2021.7.14
狩野永徳筆「松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風」
九州国立博物館(福岡県太宰府市・九博)の畑靖紀・主任研究員へのインタビュー。今回は、「文化交流」をモットーに掲げる九博ならではの所蔵品の紹介や、子どもや美術初心者にも親しまれる展示づくり、そして来館者へのメッセージをうかがいました。
―九博には、開館1年前の準備室の段階で着任されたのですね。
九博に来るまで16年間、ずっと東北大にいました。大学院のあと、助手や非常勤講師などをして。じつはその間、ずっとオーケストラを続けて、むしろ、研究よりもそちらがメインだったというか。
九博は2005年に、日本で4館目の国立博物館としてオープンし、「文化交流」というモットーを掲げました。
私は大学院の頃から、中国に留学した雪舟の絵と同時代の中国絵画の比較や、室町時代に愛好された200~300年前の中国の美術品である東山御物の研究などもしていたので、もともと文化交流への興味がありました。
このモットーは、九博の業務の隅々にまで行き届いており、常設展示で、作品の背景にある文化交流の歴史を紹介することはもちろん、作品の購入を決める際にも重視されます。
狩野永徳の「松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風」の購入を検討した時にも、美術品としてのそれ自体の価値はもちろんですが、展示室でどんな作品と並べれば、中国絵画からの影響といった背景が見せられるのかを議論しました。実際には、中国の画家・牧谿の水墨画を他館から借りたり、写真パネルで代用したりして、並べて展示しています。将来的には、牧谿の花鳥図、狩野元信の水墨画とともに展示して、中国絵画から元信、永徳へという流れを示すことができたらいいですね。
―「文化交流」のモットーにふさわしい所蔵品を2点紹介してくださるとのことですが、まずは、狩野孝信の「唐船・南蛮船図屏風」についてお聞かせください。
南蛮屏風は、桃山時代から江戸時代初期の交易の様子を描いたもので、国内外で90点以上が確認されています。この屏風には落款も印章もありませんが、画風から永徳の次男で探幽の父・孝信の作と考えられています。展覧会で画家の名前を明記できる南蛮屏風には、ほかに狩野内膳のものしかなく、非常に貴重です。注文主はわかりませんが、屏風の金具に、豊臣秀吉の家臣・脇坂家のデザインが入っています。
構図も非常に珍しいです。南蛮屏風は構図が明快なものが多く、たいてい、手前の通り、その向こうの通り、そして一番奥の建物、と舞台の書割のような構成になっており、道路を挟んだ向こう側を眺める視点で描かれています。ところが、この作品は、手前の岸、町なかの大通り、右奥の南蛮寺まで、何重にも空間が作られており、しかも、高い視点から広いエリアを眺め下ろす構図になっているのです。京都の景観を描いた洛中洛外図を思わせるような、大観的な構成です。
多くの南蛮屏風では人物が大きく、屏風の高さに対して3分の1ほどの背丈のものさえあるのですが、この作品は非常にそれが小さい。キヤノンの「綴プロジェクト」で高精細複製品を作ってもらったのですが、パソコンの画面で拡大しても全然ブレないくらい精緻な描写です。
大画面にもかかわらず、わずか2、3センチメートルのモチーフまで丁寧に描いてあります。左の画面に、船から下ろされた四角い荷物が描かれていますが、竹細工のような編み込みまで見えます。こうした細かい描写は作者・孝信の特徴ですが、この絵は孝信の作品のなかでも一、二を争う緻密さで、南蛮屏風としてはかなり異色です。
細かな描写というと、土佐派の画帖が想起されるとはいえ、ここまで時代が下ると、やまと絵の系譜というより、狩野派の中で醸成された表現といえると思います。
この作品は、当館が2005年に古美術商から購入するまで、その存在が知られていませんでした。保存状態が良くて彩色があまりに鮮やかなので、私が最初に見たときは、後世の写しではないかと思ったぐらいです。この時代の絵としては珍しく、とりわけオレンジ色が鮮やかで、衣服や建物などに使われているので、ぜひ探してみてください。
―制作費が潤沢で、質の高い絵の具を使えたということでしょうか?
