてほしいですね。絵空事の部分もあるし、ちゃんと描かれているところもあるので、そういうことも確認しながら。

現地に行くと、曼荼羅のなかに自分がいるのです。例えば、熊野曼荼羅(本宮・新宮・那智の熊野三山を描いたもの)でしたら、描かれたなかに、現代を生きている自分がいるということです。

春日大社や日吉大社、それに富士山も、描かれた場所に行って、自分で見て、肌で感じることが一番大事ですし、神道美術の醍醐だいご味はそこにあると思います。

今は写真もデジタルで、メモ代わりにどんどん撮れますから、あとで写真と曼荼羅を見比べて、この建物はこのように描かれているとか、今も同じ場所にあるとか、そうした発見も楽しいですね。

2011年に「日本美術にみる橋ものがたり」という展覧会を開催したときにも、あちこちの橋を見に行って、写真を撮りました。雪舟の「天橋立図」に描かれている場所も全部歩きましたが、描かれた通りの景色で、雪舟は現地に行って描いたんだな、と思いましたね。東日本大震災が起きた年で、展覧会が中止になる可能性もあったのですが、それでも、橋にはあの世とこの世をつなぐイメージもあり、洪水で流れた橋もいつかは復興するという思いで、開催に至りました。

学芸員を目指して

―子どもの頃から美術が好きでしたか?

私は飛騨高山の出身です。父は絵がうまくて、若い頃、日本画家に弟子入りしようとしたらしいのですが、その日に大雪が降って断念し、長男だったので、家業の和菓子店を継いだそうです。でも、絵は続けたので、私が小さい頃、父の部屋に行くと描いていましたね。叔父は洋画家でした。私も絵が好きで、子どもの頃、入選したりしていました。

高校の美術の先生は、シュールレアリスムやキュビスム、紙を切って貼るコラージュなど、いろいろ制作させてくれて、冬の寒い時期には、スライドで西洋美術史と日本美術史を教えてくれました。それが学芸員になった一つのきっかけかもしれません。

芸大を目指したのですが、東京に出てきて予備校に行くと、3浪、4浪をしていても、とてもうまい人たちがいて、これはかなわないと諦めました。その時に、美術館の学芸員という仕事を知って、方向転換したのです。

学芸員の資格が取れる大学を受けたのですが、あの頃は学生運動が激しくて、もう一つ受かった大学は、結構すさんだ感じでした。ところが、国学院大学は、校門を入ると、すぐ右手に神社があるのです。私の故郷は、神社やお寺が多くて、子どもの頃の遊び場は神社の境内でしたから、いいなあと思って、国学院に入りました。

神道美術の世界に誘われて

国学院には美術史学科がなかったので、史学科でした。もとは美術をやりたかったわけですが、古文書を読むのも面白くて、日本の歴史、史学に目覚めました。

1年生の時に「神道概論」という講義があって、最初はよくわからなかったのですが、神社の始まりに興味を持ちました。本殿がなく、拝殿のみで、山そのものが御神体という、奈良の大神おおみわ神社などですね。リポートの課題で、原稿用紙100枚くらい書いたら、あまりの量に、先生に「なんだこれは。卒論じゃないか」と言われました(笑)。

「お寺のなかに、なぜ、赤い鳥居があるのだろう」とか、全く知識がないところから始まったのですが、やがて、神仏習合に興味を持ちました。例えば、大神神社の御神体である三輪山の奥には大峰山脈があって、修験道の山伏たちが修行しています。私は北アルプスを見ながら育ちましたし、山岳信仰にひかれて、卒論は修験道にしました。熊野や吉野などの神道美術も関わる分野です。(神道・仏教美術学者である)景山春樹かげやまはるき先生の神道美術の本などを読みあさって、神道曼荼羅が面白いと思いました。

大学には学芸員を目指して入ったので、会社に勤めようとは全く思わず、博物館学の講義をされていた加藤有次先生から、久能山くのうざん東照宮博物館(静岡)を紹介していただきました。静岡には富士山がありますから、修験道や神道美術の研究もできるだろうな、と。

当時の久能山東照宮の宮司は、博物館の館長と静岡県博物館協会の会長も兼任していた、有名な松浦国男宮司でした。「松浦海賊(松浦党)の子孫だ」と言っていて、声が大きくて、迫力ある風貌ふうぼうでね。

