日本画材の専門店に行ったことはありますか? さまざまな色の粉が入った透明の瓶が壁一面にずらりと並んでいて、とてもきれい。「一番好きな色はどれかな?」なんて考えながら眺めるだけでも楽しいです。
これが日本画で使われる「岩絵具」で、その名の通り、岩石を細かく砕いたものです。
子どもの頃、海や山できれいな石を拾った思い出はありますか? その色をそのまま絵具にできたら素敵ですよね。岩絵具はそれを実現したものといえます。
岩絵具は、膠(動物の骨や皮から抽出する接着剤)と混ぜて、紙や板、絹の上に定着させます。どれも自然の素材ですね。
水彩絵の具であれば、同じ名前のチューブに入っているのはいつでも同じ色ですが、天然の岩石から作る岩絵具ではそうはいきません。岩石ごとに異なる不純物が含まれ、また、精製の過程によっても色が変わるため、全く同じ色が常に手に入るわけではないのです。この不均一な岩絵具をどう使いこなすか、それが絵師の腕の見せどころであり、日本画の楽しさです。
また、さまざまな岩絵具を指で触ると、それぞれ異なる感触があります。描くと単に色の違いだけでなく、そうした質感の違いが表れ、奥深い効果を生み出すのです。
日本画を描くことは、自然の素材と戯れることと言えるかもしれません。
岩絵具は、同じ岩石でも、砕き方の度合いや加熱によって、微妙に異なる色になります。そのため、長い歴史の中で製造技術が磨かれ、さまざまな色合いが生み出されてきました。その種類は約2000色に及ぶといわれます。
ここで、一般的な岩絵具の製造工程をご紹介します。
まず、岩石を粗削りしてから細かく砕いていき、砂状になったら鉢に移して、水を入れてかき混ぜます。こうすると、大きな粒子は早く沈み、細かい粒子は遅れて沈みます。大きな粒子が沈んだら、上澄みを別の鉢に移します。この作業を繰り返すことで、大きさが違う粒子が入った十数種類の鉢ができます。鉢ごとに、中身を盆に入れて水を加えてゆすり、不純物を浮かせて取り除きます。これを乾かせば完成です。
ひとつの岩石から粒子の大きさの違う岩絵具が十数種類も作られるのですね。
粒子が大きいほど色が濃く、細かくなるほど色が淡くなります。画材店に行くと、粒子の大きさ順に番号が振られており(粒子が細かいほど番号が大きい)、また、最も細かいもの、つまり、一番色が薄いものは「白」と呼ばれます。
また、岩石は熱を加えると黒っぽくなり、加熱時間によっても色味が変わります。ただし、有毒ガスが出る素材もあるので、換気が必要。特に、赤い色の辰砂は猛毒ガスが出るため、焼くことはできません。
日本画で使われる色料には、色素を紙の表面に定着させる「顔料」と、色素を紙の中に染み込ませる「染料」があり、岩絵具は顔料の仲間です。顔料には、ほかに人工的に作られるものもあり、中でも古くから使われてきたのは、水銀と硫黄を合成して作る赤い顔料の「朱」や、土から作る黄色い顔料の「黄土」などです。一方、染料の多くは、藍や茜などの植物から作られます。
奈良時代、顔料や染料は、布や紙などと同様に諸国から都へと献上されました。平安時代初期の歴史書『続日本紀』には、近江国の「金青」(群青)、伊勢国の「朱沙」(辰砂)など、献上した国と色料の名前が記されています。正倉院文書の記録によれば、朝鮮半島・新羅の色料や、中国・唐の墨なども使われていたそうです。
明治時代以前は、色料の大半が天然の鉱物や植物から作られていました。色数は今より少なく、絵師たちは絵具を混ぜ合わせたり、塗り重ねたりして工夫しました。古代の色料は高品質で、鎌倉・室町時代には質が低下したといわれますが、桃山時代には再び良質のものが主流となったようです。江戸時代には、西洋から新しい色料が輸入され、絵師たちはさらに表現の幅を広げました。
一方で、伝統的な色料は、古代から千数百年間、脈々と継承され、現在も使われています。日本画の世界では今も、古代の絵具や技法が生きているのですね。
ここで、代表的な天然の岩絵具をご紹介しましょう。
青色の「群青」は、アジアで古くから珍重されてきました。藍銅鉱(アズライト)という岩石を砕いたもので、最も目が粗く色が濃いものを「紺青」、一番細かく色が淡いものを「白群」といいます。加熱すると黒っぽくなり「焼群青」と呼ばれ、焼いたものと焼かないものを混ぜ合わせることで、さらに多様な青色が作られます。
「緑青」は古来、東洋で緑の絵具として使われてきた岩絵具で、原石は孔雀石(マラカイト)です。目が粗くて色が濃いものを「松葉緑青」、最も細かくて色が薄いものは「白緑」といいます。加熱したものは「焼緑青」です。
赤い岩絵具「辰砂」の原石は辰砂鉱で、粒子が細かいと黄味を帯び、粗いと深紅色になります。
天然絵具の原石には、有毒なものや産出量の少ないものもあります。そのため、近代以降は、安価で耐久性に優れた、人工的な岩絵具が生産され、天然の岩絵具にはなかった新しい色も生み出されました。
ガラス質に色を付けた「新岩絵具」、白い鉱物・方解石などを着色した「合成岩絵具」、そして、胡粉(白い貝殻の粉末)や白土を染めた「水干絵具(泥絵具)」などがあります。
さらに、水彩画のように、水を含ませた筆で溶くだけで使える手軽な絵の具も普及しました。色料を膠液で練り固めた「棒絵具」や、アラビアゴムなどで練り固めた「顔彩」です。
今回は、岩絵具にまつわる基礎知識をご紹介しました。これから日本画を見る際には、絵の色や質感を観察して、絵師がどんな岩絵具をどのように使ったのか想像してみてください。いつもより一歩深い鑑賞体験ができるはずです。
※11月29日まで東京国立博物館で開催中の特別展「桃山-天下人の100年」では、鮮やかな岩絵具をふんだんに使った華やかな障壁画や屏風絵の名品をご覧になれます。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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