美術館で「◎」「●」という記号をみたことはありませんか? 「なんのマークだろう?」と思われたことがあるかもしれません。「◎」は「重要文化財」、「●」は「国宝」を表しています。「重要文化財」を略して「重文」と書くこともあります。
よく聞く言葉ですが、いったいどんな制度で、いつ始まったのか、知らない方も多いはず。
その起源を知るために、いざ、明治時代の初めにタイムスリップしましょう!
当時、日本の文化財は大きな危機に直面していました。
というのも、こんな時代背景があったのです。
キーワードは、開国、文明開化、殖産興業、富国強兵――明治の新政府は、国を強く豊かにしようと、西洋の社会制度や産業を積極的に取り入れていきました。銀座に生まれたモダンな煉瓦(れんが)街、新橋・横浜間に開通した鉄道を始め、人々は西洋文化に憧れ、学び取り、新しい時代を生き抜こうとしていました。その一方で、日本の伝統文化が軽んじられ、その結果、貴重な文化財をないがしろにする風潮が広まっていたのです。
それに加え、政府は神社とお寺を分ける「神仏分離令」を出しました。これを機に、伝統ある建物や仏像が壊されたり、安い値段で古美術商の手に渡ったりしたのです。なんと、奈良の興福寺・五重塔も売り払われる寸前だったというから驚きですね。(今では超有名な国宝です!)
一方、ヨーロッパはその頃、日本ブーム(ジャポニスム)のまっただなか。そのため日本にいたヨーロッパ人が、市場に流れたたくさんの美術工芸品を買い、欧州に持ち帰りました。
そんなこんなで、明治時代初め、日本古来の文化財は大ピンチだったのです! この現状を目の当たりにした官僚・町田久成は博物館の建設や文化財の保護を訴えました。
そして、その思いに共鳴し、日本の文化財保護政策に多大な貢献をしたのが、ご存じ、岡倉天心です。
天心が美術の道にいざなわれたキッカケ。それは、東京大学に在学中、アメリカ人の教師フェノロサと出会ったことです。フェノロサはハーバード大学卒業後、お雇い外国人教師として来日。東大で哲学などを教えるかたわら、古美術に魅せられ、神社や寺、旧家の宝物を調査し、見過ごされていた日本美術の素晴らしさを訴えました。
英語が堪能だった天心は、在学中からフェノロサの通訳や助手をつとめたのです。
天心は東大卒業後、文部省に入りました。「日本美術の未来のため、まずは全体像を把握せねば!」と、各地で調査を重ねます。そうした情熱や研究成果は、文部省の重鎮・九鬼隆一らを動かし、徐々に、日本の美術史研究や美術教育の礎が築かれていきました。
そのひとつが東京美術学校(現・東京芸大)の創設です。天心は校長を務めました。そして、帝国博物館(現・東京国立博物館)が誕生し、九鬼隆一が総長に就任。さらに世界最古の美術雑誌のひとつ「国華」が創刊され、その創刊号に記された「美術は国の精華なり」という有名な言葉には、天心の熱い信念がうかがえます。
そして明治 30年(1897年)、ついに「古社寺保存法」の制定に至ります。優れた文化財を国が指定・保護することになったのです。これが「国宝」の指定制度の始まりです。この制度では指定の対象は神社や寺の宝物だけでしたが、昭和4年(1929年)には、これに代わって「国宝保存法」が制定され、対象が個人の所蔵品にも広がりました。そして第2次世界大戦後、「文化財保護法」が制定され、それまで「国宝保存法」のもとで指定された「国宝」がいったんすべて「重要文化財」とされ、そのなかから、あらためて「国宝」が指定されました。この制度が今に続いているのです。
ところで、「国宝」や「重要文化財」は、毎年、新たに数点が指定されているのをご存じですか? 新しい研究成果や発見などにともなって、年々増えているのです!
2019年7月1日現在、「国宝」の総数はなんと1,116点、「重要文化財」は13,232点にのぼります。その内訳は、美術工芸品(絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料、歴史資料)、そして建造物。全国各地にありますから、次の週末に「国宝を見に美術館や博物館を訪ね歩く旅」なんて、いかがでしょう。
また、例年ゴールデンウィークの時期には、新しく指定されたばかりの「国宝」や「重要文化財」が東京国立博物館でお披露目されています。いち早く新しい顔ぶれをチェックしに出かけるのもオススメです。
「国宝」や「重要文化財」の知られざるお話、お楽しみいただけましたか? 日本の文化財が危機にひんしていた明治時代、人々の情熱によって創り出されたこの制度は、日本美術の価値を伝え、守り伝える役割を果たしてきたのですね。現代を生きる私たちもまた、次の世代へとそのバトンをつなげていかなくてはなりません。
そしてもちろん、素晴らしい美術品は「国宝」に限りません。世の中には優れた作品がたくさんあります。みなさんも美術館でお気に入りをみつけて、心の中でひそかに「宝物指定」してみては!? きっと美術品をもっと身近に感じられ、鑑賞の楽しさが増すことでしょう。
最後に、京都・泉屋博古館に所蔵されている国宝「秋野牧牛図」をご紹介します。
穏やかな秋の昼下がり。紅葉した大樹の陰で水牛の親子が寝そべり、水牛の世話をする子供もくつろいでいます。作者は中国・宋時代の宮廷画家で牛の絵を得意とした閻次平とも伝えられてきましたが、少しのちの時代の作といわれます。堂々とした構図や背景の微妙なグラデーション、子供の衣服の細やかな描写など、宮廷画にふさわしい風格ですね。昭和32年(1957年)に国宝に指定され、多くの来館者を魅了してきました。
京都と東京の泉屋博古館では、9月上旬から、国宝や重要文化財を含む多くの名品が並ぶ「住友財団修復助成30年記念 文化財よ、永遠に」展が開催されます。この展覧会では、文化財の修復を長年行ってきた住友財団の文化財維持修復事業助成の成果を紹介し、修復によってかつての姿がよみがえった名品を展示しています。※ 「秋野牧牛図」は展示されません。
この展覧会についての詳細は、泉屋博古館公式サイトへ。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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