面接に行ったら、松浦宮司に、どうやって来たのか聞かれました。ロープウェーで日本平から行くのと、ふもとから歩いて上るルートがあるのです。「下から歩いてきました」と答えたら、「よし」と合格になって(笑)。そこに8年半勤めました。

清水実・三井記念美術館学芸部長(鮫島圭代筆)
三井家伝世の至宝との出会い

1984年に、当時90歳近かった三井本家(三井北家)の八郎右衞門氏(先代)が、三井家に伝わった文化財を散逸させたくないという思いから、美術品を三井文庫に寄贈され、三井文庫別館が建てられました。成城大学学長(当時)の安藤良雄氏が、三井文庫の文庫長を兼ねていた縁で、この事業に、成城大学で教えていた清水眞澄氏(現・三井記念美術館館長)が携わり、学芸員が1人必要になって、私に声がかかったのです。

三井文庫別館に勤め始めた頃は、三井家から寄贈された数多くの所蔵品を、一つずつ蓋を開けて、記録して、という地味な作業がずっと続きましたね。

毎日、新しい美術品の箱を開けるのです。半分くらいは茶道具ですが、その種類もさまざまですし、それ以外にも敦煌とんこう写経やひな人形など、仏像以外のあらゆるジャンルがあります。三井家が300年以上生活してきた中で集まってきたものが、ごそっと来ているわけですから。茶道を習ったりしながら、美術品を整理し、別館では年に3回、展覧会をやりました。

紐やラベルまで、すべてが大切な史料

「熊野御幸記」との出会いも、その頃です。自分の専門である神道美術的なものはないだろうかと思っていたら、三井北家の伝世品の中にありました。本当にどうということのない青いきれに包まれていて。

箱書きなども歴史を伝えてくれますが、それに限らず、すべてが史料なので、一見、ゴミだと思うようなものも、そのまま取ってあります。お菓子のひもが結んであったり、赤や緑のラベルが貼ってあったりすることがありますが、それは三井家の人々が「これは良いものだ」という価値判断でつけたりしているので、どんな意識でそれを所蔵していたのかがわかるのです。

作品本位で考えれば、美術史の様式論で価値を判断するということになりますが、私は、作品が入っていた箱や風呂敷、メモまで、ひとまとめで伝えることが大切だと思っています。

先代の八郎右衞門氏は、三井家の美術品をばらばらにしたくないという意識をお持ちでした。あの頃はバブル期で、売れば、すごく高価だったわけですが、三井文庫に一括して寄贈された理由が、今になってわかる気がしますね。

博物学者としての学芸員

研究の専門分野というのは大事ですが、私の場合は、三井家に伝わった幅広いジャンルの美術品を取り扱うので、「私はこの専門です」とは言っていられない状況にありました。年を重ねた今、そうした幅広い知識が結びついていく感じがします。例えば、2011年に「日本美術にみる橋ものがたり」という展覧会を開催したときには、絵だけではなく、書や工芸品、茶道具の銘など、いろいろな切り口に広がりました。

展覧会をするには、何に対しても興味があることが必要だろうと思います。ですから、最近は、学芸員は博物学者であるべきでは、と考えるようになりました。

◇ ◇ ◇

40年間近く、三井家の至宝とともに歩んできた清水さん。描かれた場所に実際に行く楽しさや、学芸員は博物学者たるべきだといったお話が印象的でした。みなさんも清水さんのアドバイスを参考に、神道美術の世界を堪能してみてはいかがでしょうか。

清水 実(しみず・みのる)】1952年、岐阜県高山市生まれ。国学院大学史学科卒。久能山くのうざん東照宮博物館学芸員を経て、1984年、財団法人三井文庫へ移籍し、三井文庫別館の学芸員となる。以来、三井家から寄贈された茶道具を中心とする美術品の整理・調査研究・展示公開に従事。現在は、三井記念美術館参事・学芸部長。国学院大学神道文化学部兼任講師。専門は、神道美術と茶道美術。「三井家伝世の至宝」(2015年)、「日本美術にみる橋ものがたり」(11年)、「道教の美術 TAOISM ART」(09年)、「美術の遊びとこころ 『旅』」(07年)などの展覧会を企画・監修。共著書に「道教美術の可能性」(10年)、「国宝 熊野御幸記」(09年)、「表千家歴代家元の好みに見る 茶の湯の美と心」(04年)など。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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