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久隅守景筆「耕織図屏風」
6曲1双 江戸時代・17世紀
(東京国立博物館)

2021.3.2

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 1-中 松嶋雅人さん(東京国立博物館研究員)

久隅守景筆 国宝「納涼図屏風」

前回に引き続き、東京国立博物館の松嶋雅人研究員に、江戸時代の画家、久隅守景くすみもりかげの作品との出会いからうかがいました。アニメやミュージアムシアター、VR展覧会などのプロジェクトで、日本美術にフレッシュな風を吹き込み続ける、松嶋さんならではの熱いメッセージです。

「異端の画家」に惹かれた学生時代

―なぜ、守景を研究することにしたのですか?

大学の学部の卒業論文は、歌川国芳うたがわくによしでした。若かったので、異端の画家にかれたのです(笑)。(美術史家である)辻惟雄のぶお先生の『奇想の系譜』(※)にも大きな影響を受けました。

※近世絵画史で傍系とされてきた伊藤若冲じゃくちゅう曽我蕭白そがしょうはく、歌川国芳ら、大胆で斬新な「奇想の画家」を紹介し、若冲らの再評価の火付け役となった名著

修士課程の時、「(当時の美術史でいう)本流の人を研究するのがいい」とアドバイスされて、狩野派にしようと考えました。そのなかで守景を選んだのは、守景も国芳と同じく、異端の画家だと思い込んでいたためです。でも、よく考えれば、守景の農耕の絵は、武家などが見るために描かれたものなので、どっぷり体制側の画家なのですが(笑)。

もうひとつの理由は、守景が、金沢に数年間住んだことがあるといわれていたためです。実際に住んでいたかの確証はありませんが、守景の作品は石川県立美術館に何点かあり、瑞龍寺ずいりゅうじ(富山県)のふすま絵も見に行きました。それで、「四季耕作図」を修士論文のテーマにしました。

私は大阪出身で、大学時代から金沢に住みましたが、一年中、曇りだらけで、湿気の多い北陸の気候が妙に肌に合っていました。そういう「しみている世界」が好きなのです。その後、東京に出てきて、最初の3か月くらいは、乾燥に悩まされましたね。北陸にいると、襖など、すぐカビだらけになります。そういう部分で何か共感できたのかもしれません。今も、昭和の歌謡曲やドラマが好きですから(笑)。

名画を自分の人生に重ね合わせる

「納涼図屏風びょうぶ」のような名画を読み解こうとしても、そうそう簡単に正解は出ません。正解があるのかもわかりません。とはいえ、絵画にはコード(記号)が織り込まれているので、ある程度知識を身につければ、自分の価値観を投影しながら鑑賞できるようになります。

作品解説を唯一無二の正解として読むのではなく、見る人それぞれが、自分の暮らしや人生と重ね合わせることで、いろいろな想像をして、これからの自分に応用していただけたらと思います。自分の頭の中で、本当の意味での二次創作をするということです。この絵はリアリズムではなくてファンタジーですから、それがいくらでもできるのです。

たとえば、(映像アーティストの)井上涼さんが「びじゅチューン!」(NHK Eテレ)で、「納涼図屏風」をもとにアニメーションを作っています。月がプロジェクターになっていて、空に映る映画を親子3人で見ており、そのあと、子どもが成長して、パートナーと子ども、つまり、新しく築いた家族と一緒に映画を見るというストーリーです。井上さんの発想は「憧憬しょうけい」や「追想」をテーマにしているという意味で、この絵が示しているものをしっかりと捉えているのだと思います。

名画というのは、そうしたことができる素材といえるかもしれません。(国立文化財機構の)文化財活用センターでは、アニメやプロジェクション・マッピングなどを活用して文化財を紹介してきましたが、現代的なものが関わっても、名画のとてつもない価値が少しも揺らぐことはありません。

若い世代にも、そうしたプロジェクトを入り口にして、新しく画家や作品にふれてもらえたらと思います。

松嶋雅人・東京国立博物館研究員(鮫島圭代筆)
描かれたファンタジーの世界に浸る

近代以前は、名画を見ることができたのは上層階級の限られた人だけでしたが、今は美術館や博物館で気軽に見ることができます。でも、日本ではまだ、美術館や博物館を勉強しに行く場所だと思っている人が多いと思います。日々の暮らしで疲れたり悩んだりしたときに、少しの時間を見つけて、ふらっと出かけていただけたらと思います。作品の前でぼう、としているだけでも、頭の中が整理できるはずです。

日本人はそういうことが得意だと思います。得意だからこそ、こうした空想の世界が描けるのです。守景に限らず、日本の絵画に描かれてきたのは、理想の世界ばかりです。というのも、日本では、毎年どこかで天災が起こっていますから、そうした風土に、自然のリアリズムなど育つわけがないのです。自然と一体化してその中で暮らすという気持ちで、絵の中に理想の世界を求めたのですね。

現代の日本のアニメーションについても、背景に、現実にある景観が使われて絵がリアルだと評価されたりしますが、私は、内容がファンタジーであることのほうに大きな意味があると思います。こうであってほしい、という思いが大事だということです。だから守景は「四季耕作図」などを一生懸命描いたのではないでしょうか。

◇ ◇ ◇

守景研究の魅力から、美術の自由な楽しみ方へと広がった、松嶋さんのお話。最終回となる次回は、子どもの頃の美術との出会いや、美術鑑賞のヒントを語っていただきます。

(わたしの偏愛美術手帳 vol. 1-下 に続く)

東京国立博物館の本館エントランス(同館提供)

【松嶋雅人(まつしま・まさと)】 1966年、大阪市生まれ。金沢美術工芸大学大学院・修士課程修了。東京芸術大学大学院・博士課程満期退学。現在、東京国立博物館研究員、文化財活用センター・企画担当課長。多数の展覧会を企画。「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(2013年)では、館外壁へのプロジェクション・マッピングを監修。TNM&TOPPANミュージアムシアターでは、VR映像作品「国宝 松林図屛風―乱世を生きた絵師・等伯―」(20年)ほかを監修。細田守監督のアニメーション映画「時をかける少女」(06年)の作中に登場する展覧会、同展をバーチャル空間で再現した「アノニマス-逸名の名画-」を監修。NHK Eテレ「びじゅチューン!」との共同企画「トーハク×びじゅチューン!」(18年、20年)を企画・監修、各地を巡回。著書に「細田守 ミライをひらく創作のひみつ」(美術出版社)、「あやしい美人画」(東京美術)、「日本の美術 No.489 久隅守景」(至文堂)ほか。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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