そうですね。はっきりとはわかりませんが、ある種の献上品だったのかもしれません。一般に南蛮屏風は、出来の善しあしにかかわらず、落款がないものが大半なのですが、この作品については、特別な注文だったために、あえて落款を記さなかったという可能性が考えられます。
―続いて、李蔭庭の「葡萄図屏風」についてもお聞かせください。
この絵のテーマであるブドウのようなつる性植物は、ペルシアの唐草模様に代表されるように、もともと西方から中国に伝わりました。このモチーフは、生育がよく、盛んに伸びることから、繁栄のイメージがあります。なかでもブドウは、一房にたくさんの実をつけるので、子孫繁栄をイメージさせるおめでたい画題として尊ばれました。そして、水墨で葡萄を描く伝統が、中国大陸から朝鮮半島、日本へと伝来し、とりわけ朝鮮半島で数多く作られたのです。日本では江戸時代の画家・伊藤若冲の葡萄図が有名ですね。
水墨の葡萄図には夜のイメージもあります。色を使わずに墨だけで描いて、暗闇のなかのシルエットを表現しているのです。描かれてはいませんが、夜の月のイメージも伴っており、また、時間や人の運命を司るメタファーもあります。
枝が横たわるように伸びる構図は、朝鮮時代の葡萄図屏風に多いのですが、なかでもこの作品の枝ぶりには激しい勢いがあります。
ところで画面の左下の枯れた枝ですが、これは竜の頭に見えませんか? 黒い点が竜の目を表わしていて、火を噴いているような。勢いよく、のたうち回るような構図も、竜を思わせます。
竜は、東アジアでとても重要なモチーフです。朝鮮では、ブドウのことを「龍珠」と言います。
朝鮮時代に描かれたほかの葡萄図は、もう少し動きが穏やかなのですが、この絵はとぐろを巻いてうごめいているような印象です。この絵の作者は、ブドウというより、竜を描こうとしたのではないかと思います。竜はおめでたい画題であり、そこに子孫繁栄や夜など、いろいろなイメージを重ねたのです。
描き方にも注目してください。ブドウの葉っぱや実が重なっている部分が、細くて白い筋になっていますが、これは白い輪郭線を引いたわけではありません。実は、墨の面だけでギリギリまで塗って、塗り残した部分が、白い輪郭線のように見えるのです。
さらには、ブドウの葉の表と裏で、異なる墨を使っています。一般的に、油煙墨(菜種油を燃やした煤で作る墨)は赤みがかった黒色で、松煙墨(松を燃やした煤で作る墨)は青みがかった黒色なのですが、そのような種類の違う墨を使い分けて、葉の裏表を描き分けたのです。
実や葉という一番数の多いモチーフを、あえてこうした手間のかかる方法で描いたということにも驚かされますね。
―最後に、読者へのメッセージをお願いします。
九博は、九州に国立博物館を、という地元の方々の熱意を受けて2005年にオープンしました。ですから、せっかく来ていただいた方々にちゃんと親しみを持っていただけるように、国宝の作品だけを探して帰っていくような経験はさせたくないと思っています。
どんなにいい展示でも、見に行こうと思ってくださる方がいなければ意味がないし、わかりにくい内容だと、むしろモヤモヤさせてしまいます。ですから、展示の構成や説明パネルは、できるだけ簡潔で理解しやすいように、くどくならないように心がけています。また、一般の来館者の方からの質問には一つ一つわかりやすくお答えするように努めています。
いまはネットで家に居ながらにしていろんなものを見ることができますが、展示室で作品を目の前にすると、絵の大きさや密度、雰囲気など、パソコンの画面や印刷物ではわからない、多くのことを感じることができます。九博に行けば、普段と違う気分を味わえるとか、なんだか楽しいとか、知的な刺激を受けられるとか、そんな感想を持っていただき、繰り返し訪れていただけたら本当にありがたいですね。
―九博は、展示室の壁の色から展覧会ポスターまで、明るく楽しい雰囲気ですよね。
そのあたりは職員みんながとても意識しています。この分野の決定版の展覧会だ、といったような価値の高さを前面に押し出すのではなく、興味がなくてもちょっと見てみませんか、という雰囲気づくりを大切にしています。会場を出たあとで、チラシに載っていたこの作品も見たし、ほかにはこんな作品もあったな、などと思い返して、特に気に入った作品をしばらく覚えていてもらえたらいいなと思います。
―子ども向けの体験型展示室「あじっぱ」も魅力的ですね。
子どものころから博物館に行く習慣を持ってもらえたらと思います。家族で来館して、「あじっぱ」で楽しい思い出を作ってもらって、10年後、20年後に大人になってからも来てもらえたらいいですね。
2005年に九博が開館したときに、当時の三輪嘉六館長の発案で、地元の中学生に博物館の建物の「定礎」の文字を書いていただき、開館の式典にも参加していただいたのですが、開館10周年の式典では、当たり前の話ですが、その子はもう立派な大人になっていました。開館当日の一般公開の順番待ちで早朝から最前列に並んでくれていた小学生のグループも、今は20代後半ぐらいでしょうか。そうした方たちが今も博物館にリピートして来てくれていたら、とてもうれしいです。
◇ ◇ ◇
「文化交流」のモットーを掲げる九博は、畑さんたちが開館当初から作り上げてきた、明るく親しみやすい雰囲気にあふれています。今回紹介していただいた作品のほかにも、文化交流の歴史を伝える貴重な美術品が数多く所蔵されていますので、まずは、九博のウェブサイトをチェックしてみてはいかがでしょうか。
【畑靖紀(はた・やすのり)】昭和46年(1971年)、秋田県横手市生まれ。東北大学文学部東洋・日本美術史研究室、同大学院、同助手などを経て、2004年より、九州国立博物館研究員。専門は日本・東洋絵画、特に雪舟および東山御物。展覧会「台北國立故宮博物院―神品至宝―」(2014年)などを企画・担当。著書に「室町水墨画論集」(21年、中央公論美術出版)、「日本美術全集 第9巻 室町時代 水墨画とやまと絵」(共著、14年、小学館)など。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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