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2020.9.28

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 3 東洋文庫ミュージアム

モリソン書庫(東洋文庫提供)

都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいは、ビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

世界屈指の東洋学専門図書館

明治時代に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が所有した、東京・駒込の日本庭園・六義園りくぎえん。その近くに、7階建てのモダンなビルがそびえています。

ここは、三菱第3代社長の岩崎久弥ひさやが創設した東洋文庫。日本最古にして最大、世界でも5本の指に入る東洋学の専門図書館・研究所です。

2011年の建て替えに伴い、新たにミュージアムが併設されました。アジアの歴史や文化の魅力を伝えるさまざまな企画展で、世界的に貴重な蔵書を公開しています。展示室に入ると、そこはまるでハリー・ポッターの世界。壮大な壁一面の本棚「モリソン書庫」に圧倒されます。



岩崎久弥(右)とモリソン(鮫島圭代筆)

東洋文庫を創設した岩崎久弥は幕末、岩崎弥太郎の長男として、現在の高知県安芸市に生まれました。色白で瞳が大きく愛らしい少年だったとか。福沢諭吉の慶応義塾に学んだのち、父が創設した三菱商業学校に転校。19歳のときに父が逝去し、叔父の弥之助が三菱を継ぎました。久弥は翌年渡米し、ペンシルベニア大学に留学。帰国後、3代目社長に就任し、以降、父が亡くなった年齢に近い51歳で辞任するまで、三菱を牽引けんいんしました。

岩崎家は代々読書家で、とりわけ本好きだった久弥は、父・弥太郎の蔵書「岩崎文庫」を引き継ぎ、大幅に拡充しました。鉱物学者かつ書誌学者の和田維四郎つなしろうを顧問に迎え、和漢の貴重書、特に日本関連の文献の収集に情熱を注いだのです。

この時代、日本に近代的な歴史学がもたらされ、東京帝国大学(現・東京大学)に東洋史学科が設立されました。久弥も広く東洋に関心を広げ、オックスフォード大学のマックス・ミューラー教授がのこした古代インド学関係の書籍を一括購入し、東大図書館に寄贈しています(のちに関東大震災で焼失)。

また、東洋学の発展には欧文資料も欠かせないと、社長の座を従弟いとこの小弥太に譲った直後の1917年、「モリソン文庫」を購入しました。ジョージ・アーネスト・モリソンが収集した資料約2万4000点です。

モリソンはオーストラリア生まれで、日本を含むアジア各地を旅したのち、イギリスの新聞社タイムズに入社。1897年から北京に駐在し、英米では比類の中国通として知られました。そして、中国在任中の20年間に、極東アジアに関する欧文資料の一大コレクション「モリソン文庫」を築きます。

モリソンはその売却を決め、米中からも引き合いがあるなか、三菱財閥トップで愛書家の岩崎久弥にコレクションの未来を託しました。

駐中国特命全権公使や北京警察総庁の協力のもと、中国から横浜港へと運ばれ、東京・深川の岩崎別邸へ。台風による水害に遭うも、蔵書の大半が無事救出・修理されました。

久弥はモリソンの望みに従い、モリソン文庫の拡充と一般公開を目指します。7年間で書籍数を2倍に増やし、ついに大正13年(1924年)、日本初の東洋学の研究図書館、東洋文庫を設立。土地と建物、運営資金を寄付し、その後も蔵書の購入を支援しました。

戦中・戦後の苦難を乗り越えて

やがて、第2次世界大戦が激化すると、東洋文庫のスタッフにも召集令状が届き、駒込界隈かいわいは激しい空襲が続きました。隣の六義園に爆弾が落ちると、窓ガラスが割れ、屋根に焼夷しょうい弾が落ちたときには懸命に消火したといいます。

戦争末期、中国史の研究者・星斌夫あやおが宮城県の故郷を疎開先として提案。苦難の末、蔵書の大半が延べ14両の貨車で運ばれました。

終戦直後、三菱はGHQの財閥解体命令を受けます。物価も高騰し、東洋文庫は厳しい財政状況に直面。疎開させた蔵書は終戦から4年後にようやく東京に戻り、昭和30年(1955年)、創設者の久弥が世を去りました。

東洋文庫の図書部は、戦後まもなく、国立国会図書館の支部となったことで蔵書の維持が可能となり、この体制は2009年まで続きました。一方、研究・出版部門に対しては、1950年代から文部省の補助金と三菱の東洋文庫維持会からの援助、そして、1970年代からは、三菱財団の助成も受けるようになりました。

さらに、ハーバード・エンチン財団やロックフェラー財団など、海外からも多額の寄付が贈られました。1961年から42年間は、ユネスコの東アジア文化研究センターが東洋文庫内に設置され、今もなお、欧米やアジアの名だたる研究機関と提携を結んでいます。

現在の蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊で、その内訳は、漢籍40%、洋書 30%、和書20%、その他のアジア言語10%と広範に及びます。

主なものでは、甲骨文字、論語、妙法蓮華れんげ経、史記、聖書、魏志倭人伝、コーラン、古事記、万葉集、日本書紀、古今和歌集、枕草子、源氏物語、源平盛衰記、御成敗式目、東方見聞録、徒然草、太平記、永楽大典、オスマン帝国史、ロビンソン・クルーソー漂流記、解体新書、国富論、そして、喜多川歌麿や葛飾北斎などの浮世絵――教科書に載っている書物ばかりですね。

無料で閲覧でき、1990年代からは、データベース化が進んで、一部はインターネットでも公開されています。

東洋文庫外観(東洋文庫提供)
鑑賞後はカフェでゆったり

ミュージアム鑑賞のあとは、ほっと一息。

併設の「オリエント・カフェ」は、三菱の第2代社長・岩崎弥之助が創業に関わった小岩井農場との共同プロデュースです。カフェの前に広がる庭も癒やしのスポット。シーボルト・ガルテンと名付けられた一角には、東洋文庫所蔵のシーボルト『日本植物誌』掲載の草木が植えられています。ミュージアムとカフェをつなぐ「知恵の小径こみち」には、アジアの多彩な言語による格言が日本語訳とともに記されており、賢人たちの言葉に親しむのもおすすめです。

東洋文庫ミュージアム・ウェブサイト

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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